第14話

  扉に上体を預け、タイラー・バートンは外の気配に聞き耳を立てていた。足音の幻聴が聞こえてきそうだ。震えが止まらないのは恐怖か、それとも右腕の出血のせいか――もしくはその両方か。


 酒場で飲んだ帰り道、覆面をした黒ずくめの男が、いきなりナイフで斬りかかってきた。右腕に鋭い痛みが走り、男を突き飛ばして必死に逃げてきた。

 今タイラーがいるのは半年前に潰れた骨董屋であり、鍵が壊れていた裏口から店内に入り、こうして息を潜めて隠れているのだった。


 右腕の傷は思ったよりも深く、感覚がない。血も止めどなく流れて、今でも床に赤い染みを作っている。頭がくらくらとしてきて、扉に身を委ねていなければ立っているのもやっとだ。


 キャンベル家が経営している飲食店の放火――それを実行した犯人こそ、このタイラーだった。

 彼はモニカに想いを寄せており、告白したものの玉砕した過去がある。モニカからすれば店のことで色恋どころではなかったのだが、タイラーは振られたことを根に持っていた。

 

 そんなとき耳にしたのが、サムウェルの依頼によって広められた店の悪評だ。

 この状況なら何が遭っても、ゼメキス国民によるものと見なされる――タイラーはそう判断した。

 とはいえ彼は小心者で、頭で考えるだけで実行するまでは至らないはずだったが――酒の力、というものは恐ろしい。酔いが回り気が大きくなった彼は、酒場を出たその足で犯行に及んだのだった。


 一夜明けて店が焼けたと聞き、記憶が曖昧ながらも自分がしたことを理解し頭を抱えた。とんでもないことをしたという罪悪感はあったものの名乗り出る踏ん切りがなかなかつかなったのも、タイラーの気の弱さ故だろう。


 だがそれが命まで狙われることになるなど、まさか思うはずもなかった。


 「………………」


 タイラーは意を決し、目の前の扉を押し開く。このままいつまでも身を潜めているわけにはいかない。右腕の傷を放っておけば、命にかかわる。早く治療を受けなければ。

 扉の隙間から周囲の様子を窺い、外に足を踏み出す。

 誰もいないと安堵しかけ――はっとなり、扉を開いたまま固まる。


 (いや、もしかすると......)


 ちらり、と扉を見やる。まさかとは思うものの、この扉の陰で待ち伏せしているということはないだろうか? 小心者なだけあり警戒心が強い。

 顔の汗を乱暴に拭い、生唾をごくりと飲み込む。それから扉を徐々に、徐々に引いていく。


 「はあぁぁ......」


 緊張が体から抜けるとともに、吐息が漏れる。扉の陰には、何者の姿もなかった。


 「よし......」


 どうやら大丈夫そうだ。改めてタイラーは路地に出る。


 かたっ――。


 音がした。頭上からだ。


 見上げると、今出てきた骨董屋の屋根――そこに立つ人影があった。

 黒ずくめの格好に覆面の男がナイフを片手に、タイラーを見下ろしている。


 「ひいぃっ――!!」


 悲鳴をあげるタイラー目掛けて、覆面の男は飛び掛かった。







 「……ここだな」


 若き衛兵、エヴァン・フォークナーは身を屈めて呟いた。犬の獣人から訊いた通りの場所へ向かうと、確かに血痕はあった。地面をよく見ると、争ったような靴跡も窺える。事件性があるのは明らかだ。エヴァンは立ち上がり、気を引き締める。


 血痕は路地の先へと続いている。いつでも抜けるよう剣の柄に手を添えて路地に向かい、暫く進むと、


 「ひいぃっ――!!」


 男の悲鳴が、彼の耳に届いた。


 「っ!!」


 悲鳴を聞くなり、エヴァンは駆け出した。もはや手遅れかも知れないという最悪の可能性が、脳裏を過る。


 元骨董屋の裏口前に、二人組の影があった。一人は路上に仰向けになった気の弱そうな男、もう一人は覆面をして服装を黒で統一した男で、気弱そうな男の上に跨がっている。

 その右手に握られたものが、きらりと不気味に光る。刃物の類いだろう。大きさからしてナイフか?


 そして覆面の男は右手のナイフを掲げ、今にも仰向けの男の胸に突き立てようとし――、


 「おい!! やめろっ!!」


 一刻の猶予もないと悟ったエヴァンは、制止の声とともに抜剣する。覆面の男は彼の存在に気付くと、仰向けの男から離れ、身を翻した。


 「待てっ!!」


 追いかけるも覆面の男の逃げ足は速く、すぐ見失ってしまう。溜息を吐き、エヴァンは襲われていた男の元に戻る。


 「あ、た、たす、助かりました……」


 腕に負った深い切り傷のせいで顔色は悪いが、どうやら無事なようだ。

 なんとか間に合って良かった――と、エヴァンは心から安堵する。


 「お、おれ……つ、罪を償います……おれが、火を点けました……だ、だから……」


 涙で顔を汚しながら、男は土下座するように何度も頭を下げる。


 「分かった。話は後で聴く。立てるか? 手を貸すぞ」


 「あ、は、はい……あり、ありがとうございます……」


 エヴァンが左手を差し出すと、男もおずおずと自分の手を伸ばす。手を掴み、エヴァンは男の体を引き起こすと、勢いのままその胸に剣を突き刺した。


 ずぷり、と切っ先が男の体に潜り込む感触が、右手に伝わる。


 「は、ぇ……?」


 男は目を見開き、口からごぷっと血を零す。エヴァンが剣を引き抜くと男は路上に倒れ込み、暫く痙攣したのち、動かなくなった。

 男の死亡を確認すると、エヴァンは剣についた血を払い、鞘に納める。


 間に合って良かった――先を越され、、、、、なくて良かった、、、、、、、。それがエヴァンの本心だ。


 エヴァンにはかつて婚約者がいた。彼女は暴漢に襲われ命を落とし、今はこの世にいない。

 彼女が身につけていたブローチを、エヴァンは形見として譲り受けた。それを眺める度、彼女との思い出が蘇る。


 だがそのブローチを彼の仕事中、父親が飲み代欲しさに売り払った。買い戻すため父親が売却した商人のところに行くが、悪名高いその商人に足元を見られ、高値を付けられた。


 「わたしはぁ、そろそろこの街を離れるんでぇ……買うなら買うで早くしてくださいよぉ?」


 あの嫌な笑みを思い出すだけで、エヴァンの腸は煮えくり返りそうになる。それでもあのブローチだけは、どうしても取り戻さなければならなかった。自分の命より大切といっても過言ではない、あのブローチだけは。

 だからエヴァンは仲間の目を盗み、詰所から備品を持ち出した。密かにそれを換金するが、それでもまだ足りない。


 そんなとき接触してきたのが、《調香師》のサムウェル・パターソンだった。


  「お金がいるんだよね? 僕の依頼、受けてくれないかな?」


 サムウェルはそう提案してきた。掴みどころのない雰囲気と、甘ったるい香水の匂いが不快感を煽る。

 しかもその提案というのが、よりにもよって人殺しの依頼だ。受けるはずもないし、衛兵という立場であるからには目の前の男を捕えなければならない。


 だがサムウェルは余裕の態度を崩すことなく、


  「いいのかな? 衛兵の備品を勝手に売ってまで必要なんだよね? お金がさ」


 エヴァンは絶句した。この男は、なぜそんなことを知っている? 余所からこの街に来た男が、どこで?


 「そういう《ネタ》にはわりと鼻がきくんだよね。で、どうするのかな? バレたらまずいよね? 受けてくれるなら黙っていてあげるけど?」


 かっとなりサムウェルの胸倉を掴むが、彼は胡散臭い微笑を保ったままだ。あくまで有利なのは自分の方だと思っているのだ。


 「報酬を貰えて秘密も守れる……迷う必要ないと思うけどね」


 承諾する以外、エヴァンに選択肢はなかった。


 「………………」


 制服の懐から、予め携えていたナイフを取り出す。誰でも手に入れようとすれば手に入れられる、ごく普通のナイフだ。

 そのナイフを抜き身のまま、死体の傍らに置く。興奮した男がナイフを手に暴れ、やむなく応戦した結果、命を奪ってしまったと見せかけるためだ。


 これでエヴァンの行為は、あくまで正当防衛と見なされるはずだ。


 「終わった......これでいい」


 そうやって、自らに言い聞かせた。

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