転生人形クロエ

黒砂糖

第一章

第1話

 黒枝舜介くろえしゅんすけは、平凡な高校生活を送っていた。


 容姿にこれといった特徴はなく、印象に残りにくいタイプ。

 体格も中肉中背、成績も運動神経も人並みで特に秀でているわけでもない。


 教室でも目立たない方、というより目立つことが好きではなかった。

 何の変哲もない日々をゆるゆると過ごしていけるなら、それに越したことはない。


 多くはないが友達と呼べるクラスメイトもいて、共通の趣味で盛り上がったり冗談を言い合ったりしていた。


 いつも通りに登校して、いつも通りに授業を受けて、いつも通りに下校する。

 ただ、それだけの毎日だった。

 そしてただそれだけの毎日がずっと続いていくと、何の疑いもなく信じていた。


 だが、その日は違った。放課後になると黒枝は一人で校舎を後にした。

 数少ない友達は部活動に精を出していたが、彼は帰宅部だった。


 もし彼がまっすぐ家に帰ろうとしなければ――きっと運命は違っていただろう。


 黒枝にとって不運だったのは下校中、ちょうどクリーニング店の前を通りがかったとき、看板を固定していたネジが外れたことだった。


  「危ないっ!!」


 通行人が黒枝に向かって叫んだときは、すでに遅かった。落ちてきた看板が、彼の脳天を直撃する。


 こうして、黒枝の平凡な人生は、幕を閉じた。







  (ん……)


 暗転した世界に起きた変化――黒枝の身になればそれはあまりに唐突で、何の前触れもなく起きた変化だった。


 ゆっくりと、瞼を開く。視界は不明瞭で、霞んでいる。頭も上手く働かない。


  (……うん?)


 目の前に、人影が見える。どうやら、車椅子に座っているようだ。


  (誰……だ?)


 瞬きを繰り返すうち、だんだんと視界もはっきりしてくる。そして――、


  (ひっ……!!)


 そこで、男が死んでいた。


 齢三十後半程で、ぼさぼさに乱れた灰色の髪に彫りが深い端正な顔立ち、細いフレームの眼鏡をかけている。


 車椅子の背に凭れるように全身を脱力させ、血の気が失せた顔をこちらに向けている。

 すでに腐敗も始まっているのか、酷い臭いだ。


 最悪な、目覚めだった。


 思わず身を退こうとするが、なぜか体がいうことを効かない。

 背中と臀部に固いものが触れているため、黒枝も椅子に座っているらしい。

 だがどれだけ手足に力を込めても、目覚めたときの姿勢のままぴくりともしない。まるで自分の体ではないみたいに。


  (なんか、ヤバい薬でも打たれたか?)


 嫌な想像に恐怖を覚える。


 自由になるのは唯一、両眼だけだ。なので眼球をぐりぐりと動かして、周囲の様子を確認する。


  (俺の家じゃないな……どこだ、ここ?)


 小窓から差し込む月光に照らされた室内にはまるで見覚えがない。奥には何かの作業台と、壁に図面らしきものも貼られている。


 限られた視界で確認できたのはそれくらいだが、目の前で死んでいる男は職人か何かだろうか?


 いったい男はここで何をしていたのか? そしてなぜ死んでいるのだろうか?

 自分がここで目覚めた理由も含めて、疑問は増える一方だ。


 とりあえず体の自由を取り戻さない限りどうにもならない。

 このまま動けないまま、もし誰も助けにこないなら飢え死には間違いない。

 今は空腹を感じていないが、そのときはいずれ確実に訪れる。


 息絶えている男が顔をこちらに向けているのも問題だった。

 もはやその琥珀色の瞳に何も映っていないと分かってはいるものの、いかにも無念といった表情で見てくるのだから堪らない。トラウマになりそうだ。

 せめてもう少し安らかな表情で逝ってほしかったと抗議したくなる。


 更には助けを呼ぼうにも、まともに声すら出ない始末。


  (これ……俺、詰んだかも)


 ごく普通の平凡な高校生――黒枝舜介は、転生してさっそく絶望していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る