第2話 作題

他のところで、作題について書く機会がありましたので、そこをちょっと詳しく。


文学的文章の題材として使われる作品の良さと、文芸作品としての面白さは別、と思う。


教育面で見るのと文学面で見るのは評価軸が違うという意味で。


どっちがいいとかではなく。



義務教育、中学生向け、地方、偏差値50以下を前提に作題について話しますと……


まず、対象の子どもたちが読める、想像できる小説を探す。


教科書は先生が解説するからいいけど、テストはそうもいかないので、解答解説で完結する難易度にしなくてはいけない。


難しい題材のときは、注釈を増やし、設問の中で補助的情報を入れる。


読みやすい題材のときは、設問を難しくする。


テスト時間内で読む、解くので、本文の長さには限りがある。


その短い文章の中で10問くらい作るから、起伏のある場面をとる。


誰でも正解できるサービス問題から上位層で差がつく問題まで作らなくてはならない。


差をつけるなら、やはり記述。


記述は指導を受けないと、いつもいつも同じような減点をくらうから不思議だ。


癖や性格がちゃんと出る。



文学的文章の肝は、「登場人物の心情の把握」とそれにより「筆者が提示するテーマ」を読み取ること。


登場人物のキャラクターをおさえる。


登場人物の心情を言動や背景描写から押さえる。


主人公の変化を押さえて、テーマを読み取る。



読むのがやさしい本文というのは、低学年向けのものを想像すればいい。


日常会話で使うレベルの語彙、話の筋が一本、登場人物が少ない、登場人物のキャラが典型的。


難しい本文というのは……

語彙の抽象度が増す。

表現自体は日常的なものでも、文脈によって意味がさまざまになる。

複雑な心情、人間関係。

時代が現代ではない。


たとえば本文に傍線を引いて設問を作ったとして、その解答にあたる説明が本文中にはっきり書いているものは読みやすい題材。


解答にあたるような説明がはっきり書かれておらず、ヒントを繋ぎ合わせて自分の言葉でまとめなくてはならないのが難しい題材。


私のような素人が書いた小説の場合、はっきり書けば説明的文章に成り下がるし、ぼかして書くと解釈が分かれてしまう。

それだとテストの題材に向かない。


解答解説を見て、100人が100人納得できなくては。



こんな風に箇条書きだと大したことがないように見えますが、これが子どもたちにとってどうなるかというと……


わからない言葉は、黒塗り潰し状態。

本文と真逆に読んでも違和感をもたない。

心情把握は自分の感想。

時代ものは、誰が何をしているのかすら想像できない。


これが、普通。

子どもたちに悪気は全くないし、私も子どもたちが悪いとは思わない。


自力がある子たちは自分で楽しく勉強すればいい。

そういう子が好きな先生もいるけど、自分はそういうのはセンセイとは思わないかな。

そこまできたら、詳しい友達や他の大人でもよくない?と。


自分の中の先生の定義は、やる気とかその気を引き出すことで、そうなってからはよりよい相手に引き継げばよいと思う。


今まで、授業がわからず、テストで怒られ、バカと言われることにもはや何も感じなくなった子どもたちに、もう一度チャンスをくださいと頭を下げるべきは大人の方だと思ってる。


作題に関しては、上位層向け、理系向けはまた傾向が違うから、そちらもまた奥が深い。

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