ガチ恋ビームを姫君♂に

江都なんか

ガチ恋ビームを姫君♂に

 

 超能力者。先天的に、通常の人間ではありえない超常的な力を扱える人間。有名なものでいうとテレパシー、サイコキネシス、未来予知などなど。5,6歳で発現することが多い。

 そんな彼らは思春期に入ると有数の、超能力者専門の国立中高一貫校に入ることになっている。保護と研究、情操教育を施し超能力の扱い方を伝授するためだ。


 さて、そんな超能力者を集めたある全寮制の男子校・蝶脳緑学園にはいわゆる男子校の姫がいる。「女子よりも可愛い」と密かに囁かれる彼の名は、椎名一花(しいな いっか)といった。

 サラサラとした艶やかな黒い短髪、長い睫毛に縁取られたくりくりの大きな茶色い瞳にプルプルの唇。まさに、美少女であった。男だが。


 五月十四日の朝。そんな彼が、息を切らして十分前なら生徒が大勢登校しに歩いていた道を走っていた。そう、寝坊して遅刻寸前である。幼馴染が朝起こしに来てくれたが「あと五分だけ寝かせて……」と頼んだら、これである。


――俺のアホ!――


 そう脳内で自分を罵りながら、寮から校舎への道を急いでいると、前方から衝撃が一花の体に加わった。感触的に人だろう、誰かとぶつかり、尻もちをついた。


「す、すいません……痛てて」


  服についた塵を払いながら一花はそう謝るが、返事がない。まさか怒らせてしまったのだろうかと見ると、そこには、美しい黒髪の男がいた。ワイルドで男前だが、端正な、美を併せ持つ彼は例え「イケメン」とテレビで紹介されても冷笑せずに頷くしかなかった。その神秘的な美しさに、同じ男だが一花もときめきを隠せなかった。が。


「……ガチ恋ビーム」

「はっ?」


 そんな彼の人差し指が一花の額に伸び、触れていた。そして、彼は謎のセリフを吐くとニヤリと笑うのだった。


「今から君は俺のことが好きで好きで堪らなくなったってこと。俺の女になったし、俺とセックスしたら妊娠するんだよ、ははっ」


 それを聞いた一花はゾワリと悪寒がして、ささっとソイツから立ち上がり、離れた。


「何言ってんのお前……キモッ」


 顔の美しさを上塗りするほど、残念だった。シンプルに言ったことが気持ち悪い。鞄を抱え、いまだぶつかった際の衝撃のせいで座っている彼を放ってダッシュで逃げた。しかし、一花の脳裏から彼の顔も、低い声も、匂いも離れなかった。




 一方、「創設百周年」という幕が窓に垂れ下がった校舎の中、椎名一花の在籍する高等部一年二組の教室にて。


「椎名、今日は遅いな……」

「HR始まるぞ……?」

「どうする? 國井なら知っていそうだけど、訊いてくる?」


――こそこそ言っているつもりなんだろうが、聞こえてるってつうの、アホが――


 椎名の幼馴染兼親友の國井賢(くにい けん)はイラついていた。ちらちらと、愛しの一花目当てでこちらを見てくるクラスメート達に、だ。このクラス全員、椎名一花に好感を持っていた。当たり前だ、美少女(男)だから。女子よりも可愛い一花を、幼少の頃から守ってきたのが國井賢だった。

 いつしか、國井は内心で“椎名一花の騎士(と書いてナイトと読む)”を自称するようになり、それにつれて一人称は「私」になり、十代男子ながらも紳士的な言動を心がけるようになった。そんな國井は、教室で涼しい顔をして窓を見ているように見えるが、自分の後ろの席の主(椎名一花)をアイドル扱いしている不埒な輩に対していらついていた。

 しかしそこで國井は、一花にブヒブヒ言っているクラスメートではなく、一花を朝きちんと起こさなかった己にイラついているのだと気づいた。己の甘さがこのような結果を招いた。あのとき、「あと五分……」とぐずる一花の可愛らしさに負けずに、起こしていれば良かった。これはきちんと反省するべきだ。などと考えているうちに、噂の姫君がやってきた。椎名一花、セーフ。


「一花おはよう、すまない。きちんと起こしてやれなくて」

「いや、これはちゃんとしなかった俺が悪いから。賢が謝ることじゃない」


 このクラスはヘタレ揃いなので、本人が教室に入ってきても挨拶すらできないんだな。と國井は鼻で笑った。本当は、入学してから数週間くらいは皆一花にも挨拶していたが、一花の人見知りっぷりと賢の威圧・牽制によって折れてしまったのだ。


「君たち席につきなさい、ホームルームを始めますよ」


 生徒指導主事でありこのクラスの担当教師・松下 久継(まつした ひさつぐ)も教室にやってきて、粛々とホームルームが進む。余談だが、この松下のように教員は非能力者である者もいる。


「なんと、今日から新しくこのクラスに一人加わることになりました」


 國井は想像もつかなかった。

 ――――この日、このクラスに、ノットヘタレが、このクラスにやってきてしまうとは。


 そいつが教室に足を踏み入れた瞬間、誰もがその美しさにはっと息をのんだ。


「俺、高澤光(たかざわ ひかる)」


 そう、松下先生が転校生に自己紹介を促す前に彼はだるそうにそう言うと、クラスを見渡し、一花を見つけると目の色を変え、近寄っていった。


「俺の女くんじゃん!!!」


 その言葉に、一花はみるみると顔全体を朱くさせ、高澤に盛大なビンタをお見舞いした。

 ばっちーん。そんな間抜けな音が校舎に響いた。


 椎名一花への滅茶苦茶な言動とは別に、高澤光はハイスペックだった。授業中に転校生を面白がって、難問をふっかけた数学教師に対して、すらすらと問題を解いてみせた。体育のバスケットボールの試合中も、彼はシュートを見事に十連続決め、その活躍にクラス中が沸いていた。


 そして高澤光は半日でクラス中、いや学年中で密かに「椎名一花と文句なしにお似合いなハイスペイケメン」と目されるようになったのだ。(しかし、「俺は國井と椎名の関係性を推す」「いや、椎名は俺の嫁だから」「一花たんが誰かのメスになるだなんて許せねええええええ!!!」などの意見も多々ある。)


 ヘクション、と椎名はくしゃみをした。


「一花、具合が悪いのか?」


 國井賢と椎名一花は、席が窓際の、前から二番目と三番目である。よって國井が椅子ごと後ろに向くことで、机を動かさずに共に教室で昼食を食べることができる。今二人が食べている昼食は、國井の手作り弁当であった。


「いや……具合っていうか」


 一花は目線を右下にやった後、決意したように目を閉じて、國井の瞳を見つめた。


「俺さ、アイツ……高澤の超能力の影響を今朝受けたかもしれないんだ」

「!?……どういうことだ?」


 ――あの、一花を勝手に「俺の女くん」と称したいけすかない男の超能力だと……? 悪い予感がする――


 一花は、今朝の高澤との邂逅を國井に話した。 ①朝走っていたら人にぶつかって尻もちをつき、ぶつかった。 ②相手が高澤で「すいません」と謝った。 ③だが、額に触れられ「ガチ恋ビーム」「君は俺のことが好きで好きで堪らなくなる」「性行為すればお前は妊娠する」「俺の女」と言われた。


 目線を左上にし、思い出しながら話していた一花は、一部始終話し終わったあと國井の顔を見てすくみあがった。


「ひっ」


 般若の顔をしていた。國井は怒っていた。問題は③だ。ほぼセクハラだし、同意なく超能力を使ったのだとしたら大問題だ。校則違反どころの話じゃない。職員会議ものだ。


「一花。先生に報告しよう。君は被害者だ」

「それなんだけどな、このことは誰にも漏らさず解決したい」

「何故!」


 一花は声を潜めて返答した。


「男として恥ずかしいから」

「……」


 プライドの問題だった。一花も、いくら男子校の姫と言われていても自意識は男である。確かにそれを無視して、周りに勝手に助けを求めれば、尊厳破壊になってしまう。たとえいくら、周りが彼を女扱いしていて手遅れでも。


「しかし……」

「大丈夫。あの、ガチ恋ビーム? も抗えないほどじゃない。なんか気持ちに違和感があるだけだし」


 本人がそう言っているが、國井は胸がザワザワと嫌な心地がした。そう見過ごせる問題じゃない。ふと、左からこちらへと足音がやってくる。


「なんの話してんの?」


 高澤だった。優しく笑みを浮かべているが、國井と一花にとってそれは邪悪な笑みに見えた。一花は胸を抑え、彼を睨み付ける。


「別にお前に関係ないだろ」

「なあに? 仲間外れにでもするつもり? 酷いなあ」


 ヘラヘラと高澤はわらう。


「っ、誰のせいでこんな……」


 一花の血管がぶち切れる音が聞こえた気がする。まずいぞ、と國井は思う。一花は意外と怒りの沸点が低い。

 しかし、一花の方から怒声はやってこなかった。國井は一花の顔が蒼くなってゆく様を見た。胸を押さえていたかとおもいきや、抑えていたのは食道であった。

 ガタン、と一花は椅子から立ち上がり、教室の外へと駆けて行った。


「え? 何?」


 そうキョロキョロする高澤に答えず、國井は一花の後を追う。


「ちょ、待てよ」


 高澤も國井の後に続く。

一花が向かった先は、学園の屋上だった。一花は人気のない屋上で、太陽に照り付けられながらうずくまっていた。


「う、ううう……」


 國井は慣れたように、苦しむ一花の背中をさすってやる。そしてやがて、一花はカパリと口を開けたので、國井は一花の口の中に長い指をつっこみ、体液塗れのソレを喉奥から引っこ抜いた。


「う……ごほっごほ」

「ねえ、君ら何やってんの? なんかのプレイ?」

「違うよ。一花の超能力でよくこうなるから、助けてやっているだけさ」


 國井は一花の喉奥から引っこ抜いたものを、高澤に見せた。


「……紙?」

「ああ、耐水性のな」

 

 國井は、丸まった白い紙を掲げた。しかし、丸まった紙を開くことはできない。開くことができるのは、超能力者本人――椎名一花だけだ。國井は一花に紙を渡し、一花は細くて小さいその指で、紙を伸ばした。


『来月の購買の新メニューは、辛子明太子のおにぎり』


 その紙を体から吐き出した彼は、徒労感で「はあ……」とため息をついた。そんな一花の肩を、励ますように國井はポン、と触る。


「……俺の超能力は予言。といっても、そんな便利なものじゃない。よく、不定期に食道から未来のことを書かれた紙が逆流するんだ」

「ふ~ん、なるほどね。で、その紙には何が書かれていたの?」

「来月の購買の新メニュー」

「は?」

「予言できたものが、有用なものとは限らない」

「なにそれ~……」


 高澤は同情するような目で一花を見た。


「お前の超能力は、いったい何なんだ?」

「俺?」

「お前の“ガチ恋ビーム”?を浴びてから体調が変だ」

「ははあ?」


 それを聞いて高澤は面白そうなおもちゃを見つけたような顔でニヤリ、と笑った。


「やっぱ、俺のこと好きになっちゃったんだ。効果抜群だね♡」


 一花の頭に一気に血がのぼる。


「どういうことだよ、解け! もしくは解き方を教えろ!」

「え~、やだよ。俺の超能力クソ弱いから詳細は教えたくありませーん」


 蝶脳緑学園は、学園と同時に研究施設である。月に一度、生徒は“検診”を受ける必要がある。

もちろん、生徒のプライバシーは尊重される。例えば、周囲に自分の超能力を明かすか否かなど。


「こんやろっ……!」


 高澤に飛びかかろうとする一花を抑えながら、本当に超能力なのか、まいったなと賢は冷静に考えた。どうにかして一花をいつもの調子に戻さないといけない。それが幼馴染、兼親友、兼騎士としての役目だ。


――本当に、次から次へと一花は面倒な目に遭う。ストーカー被害があった後にこれだ――


 一花は、一か月前からストーカー被害に遭っていた。そして先週、最終的に、ストーカーがこちらに接触してきて『学園組織“I”に入らないか?』などと謎の言葉を言ってきた。しかし、それを「意味がわからん。中二病か?」と一花が一蹴したところ、「後悔することになるぞ」と言い去っていった。黒いフードを目深にかぶっていたので、あのストーカーの犯人はわからなかった。


 そんなことを、事後報告で伝えられた國井は、それはそれは深いため息をついた。一花はプライドが高いので「ひとりでできるもん!」と、トラブルがあったことを事後報告で國井に伝えることがある。國井は自分の騎士としての尊厳を守るのにも精一杯だ。毎回密かにへこんでいる。




 次の日、五月十五日。國井は、あれから放課後から夜明けまで、学校図書館で借りた人心系の超能力の本を読み漁り、高澤の超能力を解く方法を考えていたので寝不足だった。結局、高澤本人に解かせるしかない気がする。


――高澤……あいつの弱みらしきものは何か無いか……?――


 いつも通り、一花のいる寮の部屋――一人一部屋という豪華仕様である――に、起こしにいくために向かう。合鍵を持たされているので、鍵を回して中に入ると、すぅすぅという控えめな寝息が聞こえてきた。


 一花の寝室はいつも通り綺麗だ。しかし、油断して放っておくと結構汚くなるので、國井が週末、一緒に片づけてやっている。ゴミの量も灰色の紙――新聞だろうか。リサイクルゴミに出した方がエコなのに――が多いだけでいつも通り。


「一花、起きて」

「んぅ……? もうちょっと寝かせて」

「昨日はそれで遅刻ギリギリだったじゃないか。起きろ」


 一花はしぶしぶ起き上がり、ぐいんと背伸びをする。


 一花の下駄箱には毎日、数多のラブレターが置かれている。朝はもちろん、放課後も。それは、一花への恋愛感情の告白場所を書いた予告書から「はあはあ、今日もかわいいね。愛してるよ」などという怪文書まであった。そう、一花はデフォルトに毎日気持ち悪い目に遭っているが、それをメンタルの強さとプライドの高さで乗り越えている。(なお、その怪文書の差出人は國井が解析中だ。彼はこういった手回しでいつも忙しいが、その忙しさ故に一花と常時行動できず、その隙をつかれて一花がトラブルに巻き込まれているというパターンがよくある)


 しかし今日は、いつもなら一種類の怪文書が、二種類に増えていた。しかも、印刷された紙の文字を切り取って貼り付けた、筆跡では差出人が特定できないような手紙だ。


「賢、これ見ろよ」

「……? これは」


『犯行予告 五月十四日の夜にかい画を盗んだ』


 今までの一花に対する怪文書とは、毛色が違っていた。


「よくわからないけど、先生に言おう」


 一花はそう言い、職員室に向かった。國井も戸惑いながら後に続く。


「先生、俺の下駄箱にこれが入っていたんですけど……」


 お堅い面をしているが、美術教師兼高等部一年二組担任・松下久継は、その怪文書を読んでハッと表情を変えた。


「なぜこれが、椎名くんの下駄箱に……」

「先生、何か知っているようですね?」

「ええ、この犯行予告の通りです。昨日の夜、事件が起きました。百年前の、わが校の卒業生・伊台菜雅歌が遺した絵画『我が愛しき君』が盗まれた」


 『我が愛しき君』。今世にも語り継がれる、蝶脳緑学園の卒業生でもあり偉大な画家・伊台菜雅歌の絵である。その絵は、講堂前の壁に飾られているが、買おうとすれば十億は下らない。ゆえに、監視カメラが傍に設置され、特殊な額縁に絵は収められている。


「放課後、講堂前に関係の在りそうな人物を集めている。君たちも来なさい」


 松下先生は、メガネのズレを人差し指で直しながらそう言って、放課後まではいつも通り教室にいるよう指示を出した。


「おはよー」


 一年二組の教室に入ると、高澤が左手をポッケに入れながら、右手をひょいと挙げてこちらに挨拶してきた。一花のことだから無視するかな、と國井は思ったが、意外なことに「おはよう」と一花は返した。


「なあ、知ってる? 絵が盗まれたらしいよ」

「知ってる。つか俺ら、関係者として先生らに召集されることになった」

「まじで? 俺もついて行っていい?」

「勝手にすれば?」


――まじか。嘘だろ?――


 あんなに昨日無礼なことをした高澤に対して、一花の態度は比較的柔らかい。

國井は、“ガチ恋ビーム”の効果がもう、こんなに出ているのかと焦った。放課後の召集が恨めしい、國井はそんなことをしている場合じゃない、高澤の弱みを握らなくてはいけないのに。




 放課後、椎名一花、國井賢、高澤光は三人で講堂前のホールへと向かった。件の絵は、その講堂前のホールの壁に飾られていた。

 講堂は北側の中庭に伸びる、渡り廊下の先に在る。しかし、講堂前のホールに続く扉の前は「WARNING!!」という、見た者にこの先の危険を知らせる黄色いテープと三角コーンで封鎖されており、警備員が二人いた。この警備員は学長の趣味で雇っている、いわば私兵であった。


「封鎖されてる……」

「まあ、事件があったあとだからな。あのー、すいません」


 高澤に答えた一花は、立っている警備員に声をかけた。


「俺たち、先生に事件の関係者としてここに呼ばれているんですけど。通ってもいいですか?」

「ああ……事前に話は聞いている。どうぞ」


 扉の中に通してもらうと、中にも三人ほど警備員がいた。一花たちが証拠の隠ぺいをしないように見張るためだろう。

講堂内には、松下先生の言っていた“事件の関係者”はまだ誰も集まっていないようだった。


「なあ、せっかくの事件現場だし色々調べてみようぜ」


 高澤は、一花と國井の肩に腕を回してしだれかかり、ボソリとそう言った。


「……いや、駄目だろう」


 國井はそう反対するが、「まあ、ダメなときはちゃんと怒られるっしょ」と高澤は言い。


「わっ、ちょ」


 一花の手を引いて部屋の北側に向かった。


―― 一花! そいつは不埒な男だぞ! ちゃんとそいつに抵抗しろよ、気が抜けている――

 國井は、額に青筋を立てながら二人のあとをついて行った。



 講堂前の「ホール」と呼ばれるだけあって、この部屋は広い。百八十畳くらいだ。部屋の北側には、講堂へと続く扉が二つほどある。その扉と扉の間の壁に絵がいくつか飾られているが、その絵の群れの中央に位置していた絵だけ、すっぽりと消えている。額縁は壁にかかったままで。奇妙なことにに、中のキャンパスだけ盗まれたのだ。その真下に、消えた絵の題名が飾ってあった。


『我が愛しき君』


「これが『我が愛しき君』が飾ってあった場所か……」


 他の絵の額縁を見て、國井が言った。


「ここだけ扱いが別格だな。残された額縁も、ここだけ木製じゃなくて白いし。おっ、手形があるぞ」


 そう、他の絵の額縁は何の仕掛けもなさそうな素朴な木製なのに、『我が愛しき君』の額縁だけ白い。ペンキで塗ったのだろうか。しかも一つだけ、大きな手形が額縁に彫られていた。大きさからして男の手だ。

 額縁の大きさからして、大きな絵だ。両手で抱えてやっと持てるだろう。


「これは、特別に絵が盗まれない仕掛けが施されているんですよ。だから、キャンパスだけ盗まれているのです」


 後ろから急に声がした。驚いて三人は振り返ると、そこには警備員がいた。


「急に話に混ざって失礼しましたね」

「いえ……絵が盗まれない仕掛けとは?」

「それは自分も知らないのです。この学園の有名な伝説ですよ」


 警備員は、そう穏やかに微笑んで一花たちに背を向ける。先ほどまでの立ち位置へと戻っていった。


「特別な仕掛けね……」

「警報が鳴るとか?」

「それは結構ありきたりじゃないか?」


 他の絵を見る。他に盗まれたり、汚されたりした絵はないようだ。


「人物画、風景画、静物画……」

「見ろよ、女のヌード~だぜ」

「はっ?! 別にこんなん興味ないし、つかこういう絵に興奮すんなんてアホだろっ」

「ペラペラ喋るねえ、一花くん」

「んだよ、それに講堂に来るたびに見ているから見慣れているっつうの」

「おお、毎回見ているのか一花くん」

「あ……」

「一花、君は墓穴を掘ったようだ……」

「う、うるさい!」


 つかつかと、一花は割れた窓に近づく。

 次に、三人は東側の縦二メートル横三メートルの大きな窓に近づいた。ベランダのガラス戸のように、床に隣接している。昨日までは、白く装飾が細かく美しい窓縁に、飾られ磨かれた窓ガラスが日光を通していたのだが、見事に壊されている。窓縁ごと。絵を抱えたヒト一人、余裕で入れる壊れ方だ。こちらも「WARNING!!」という黄色いテープが間に張られている。

講堂前のホールには、大きな窓が東側と西側についているのだが、西側は壊されていないようだ。


「すげえ壊されっぷり」

「犯人は窓になんか恨みでもあるのか?」

「このバールで壊されたらしいな」


 國井は、窓縁やガラスの破片と一緒に転がるバールを指さす。これなら、窓縁ごと壊せるだろう。


 あとは、講堂内にあるものといえば歴史のありそうな木造のチェストの上に飾られた、過敏に生けられた赤い薔薇六本である。


「チェストの引き出しは、鍵がかかっていて開かないな」

「一花くーん、見てみてー」

「ん?」


 高澤に呼ばれたので見ると、「じゃん」と目の前に一本の薔薇を差し出された。


「高澤光は、生涯を一花くんと共に歩むことを誓いましょう」

「え、なんなんお前」


 一花は高澤をじとりとした目で見る。それを見た國井が、高澤の首根っこを掴む。


「いい加減ににしろ、お前」

「おお、騎士様は怖いねえ」


――……一花を付け狙う豚のくせに――

 國井のこめかみがピクリと動いた。


「お前ら、落ち着けって」

「そうですよ、もし殴り合いでもして事件現場を荒らしてみなさい。あなた方の罪は重いでしょう」


 声を掛けられた。視線を向けると、そこには蝶脳緑学園学長、松下先生、二人の生徒がいた。


「こほん、集まりましたね」


 学長が咳払いする。


「この盗難事件には、三人の容疑者がいます。それは、よりにもよって我が校の生徒です。……この話はあまり大々的に広めたくない。よって今日中にこの場で、この中から真犯人を探そうと思います」


 三人の容疑者、とは一花も含まれているのだろうか。失礼な、下駄箱に犯行予告が入っていただけだ。


 学長は、知らず呼びかける。


「怒らないから、犯人は名乗り出なさい」


 ……誰も名乗り出なかった。


「では、犯人捜しといきますか」


 まず、溝尻正治(みぞじり まさはる)。高等部一年一組在籍。こいつは超問題児として有名だった。職員室にイタズラ電話をしたり、とある生徒の教室の机にツーショットを加工したラブラブ写真を置きその生徒と生徒が付き合っているという噂を作り出したり(なお、もともとその二人は両片思いだったが、その噂のおかげで当の本人二人は晴れて付き合うことになったのだとか)といういたずら好きで有名だった。彼の超能力は空間を歪ませて、空中から某猫型ロボットのように小道具を出し入れできる、というもの。本人がそう公言している。


「君は、昨日の夜『我が愛しき君』を見に寮を抜け出したそうですね? しかも、窓ガラスが割られると鳴る仕組みの警報が鳴り、警備員が駆け付けたら君は講堂前のホールの中に立っていた」

「おいら、別に絵を見に行っただけだよ」

「夜中に急に……ですか?」

「うん。おいら、窓が割れていたから入っただけ。絵も既に盗まれてた」


――確かにこいつ、怪しいな――

 國井は思った。


「ここに、プロジェクターがあります」


 松下先生は、外から持ち込んできた机と、その上に置かれた壁に映像を映す機械にポン、と触れる。


「割れた窓辺の監視カメラの映像が映りますので、これで検証してみましょう」


 警備員が部屋の電気を落とし、映像が壁に映る。


「事件が起こったのは十一時ごろですね」


 松下先生が、夜中の十一時まで早送り再生する。

 映像の中は、変わらない、人気のない部屋を映し静寂に包まれていたのに、突如としてそれは破られた。

 がしゃ、がしゃ、がっしゃーん。

 明確な意識を持って壊される窓ガラス。ガラスや窓縁の破片が、飛ぶ、飛ぶ。


「この窓ガラスに、いくらかかっていると思っているのやら……」


 学長は懐からハンカチを取り出して目元を拭う。


 肝心な割った犯人は写っていない。窓ガラスが割られたので警報は鳴る。バールが窓ガラスの外から投げ込まれた。

 そこから五分後、溝尻と思われる人物が窓から入ってきた。そして、絵の方まで歩いていく……。


『何者だっ!』

『お、おいら……』

『見ろよ、窓だけではなく、絵も盗まれている……?!』


 そこで映像は止まる。


「……不可解だな……」


 國井は呟いた。そう、不可解である。溝尻が窓を割ったとして、なぜ彼は五分も待ってから侵入したのだろう、警報が鳴るので警備員が来ることはわかっていたはずだ。なぜ、絵は突如無くなったのだろう。


「なぜ五分待ったのかはともかく、溝尻くんの超能力は空間操作系です。多分、こうなんか、うまいことそれを扱って絵を転移させたのでしょう」

「いやいや! おいら、転移とかできないし。あくまで収納だけ。それにあんな両手で抱えて持つ大きさの絵なんて収納できないよ」

「本当ですか?」

「実演するよ」


 にゅっと、溝尻の手の位置の空間が歪む。そして、その歪みの中に手をつっこむと、手が透明になった。そして、何かを掴み、また手が見えるようになる。


「ロープ、ピッキング用の針金」


 ものを取り出し、床に置き、また空間の歪みに手をつっこみものを取り出し、を繰り返す。


「爆竹、ライター、ブーブークッション……ほら、こういう片手で持てる程度のものだけだよ」

「うーむ、持ち物のラインナップは、普通の学生が持っていて誇れるものじゃありませんけどね。それに重いが一応、バールも片手で持てる大きさですな」

「……あと、おいら見たんだ。『窓が割れていてラッキー』って講堂前の部屋に入る前に、人影が部屋の外へと動いたんだ」


 ……つまり、アリバイのない溝尻曰く、真犯人を目撃したらしい。


「その時にそこの、紫髪の……安藤だっけ? が窓から出てきたんだよ」


 溝尻は、一花、高澤、國井以外にこの場にいる学園の生徒、容疑者のうちの一人、今まで発言せず存在感を消していた安藤を指さした。

 安藤怜栖(あんどう れいす)。高等部一年三組在籍。特筆すべきことは、薄い紫という色が地毛ということだ。一見派手だが、超能力者の地毛が派手なのは珍しい事じゃない。


「いやいや、そんな嘘っぱちのでっちあげはやめなよ。僕じゃないから。君でしょ?」

「おいらじゃないよ。確か安藤は変身系の能力者なんだよね? 全身黒塗りの人影に変身することもできるはずだよ」

「……僕の超能力は、自分の身体に猫耳としっぽを生やす程度のものです、ほら」


 安藤は、ぴょこんと体から猫耳としっぽを生やした。


「嘘つけ! 本当はもっといろいろできるんでしょ?!」

「本当だって!」

「参ったな……我が校、蝶脳緑学園は超能力者の生徒のプライバシーの尊重という点に重きを置いている学校です。無理やり超能力を暴くようなことをしては規約違反になる。研究所を頼るしかないのか……」


 学長は、そうつぶやいた。


「こほん、流れをもう一度おさらいしましょう」


  松下先生が、咳払いした。


「まず昨日、五月十四日の午後十一時、窓ガラスが破られた。窓の外側の侵入の際の足跡はかき消されていてなし。部屋の内部にもなし。五分後に、溝尻くんがやってくるも、既に絵は無かった。彼の超能力で絵を持ち出すことは不可能。しかし、溝尻くんは絵を持ち出した犯人は安藤くんであり、目撃したと主張」


 溝尻がかなり怪しいが、一応矛盾点もある。安藤の自己申告した超能力が及ぶ範囲が嘘で、本当に透明化などができれば、監視カメラに誰も映っていないのも、絵を持ち出す方法も説明できる。


「そして今朝、椎名くんの下駄箱に、おそらく昨日の放課後に、犯行予告が入れられていたと」


 ここで、松下先生は話すのを止めた。


「うーむ、困りましたね。学園付属の研究所にこの失態を話さないといけない、それはとても嫌だ。命に代えてもしたくない」


 学長は小声でボソリと嘆いた。

密かに生徒たちの超能力の開示を、研究所に求めれば教員たちも生徒の超能力を規定に触れずに調べることができる。しかし学長は本当にそれが嫌なのだろう。学校側が研究所側に借りを作ることになる。学長と、研究所の所長は仲が悪いのだ。


「奇妙な事件ですな。真相を暴こうにもどうすればいいのかわかりません。保留です、保留」


 学長はそう締めた。結局、その日は真犯人はわからずじまいだった。




「俺さ、許せないよ、学園の絵を盗むだなんて」


 事件解決が保留になった直後、三人で渡り廊下を歩いていると、一花にしては珍しく、そんな正義感溢れる言葉を放った。いつもなら『はー、やっと開放されたわ』といい、もう二度と自分から事件にかかわることはないだろうに。


「だから、真犯人を見つけようと思う」

「おっ、迷探偵一花くんか。いいね」

「……本当に褒めてるか、それ」


 高澤がそう冷やかすが、音としては「名探偵」と同じであるので一花はそう返した。


「これからどうするんだ? 一花」

「そうだな……とりあえず、容疑者候補に聞き込みだ」


 國井の問いに、一花はそう答えて方針を固めた。

 渡り廊下で、講堂前のホールから出てくる人物を待つ。


 最初に出てきたのは安藤だった。髪をがしがしとかき混ぜながら歩いてくる。が、こちらに気づき凝視し、さっと何もない顔をして目線を別の方向を向かせる。この間、一秒である。


「おい、安藤」

「ヒエッ! 一花……くん」

「お前に聞きたいことがあるんだ、いいか?」

「え、あ、うん、もちろん」


――なんだか、挙動不審だなこいつ――


 國井は少し警戒した。


「まず、昨日の午後十一時頃、何をしていた?」

「ああー、えっと、普通に寝てたよ」

「本当か? 普通に、とはどんな?」

「その、ベッドで寝ていた」

「ふぅーん、じゃあ次。お前の変身能力、猫耳としっぽだけ、というのは嘘か?」

「…………本当だよ」

「今間があったね」

「本当だよ、もしかして、僕を疑っているのかい?」

「うん」

「ヒュ~、ド・ストレートぉ」


 高澤がはやし立てるが、「うるさい」と一花は顔を歪めた。


「……じゃあ、明日の放課後、ここに来たら本当のことを教えるよ。ちょっと待ってね」


 安藤はポケットに入れたメモ帳をちぎり、同じポケットに入っていたペンでちぎった紙に文字を書いた。それを、一花の手に両手で包み込んで握らせる。


「じゃ。後ろの高身長二人にも、誰にも場所は教えずに一人で来るんだよ」


 安藤は、去っていった。


「一花それ、なんて書かれているんだい」

「『体育館倉庫で待つ』だって」


 本人がいないのをいいことに、あっさり教えた。


「ふうん、なんか、淫らな匂いがするよ」

「うわっ」


 後ろを向いて、高澤と國井にちぎられたメモ帳の紙を見せていた一花は驚いた。真後ろには、溝尻がいた。その一歩後ろ斜めには松下先生もいる。


「淫ら……って?」

「よく見るシチュじゃん! 体育館倉庫って薄暗くて、マットがあるっしょ? 扉に鍵かけられて、逃げれ無くされて、暴漢、輪姦、処女喪失レイプ」

「こら、溝尻くん、未成年なのにそんなものを閲覧していたのですか」

「別にいいじゃん?」


 おどけた調子で言う溝尻に、大人らしく真面目に注意する松下。問題児と生徒指導主事ゆえに、交流らしきものもあるのだろう。正反対な二人だが、意外とギスギスした雰囲気はない。


「溝尻、訊きたいことがあるんだけど」

「ん? 何?」

「……なぜ昨日、絵を見に行こうと思ったんだ?」

「んーと、なんとなく?」

「なんとなくって……」

「急に絵が見たい!って思ったんだもーん」


 という理由と態度に、その場にいた全員が呆れたであろう。


「溝尻の超能力は、本当に片手で持てるものしか出し入れできないのか?」

「うん。アニメのドラえもんの四次元ポケットみたいな。あでも、ドラえもんは扉とか電話ボックスとかをポケットから出せちゃうけど、おいらには無理だね」


 しばらく話をしたが、のらりくらりと溝尻はふざけてばかりで収穫は得られなかった。数分後、溝尻と松下は去っていった。




「容疑者全員に話をきいたが……安藤が怪しいな」

「うん、明日俺、体育館倉庫に行ってみる」

「……いざというときは私が助ける。体育館倉庫には格子窓があるだろう。そこから様子を窺うよ」

「頼んだ」

「俺も。俺も一花くんを守るよ」

「……おう」




 五月十六日。明くる日の放課後一番に、一花は窓からこっそり高澤と國井に見守られながら、一人で体育館倉庫へと入った。


「やあ、一花……くん、本当に来てくれたんだね。嬉しいよ」

「来たぞ。さあ、お前の言う“本当のこと”とやらを話してもらおうか」

「……一花たんさあ、先週まで学園組織“I”に付け狙われていただろ?」

「い、一花たん?ってなんだ……なんでそれを知っている」

「ふふふ、他でもない、この僕が! 学園組織“I”の一人だからさ」


 安藤は胸に手をあて、芝居かかった仕草でもう片方の腕をばっと広げた。


「まじか、あの中二病ストーカーの仲間かよ。キモ。つか、絵画盗難事件に何も関係ねえし。でも、そうか……」

「中二病スト……」


 安藤は少し精神的ダメージを受けたようだった。


「こほん、先週入団したばかりの僕が言いたいことは二つある。一つ目は、一花たん、君は“I”に入ったほうがいい。予言者なんだろう、それなりの地位が確約されるはずだ」

「ああ、断る」

「なんで!?」

「予言っつても、そんな便利なものじゃないし、超能力を使わされるたびに苦しいからな。期待されても困るし、何よりそんな謎の組織(笑)に入りたくない」

「謎の組織(笑)じゃないよ。“I”は世界征服を目的とした、さまざまな財閥が裏で関わっている巨大組織だ!」

「何も変わんねえじゃん」


 熱量を持って説得しようとする、“I”団員に、一花はしらけていた。


「で? 二つ目は?」

「ぐぬぬ………………二つ目はね、一花たんにも伝わっていると思うんだ、この愛が」

「は?」

「え? まさか、毎日送っていた君の下駄箱へのラブレターを読んでいなかったのかい?『はあはあ、今日もかわいいね。愛してるよ』」

「! まさか……」

「そうだ、あれを書いていたのは、僕さ!!!」

「マジかよ……」

「だから、僕らはもう結婚してもいいと思うんだ。ということで、夫婦が愛の営みをするのは当たり前だよね?」


 一花は一歩後ずさる。


「キッ……嘘だろ」

「さあ、一花たん。その身を僕にゆだねて……」


 安藤が一花の体に触れようとしたとき。




「エネルギーマニピュレート!!!!」




 安藤に、高火力のエネルギー弾が、体育館倉庫の壁を突き破って直撃した。


「一花! 無事か!」


 國井の超能力・原動操力<エネルギーマニピュレーション>である。体育館倉庫は半壊で、騒ぎを聞きつけた生徒や教員がこちらに向かってくる。


「ああ、なんとか。ありがとう」

「國井強え~、けど技名叫ぶ派なの? カッコ悪」

「いやいや、こういう技は叫んだ方がカッコイイだろう!」

「危ねえ! 皮膚をサイの皮に変えておかなかったら命が危なかった……!」


 男子二人が技名叫ぶ叫ばない問題で言い争っているうちに、瓦礫から安藤が這い出る。


「……つまり先ほどの話をまとめると、一花をストーカーしていたのはお前で、毎朝の気持ち悪い怪文書を出していたのもお前で、レイプしようとしていたのもお前だ。そんな奴の命なんて、どうだっていいだろう」


 小動物が尻尾巻いて逃げだしそうな声で國井はそう言う。


「ひえっ、違、ストーカー……は僕じゃ」

「まあまあ、國井くんや。こんな奴は、この騒ぎを聞きつけてやってきた先公どもにどうせ、しょっ引かれるっしょ。それよりも一花たん、こいつを今どうこうする権利が君にはあるぜ?」

「そうだな……」


 日常で一花を悩ませていた事件の数々はこいつの仕業だった。どんな恐ろしい、生き地獄のような罰を申し付けるのだろう、と國井は見守っていた。


「……一発殴らせろ」

「え」


 ばきっ。一花の拳が、安藤の頬に食い込んだ。

――さすが一花! 慈悲深い。生き地獄のような罰ではなく、一発で終わるものを選ぶとは――

 國井はそう、感嘆したのだとか。




 教員たちに、体育館倉庫を半壊させたことのあらましを伝え、「國井、過剰防衛だ」と注意されはしたものの、被害はぼろっちい体育館倉庫だけだったので、一花たちにそれ以上のお咎めはなかった。

 安藤は能力詐称をはじめとした様々な罪状で、一週間の停学処分と一日間研究所送りになったそうだ。

そして「皮膚をサイの皮にしていなかったら危なかった」という安藤のつぶやきにより、彼が能力を詐称していたことがわかった。安藤のアリバイも怪しい。寮は、消灯時間になるとエントランスへの鍵がかけられ封鎖されるが、窓からなら夜中に抜け出すのは可能だ。足をなんらかに変身して強化させ、飛び降りればいい。


「ますます、犯人がだれなのかわからなくなったな」

「もう、安藤と溝尻の共犯という線も……」

「いや、意外と溝尻は白じゃない?」


 そんなことを話しながら、夕暮れに染まった寮への道を三人で歩く。


「そういえば、一花くん。決意していたストーカーとの対決って、アレで終わり? あいつは『僕じゃない』とか言っていたけど」

「! バ……」

「ストーカーとの対決? 一花、それってどういうことだ?」


 國井が、目に圧力を渦巻かせながら一花の顔を覗き込む。一花は冷や汗がだらだらと滲み出ていた。


「あの~、そのですね。……一昨日、お前と寮で別れたあとに予言があったんだよ」

「なんて?」

「『五月十四日、学園に在る絵画が盗まれる。五月十五日、汝の悩みを解決する手がかりが見つかる。五月十六日、汝は怪文書の主や“I”の者との対決が待ち受けている。汝は学園の盗難事件解決に奔走するだろう』……俺、本当に頭にキていたんだ、“I”やストーカー気質のキモい奴らに」

「一花……」

「予言書曰く、盗難事件を解決すればそれらが、全部解決するそうだから、俺、直接対決することにしたんだ」

「で、その直後に俺が一花くんの部屋を訪れた。部屋を覗き込んだらビックリ、今まで一花くんが中等部のことから取っておいた学園新聞を使って、なにかを作っているではないか」


 高澤が親指で、己を指さしたかと思いきや、両手を広げておどけてみせた。


「文字列を探すのに苦労してな、高澤に手伝ってもらった」

「そうそう、一花くんはさらにこのことを國井たちに秘密にするという契約を持ち掛けてきたのだ」

「約束、お前今さっき破ったけどな」


 一花と高澤が昨日、関係が急接近した理由はこれだったのだ。

國井が「そうだったのか……」と言うと、後ろから誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。


「椎名くん、國井くん、高澤くん!」


 見ると、学長が息を切らしながらこちらへと向かって来ていた。


「学長。どうなされましたか?」

「君たち、絵画盗難事件を解決するために奔走しているようですね」

「えっと、はい」

「疑ってすいませんでした、一花くん、君たち頼みますよ。あの絵、今日調べたら、もしオークションに出したら十億は下らないそうで……」

「なんでそんな絵をあんな薄い警備で放置していたんですか?!」


 監視カメラと、窓の警報だけ。あの貴重な絵はガラスに囲まれて守られている、とかでもなく、普通に飾ってあった。


「それは……あの絵……『我が愛しき君』の作者・伊台菜雅歌の超能力で守られていたと過信していたからですよ」

「超能力?」

「彼の超能力は“条件付け“というものでした。彼の後世に残っている作品は全て、彼の超能力である特定の、難しい条件をクリアしないと盗めないようになっているのです」

「なるほど、その条件とは?」

「わかりません、彼はそれを告げずに晩年のある日、思い立ったように何も訊くな、と『我が愛しき君』を学園に寄贈し、もう没してしまったのですから……」

「なるほど、誰も知らないはずの条件を、犯人はクリアできてしまったと」

「頼みます。もし解決できたら……」


 学長は、ピースサインを掲げた。


「ランチのデザートを君たち三人だけ二倍にするという権利を授けます!」

「お~~~~!!!」


 一花と高澤は、目を輝かせた。まだ明かされていない事件の真相を探し続ける理由が、見つかったのだった。




「そもそも一体、伊台菜雅歌が課した条件ってなんだろうか」


 理事長が去った後、國井、一花、高澤の三人は寮のエントランスにある大きめのソファに座っていた。テーブルには、紅茶が用意されている。菓子はない。

一花は、高澤のその問いに対して閃いたことを言う。


「……額縁にあった手形なんじゃないか? 手の大きさとか」


 思い出したのだ、講堂前のホールに残された白い額縁。なぜわざわざ額縁は残して盗まれたのか。それは額縁に、なにか超能力による仕掛けが施され、絵だけを取り出せるようになっていたからにほかならない。


「よし、明日調べにいこう。理事長に正式に現場に入る許可も貰ったことだし」


 一花はそう言って、適温になった紅茶を呷った。




 五月十七日の昼休み、三人は盗まれた絵の、壁にかかった空っぽの額縁を見つめる。


「そもそもどんな絵がかかっていたの?」


 転校生で、唯一『我が愛しき君』を見たことのない高澤が問い、一花が答える。


「確か、男の絵だったよ。詳しくは思い出せないけど……」

「ふーん。どんな絵だったのかを詳しく調べてみるべきじゃね。手がかりがあるかも」

「……よし、図書室に画集があるはず。調べに行こう」


 学園の図書室にて。三人は伊台菜雅歌の画集を覗き込む。

 『我が愛しき君』のページをパラパラと探し、見つける。そこには、緑の見覚えのある背景と美しい黒い短髪の、メガネの青年の絵が映っていた。

 一花は國井に話しかける。


「ねえこの背景、学園内だよな」

「ああ、見覚えがある。校舎がわずかに映っているな。この角度だと、敷地にある森から描かれたのだろう」


解説の部分を一花が読む。


「『我が愛しき君』は、伊台菜雅歌が学生時代に描いたものだ。しかし、このモデルが誰なのかは、伊台菜本人さえも知らないという。詳細が謎な作品である」

「ええ?! 『我が愛しき君』っていうタイトルなのに?」

「確かにおかしいな」


 一花は顎に手を当て推理する。


「……学生時代に描かれた作品で、伊台菜雅歌は確かこの学園が母校だ。となれば、このモデルは同じ、この学園の生徒じゃないか?」

「! そうだな、さすが一花」

「それほどでも……あるけど」

「卒業生の記録を探ってみよう。まず図書館の中を探して、なければ資料室だな。先生の許可が必要だが……」


卒業生の名簿や歴代の卒業アルバムを図書室の中で三人はそれぞれ探る。


「お、あったあった」


 高澤がそう声を上げたので、彼がいる棚に國井と一花は近づいた。


「伊台菜雅歌って、『我が愛しき君』を描いた百年前には生徒、つまりこの学園の一期生だったはずだ」

「ってことは、一番初めの記録! わかりやすいじゃん♪」


 背の高い高澤が、一番左上の、端にある分厚い記録書を取る。そしてかがみ、パラパラとページをめくって一期生の卒業生一覧を見た。


「いたいた、伊台菜雅歌。超能力は条件付けね。なんでも伊台菜雅歌が決めた特定の条件を満たさないと、その物を盗めることを不可能にする能力らしい」

「防犯に最適な能力ってわけか」

「理事長が言っていたとおりだな」


 百年ほど前までは、超能力者は異端として人々に恐れられてきた。そこに、蝶脳緑学園は超能力者の保護と研究というのを両立させた当時奇抜な存在だったのである。しかし、時代は時代。卒業生の名前の横には、超能力とその詳細が書かれている。今の時代では考えられぬことだ。


 しかし、卒業生一覧の写真の中に、あのモデルらしき男はいなかった。


「モデルは伊台菜雅歌の後輩かもしれない。二期生や三期生の卒業記録も調べてみよう」


 一花は國井の言葉にうなずき、卒業記録を棚から取ろうとした――――が、身長が足りず、届かない! 背伸びしても、届かない! つま先がプルプルしてきた。見かねて高澤は取ってやったが、一花に「チィッ」っと舌打ちされた。

 國井はそれを見て、いい気分になりながら二期生の卒業記録を開いた。そして、卒業生一覧を見ると、目を見開く。


「一花、高澤。見ろ」

「これは……!」





「おはよう高澤」

「あ、おはよ。君たち朝っぱらから一緒かよ」

「はは、なにぶん昔から一花を起こすのは私の役目でね」

「んぅ、おはよ……」


 三人は衝撃の証拠になり得る事実を抱えて寮に帰ったあと、夕食などを済ませて眠りについた。翌朝、寮の廊下は騒がしかった。


「どうしたのだろうか」

「あー、なんか、寮の絵も盗まれたらしいよ」

「なんだって?!」


 盗まれたのは、廊下に飾ってある小さな、20㎝×20cmの風景画だった。今度は額縁ごと消えている。


「あ、犯人わかったかもしれん」


 一花がそうつぶやいた。國井もうなずく。

 そこに、明るい声が響いた。


「一花たん! おはよう!」

「げ」


 そう、一泊二日の超能力者研究所の軟禁生活――という名の研究地獄――から解放された安藤怜栖であった。


「なんで俺に近づいてくるんだよ。研究地獄はトラウマモノって聞いていたんだけど」

「まあね、でも僕の一花たんへの愛には適わないよ。しかし僕のしたことは悪かった。認めるよ。その証拠に“学園組織I”も抜けてきた。結婚してほしい。なんでもでもいうこときくから」

「なんて面の皮が厚い」


 一花はドン引いて、國井の陰に隠れる。


「……ん? 今、お前“なんでも“って言った?」

「うん!」

「ふーん……じゃあ……」




「溝尻くん」

「あ! 先生!」


 昼休み、学園の廊下で松下先生の声で呼ばれた溝尻は、花が咲くような笑みを浮かべて振り返った。


「今朝の寮の絵画盗難事件、犯人は貴方でしょう」

「あ……うん……」


 もじもじと、溝尻は手を動かす。


「私は悲しいです。なんてことをしたのですか」

「え」


 溝尻の顔から表情が消える。


「で、でもあれは先生のためで……」

「私のため?」

「だって、先生のやったことを追いつめている探偵気取りの奴らが学園内にいるんだろ? だからおいらも、同じように夜中に絵を盗んで、錯乱させようと思って……」

「はい、ストップ」


 松下先生は、懐からボイスレコーダーを取り出した。


「え、先生?」

「ばっちり記録完了っと。やったぜ! これで結婚だ!」


 松下の顔が、みるみると変わっていき、安藤の顔になった。

 物陰から見ていた、一花、高澤、國井が出てきて、ボイスレコーダーを受け取る。


「やだ。それに俺は結婚するとは言ってないし」


 一花のその言葉に、安藤はガックシと肩を落とした。

 溝尻は震えた声で脳内中に疑問符を浮かべながら、四人に話しかける。


「お、お前ら……なんで」

「いや、現場見ればわかるだろ。盗まれた絵は片手で持てるサイズの大きさだった。お前の四次元ポケットに収納できる大きさだ。一か八かで、安藤に松下先生に化けてもらったが大きい収穫だったな」

「くそ……」

「さあ、吐け。お前に逃げ道はない」

「ぐ……」


 溝尻は逃げ出すが、高澤が追いつく。が、溝尻は転び、高澤に両手を確保された。

 尻もちをついている溝尻を見下ろして、一花は言う。


「真犯人も、俺らはわかっている。黙秘したって無駄だ」

「……あのさ、黒塗りの人影がいたって言ったじゃん」


 苦い顔で、観念して溝尻は話し出す。


「あれは嘘。暗かったけれど、人影は黒塗りではなかった最初は、暗闇でよく見えなかったんだけどね、その人影がおいらの名前を呼んだんだ。『溝尻くん?』って……松下先生だったんだよ。それで松下先生に正体を明かされたんだ。本当に松下先生っぽいから、先生のアリバイのためにおいらは……人影を安藤ってことにして証言するってその時約束した」


 溝尻はグッと、唇を噛む。


「おいら、あの人を守りたかったよ。おいらは、あの人のこと……好きだからさ。いたずら好きなおいらに唯一、呆れずに、レッテルを貼らずに向き合ってくれたから」




「――ということがありまして。決定的な証拠でしょう。言い逃れはできませんよ」


 放課後、第一の盗難事件現場にて、ボイスレコーダーを片手に持って一花は松下にそう言い放った。周りには高澤、國井、学長がいる。学長は、ぽかんと口を開けて固まっていた。


「……フッ」


 松下は嗤う。一花はその様子にむっとして「一から説明してやる」と話し始めた。


「松下先生、本当は非超能力のフリをしているけど、超能力者なんだろ? お前の超能力は『認識改変』。松下先生に関する認識を改変できてしまう。監視カメラの映像も、その能力を使えば透明人間だし、百年前の人間もただのおっさんだ。しかも、身体能力も自らの脳を騙すことによってアップできる。窓を割って絵を持ち出す体力もできる。それにおそらく、伊台菜雅歌が遺した『我が愛しき君』を盗む条件は『蝶脳緑学園百周年の五月十四日に、額縁の手形に松下先生の手を合わせること』だ」


 一花の言葉に國井と高澤が続く。


「詰めが甘かったですね、先生。卒業アルバムの認識改変、忘れていましたよ」


「あーあ、そんなんだから『我が愛しき君』って一時期熱愛中だった伊台菜雅歌にも捨てられるんだよ」


「ッ――うるさい!!!」


 いらぬことを言った高澤の言葉に激高して、松下は俊敏に一花に殴りかかる。

 國井は、殴りかかった男を止めようと走り出す。


「危ない!」


 その一瞬、國井たちの視界は真っ黒に染まった。数秒後、視界が明るくなったが、顎に拳を喰らった様子の松下が倒れていた。その正面には、拳を握りしめた高澤がいる。


「あっぶね」


 高澤がヒューと口笛を鳴らす。


「今のは……高澤が?」


 國井が問う。


「おう、俺の超能力・明度操作を使った。つっても大ぶりに動いている奴にしか効かないザコ能力だけどよ」


 弱弱しく、松下は起き上がる。


「そうか、雅歌は死んだのか」


 そして、そう呟いた。


「わかりました……おとなしく、私は縄につきましょう。一花くん、殴りかけて誠に申し訳ございませんでした」


 そのとき。バン!と大きな音を立て、ホールの南側の扉が開いた。


「先生!」

「?! 溝尻くん、なぜここに……」


 溝尻は、講堂前のホールへの渡り廊下に続く扉で聞き耳を立てて、中の様子を伺っていたのだ。真犯人追及の場所と日時は、一花たちが前もって予告していた。


「先生……おいら、先生のこと」

「溝尻くん、私は君の想いに答えることができません。しかし君の幸せを願っています」


 松下は穏やかな、憑き物が落ちたような笑みを浮かべる。


「私はこの学園で出会った、雅歌の一つ下の恋人でした。しかし、彼には許嫁がいたため彼の私に関する記憶を一期生卒業日前日に消し去りました。そして私は卒業後彼にも、この学園にも寄り付きませんでした。しかし、未練があったのでしょうね。認識改変能力を駆使し、非能力者のこの学園の教員になり、あの絵を自分のものにする機会をずっと伺っていました。生前、雅歌本人が言っていた『百周年の五月十四日』を待って……」

「先生……」

「よく学び、私のように超能力を悪用せず、健やかに生きてください。これが私の願いです」


*****


 溝尻のいたずらの噂は、最近聞かなくなった。あの事件から、彼は人が変わったように優等生になったのだ。松下はもちろん、盗難事件の犯人として牢獄に収監されている。


「……お前の超能力、ガチ恋ビームじゃなかったのかよ」

「え? 違うけど? もしかして一花ちゃん、あの冗談を真に受けてたの~?」

「う……う、うるさい!」

(やれやれ、これだから高澤は……ん? 一花は超能力で、高澤に不調を感じさせられていたわけではないのか!? なんだ?! このモヤモヤは?!)


 事件後も、一花、高澤、國井は今日も一緒にいる。食堂で、他の生徒より二倍のデザートを食しながら。

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ガチ恋ビームを姫君♂に 江都なんか @eto_nanka

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