第34話 帝国の異変

「夜のレガリア帝国は、賑やかでワクワクしちゃうなぁ」


 屋根の上に現れた、一人の少女。

 酒場を始めとして、まだ騒がしい大通りの様子を見下ろしながら、楽しそうに笑う。

 大きな目に、肩口で揺れる淡い桃色の髪。

 黒色のセパレート水着にショートパンツという格好の少女は、背丈こそやや小柄なため子供っぽくも見えるが、のぞく胸の谷間が妖しい色気を感じさせる。

 コンパクトな大きさの黒翼は、彼女が人間ではないことを示していた。


「天才サキュバスのナタリアちゃんが、帝国の皆を夢中させちゃうぞぉ……そして、んふふ」


 何かを目論む妖しい笑みを浮かべた後、こちらに気づいた男に軽くウィンク。

 その可愛さに、男は一撃で胸を打たれた。

 今夜も、その魅力は絶好調。


「たーいへんな事になっちゃうから、覚悟しててねっ」


 勝利を確信した余裕の一言と共に、サキュバス少女は夜の街へと消えていく。

 帝国に、大きな危機が迫っていた。



   ◆



「また衰弱者か……」


 作業中の俺たちの前にやってきたアテナは、いぶかしそうにしながら言った。


「魔導士シャルル」

「ちょっと待って、これ運んだら今日の石膏運びが終わるから」


 デッサンモデルに石膏運び、そして陶器用の粘土掘りという懲罰労働。

 俺は不敬エロ漫画の罪で、連日働きづくめだった。


「運びながらでいい。昨今、帝国内で急な体調不良者が出ている。中には寝込んだまま動けない者もいるようだ」

「へえ」

「この件に何か、関わっていないだろうな」


 アテナは本来宿敵であるはずの『魔導士シャルル』に、めちゃくちゃ怪しむ目を向けてくる。


「ねえよ。こちとら連日の懲罰労働で、帰宅即就寝だからな。アテナも知ってんだろ」


 最近はもう生活が健康的過ぎて、ナハールと「これはこれで意外と……」みたいな話をしていたくらいだ。


「それが懲罰というものだ。姫や騎士団を愚弄するような内容の頒布物。これは帝国の瓦解を狙った作戦の可能性もあるとにらんでいる」

「そんな大それたこと、考えてねえって」


 次の『ネタ』は考えてるけど。


「とにかく、謎の衰弱はまだ小規模なものではあるが、念のため様子を見ておこうと思う」

「いってらっしゃい」

「お前も来るんだ。これは魔導士シャルルが信用に足るかどうかを、見極めるためでもある」

「ええー……」


 なんであれ、石膏運びはこれで一段落。

 俺は腰を二度ほど叩いて伸びをすると、アテナに続いて城内へ向かうことにする。

 そして騎士団でケガ人が出た時などにも使われる、救護室へやってきた。


「城内の従事者で衰弱したものたちは、ここで休んでいる」


 救護室に入ると、三人の体調不良者がベッドに寝込んでいた。


「うひひひひっ」

「うひょひょ、えっちだねえ」

「あっ、ああっ、あああああああ――んっ!」

「……これ本当に衰弱してるんだよね? なんか皆いやらしい笑い声をあげてるんだけど」

「ああ。それは間違いない」


 目の前の男は枕を抱きしめて、頬をすりすりしてる。

 血色が悪くてぐったりしてるのに、浮かべた笑みは気持ち悪い。

 こういうのって普通、苦しそうなうめき声をあげるものなんじゃないの?


「よく分からないが、魔法薬には活力の出るものもあるのだろう?」

「むしろそういう効果のものが基本だな。肉体疲労とかだったら【マンドラゴラ】が効くんじゃないか?」

「……まんごらごら? ならば至急、その『まんごらごら』とやらを用意するように。言っておくが、何かあればすぐにお前の仕業だと分かるからな」

「怪しんでるんなら、自分で用意した方がいいんじゃない? 普通に街の魔法薬店で売ってるはずだぞ」


 別にあらためて作らなくても、流通してるもので全然いける。


「と、とにかくこれは命令だ。早く用意するように」

「怪しんでる俺に、店で買えるものを買いに行かせる理由がないと思うんだけど……」

「アテナは、魔法関係が大の苦手なのよねぇ」

「あ、プラチナ」

「この前はありがとね、シャルル」


 そこにやって来たのは、先日のトレント狩りで一緒だった魔法隊長プラチナ。

 ちょっと得意げにしながら、口を開く。


「アテナはね、小さい頃に間違えて飲んだ魔法薬でネズミに変身しちゃって、近所中のネコに追いかけ回されたの。それで食べられそうになったものだから、それ以来、魔法も魔法薬もダメなのよ。もうアレルギーかってくらい。他にも魔法で裸を――」

「む、昔の話はしなくていいから!」


 ニヤニヤしながら昔話をするプラチナの口を、アテナが慌てて塞ぐ。


「こっちは衰弱事件で忙しいんだから、プラチナも持ち場に戻りなさい!」


 そして一足飛びに昇進したライバルの昔話をうれしそうに語るプラチナを、そのまま強引に追い返した。

 それから俺の視線に気づいたアテナは、一度せき払い。


「ゴホン。もう一度確認するぞ。この衰弱事件、思い当たるフシはないだろうな?」


 そう言って、鋭い目で俺を見る。


「ない」


 ていうか、飲んだ者をことごとく青ざめた顔でヘラヘラさせる魔法薬なんて、聞いたこともない。

 魔導士シャルルの残したレシピにもなかったんだから、そんなものはないんだろう。


「いいだろう。では魔法薬の件、頼んだぞ」

「だからそれは自分で魔法薬店に状況を話して、買ってきた方が――」

「魔法も魔法薬も信用できん! とにかく魔法薬の用意はお前に任せる! いいな、これは騎士団長からの命令だ!」


 明かにビビってるアテナは『機械が信用できない老人』みたいなことを言いながら、救護室を足早に出て行った。

 考えてみれば、【幻覚剤】の時も一度気合を入れてから飲んでた気がする。

 部下からのプレゼントってことで無下にはできず、覚悟を決める必要があったんだろう。

 それなら仕方ない。

 ちょうど俺も【マンドラゴラ】の在庫を切らしてたし、街まで買いに行ってくるか。

 体調不良を治す魔導士。

 これなら多少は、悪のイメージを改善できるだろう。

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