ミラージュシティ

おひとりキャラバン隊

プロローグ

 トントン…

 トントントン…


 キッチンの方から、まな板がかなでる小気味よい音が聞こえる。


 おそらく、妹の加代子が朝ご飯を作っているのだろう。


(今日は土曜日だっけか…)


 自室のベッドで目覚めた俺は、学習机のライトスタンドに埋め込まれた液晶時計に視線を向けた。


 学習机のライトスタンドには、小学生の時に書いた俺の名前が書かれたシールが剥がれずに残っていて、そこには俺の名前、藤堂とうどうさとしと漢字で書かれているのが見える。その上にある液晶時計は、「7:00AM」という文字が点滅していた。


(なんだ、まだ朝の7時じゃないか…)


 布団を首元まで引き上げて天井を見ると、鮮やかな木目の杉の板でできた天井の手前に、自分の吐く息が白くなっているのが見える。


 2014年12月20日の土曜日、今朝はいつもよりも寒いらしい。


(今日は会社も休みだし……ん?)


 ふと俺は顔を上げて、もう一度カレンダーを見た。


 2014年12月20日、土曜日。


 ……2014年!?

 2024年じゃなくて!?


 それに、20日って、俺の記憶では昨日の金曜日の筈だ。


 俺は少しパニックになった。


 見慣れた実家の自室ではあるが、確かに布団も学習机も、俺の記憶よりも新しく感じる。


 何より、部屋の壁に掛かった鏡に映した自分の顔が…


「若い……」


 何がどうなっているのかは分からないが、鏡に映った顔は、確かに見覚えのある高校生の頃の俺の姿だ。


(って事は、キッチンから聞こえるこの音も、妹の加代子じゃなくて、10年前の母親が料理を作ってる音なのか?)


 俺は真新しいバネの様によく動く若々しい身体を起こし、パジャマのまま部屋を出て、ダイニングキッチンに向かった。


 ダイニングに入ると、テーブルには新聞紙を広げて読む父親の姿と、キッチンに向かって味噌汁を器によそう母親の姿があった。


「おはよう」


 俺の声に、父親が新聞紙を少し下げて

「おはよう」

 と返し、母親も味噌汁の器をテーブルに並べながら、

「おはよう」

 と返し、「ちょうど朝ご飯が出来たとこだから、サトシもそこに座んなさい」

 と言いながら、テーブルに並べた漬物の盛合せから、ナスの漬物をひと切れ取り上げ、自分の口に放り込んだ。

「うん、よく浸かってる」

 と満足気な表情を浮かべる母の顔は、確かに10年前の母だった。


 父の顔は新聞紙に隠れて見えないが、新聞紙で隠れきらない頭部の髪は、まだ白髪も少なく若々しく見えた。


(どういう事だ?)


 心の中では動揺していた俺だったが、表面上は冷静なフリをして母親が促すまま席に着き、目の前に焼き魚や湯気を放つ味噌汁、そしてホカホカの白飯が並べられるのを見ていた。


「加代子はもう出たのか?」

 新聞を読み終えたのか、父親が手にした新聞を折りたたんでテーブルの端に置き、ちょうど席に着いた母親に向かってそう訊いた。


「とっくに出たわよ。6時には出ないと間に合わないって言って、バタバタ急いで準備してたもの」


 加代子というのは妹の名だ。

 3歳離れた妹で、今が2014年なのだとしたら、俺が18歳の高校3年生だから、加代子は15歳で中学3年生という事になる。


「そんな朝早くから、加代子はどこに行ったの?」


 俺は気になってそう声を上げたのだが、俺の問いに答えるでもなく、両親は驚いた様に手を止めて、二人して俺の顔をまじまじと見ていた。


(俺、何か変な事言ったか?)

 訳が分からず俺は、

「な…何?」

 と声を絞り出すので精一杯だった。


「いや…、何でも無い」

 と父親は箸を手にして「いただきます」

 と、焼き魚をつつきだした。


 母親は少しホッとした様に、

「加代子は、お友達と受験する高校の見学会に行ってるのよ」

 と答えてくれた。


「ふうん…」


(何だろう。何か変だったか? そういえば10年前の俺って、どんな風に両親と会話していたんだっけ…)


 もやもやした気持ちはあったが、俺も箸を手にして、

「いただきます」

 と言いながら味噌汁の器を持ち上げた。


 ズズズとすすった味噌汁は、懐かしい味がした。


 薄く切った大根と人参。小さく刻んだ椎茸が、程よい塩味の味噌汁と相まって、俺は胸が熱くなるのを感じた。


 俺が昨日まで居たはずの2024年12月20日では、俺の両親は既に他界しており、妹の加代子との二人暮しをしていた。


 なのに両親は目の前に確かに居るし、加代子は高校受験の為に、早朝きあら高校の見学に行ったという。

 俺自身もさっき鏡に映った自分の姿を見る限り、高校生の頃の俺に戻った様に見える。

 つまり、やはりここは、10年前の自宅という事になる訳で…


 そういえば、この頃の俺は、妹とはそれなりに仲が良かったが、両親とは少しギクシャクしていたような気がする。


 大学受験の為に毎日勉強ばかりで、ストレスを抱えてイライラしていた時期だったような気がする。


(そうか…、さっきの両親の驚いた顔は、俺が妙に落ち着いて見えたからか…)


 両親共に学歴が高卒だったからか、俺が大学受験をする事については、俺の意思を尊重してくれていたのを思い出す。


 当時は「何かアドバイスとか無いのかよ!」と憤慨していたものだが、今にして思えば、両親は分からないなりに、俺に色々な自由を与えてくれていたんだよな。


 なのに当時の俺は、勉強疲れでイライラして、親に怒鳴ったりした事もあったっけ。


 両親が死んでからは、俺も妹の加代子も、両親のそうした気持ちを痛感する事になった。


 両親が残した家、コツコツと貯めていたらしい俺たちのお年玉貯金、さらに両親の生命保険の受取人が俺達に設定されいたあたり、人生の多くを俺達に捧げていた事を知ったからだ。


 おかげで、俺たち兄妹は大学と高校を無事に卒業し、その後は二人とも就職する事にしたのだった。


 父親は大手商社に勤めるサラリーマンで、母親は専業主婦だった。


 決して裕福な家庭では無かったが、貧しい訳でも無く、いわゆる中流家庭というところだ。


 だが、2011年3月に起きた東北の大震災の影響で、需要が低迷した日本経済の打撃を受けて、父親の会社は業績が悪化した様だった。


 2016年1月には会社の早期退職者の募集に父親が応募し、いくぶん上乗せされた退職金を得て、3月末を以て退職する事になった訳だ。


 その時の俺は大学2年生。妹の加代子は高校2年生だった。


 2016年の夏休み、俺は大学のアウトドアサークルの集いで、富士山の麓まで1週間のキャンプをすることになっていた。

 妹の加代子も同じタイミングでバレー部の合宿があった様で、同じく1週間程度自宅を留守にするという事だった。


 そのタイミングに合わせて両親は夫婦水入らずで海外旅行をしようという事になり、シンガポールで2010年に開業したマリーナベイ・サンズを予約していたのだが、シンガポールに向かう飛行機が墜落事故を起こし、両親は帰らぬ人となったのだった。


 事故の連絡を受けたのは俺だった。


 加代子は既に合宿に出た後で、俺はキャンプ道具を大きなリュックに詰めて出発を翌日に控えて準備していたところだった。


 自宅の電話にかかって来る電話なんて、何かの営業か役所からの連絡ばかりでロクな話じゃない。


 が、その時の俺は、何故か胸騒ぎの様なものを感じて、その電話には出ないといけない様な気がしたのだった。


 電話の相手は旅行会社だった。


「藤堂さんのお宅ですか?」

「はい、そうですが?」

「あの…、わたくしハッピーツーリズムの佐藤と申しますが…」

「はぁ…」

「あの、藤堂健治様とサナエ様のご家族の方でしょうか?」

「はい、息子ですが、どういったご用件ですか?」

「あのですね…、藤堂様ご夫妻が搭乗されていると思われる航空機が墜落したという連絡がこちらに入りまして、確認の為にご連絡をさせて頂いている次第でして…」

「……は?」


 その時の俺はどれだけ間抜けな声で対応していたのだろうか。


(飛行機が墜落?)


 その時の俺はすぐにテレビを点け、ニュース速報か何かで報道されていないかを確認したのを覚えている。


 そして、テレビ画面が明るくなると同時に、そのニュースが俺の目に飛び込んできた。


『先ほど、シンガポール航空117便がフィリピン沖に墜落した模様だという情報が入ってきました。現在はフィリピン政府が軍隊に救助隊の出動を命じたという情報が入っておりますが、詳細は分かっておりません!』


 電話の向こうでは、

「健治様とサナエ様は予定通り出発されておりましたでしょうか?」

 など、他にも色々質問していた様だったが、俺の頭は、まるで鈍器で殴られでもしたかの様にジーンと痺れてうまく考えがまとまらず、どう答えたのか思い出す事が出来ない。


 ただ、今朝早くに両親が玄関先で、いつもは見せない様な楽し気な雰囲気で、

「じゃ、1週間ほど留守にするけど、戸締りだけはしっかり頼むぞ」

 という父親の声と、

「熱中症には気を付けるのよ」

 という母親の声に、

「分かってるよ。もう子供じゃないんだから、そんな心配するなよな」

 とぶっきらぼうに俺が答えたのが、親子の最後の会話になってしまうのかという後悔の様なものが頭の中を支配していた。


「あの、藤堂さん? 聞こえていますか? 藤堂さん?」


 電話の向こうでは旅行会社の人が何度もこちらに呼び掛けているのは分かっていた。


 が、俺は、何をどう答えたのか分からないままに、

「分かりました。あとはこちらで何とかします」

 と言って電話を切ってしまった事だけは覚えている。


(……けど、今は違う。目の前には両親が生きて、そこに居る)


 俺はテーブルの料理を無言で平らげ、

「ご馳走様」

 と言って立ち上がり、「いつもありがとうな。母さん」

 と続けて、自分の部屋へと戻ったのだった。


 その姿を両親は、目を丸くして見ていた。


 母親がぼそりと、

「今日のサトシ、何だか男前ね」

 と呟いた声が、自分の部屋に入って扉を閉める直前、俺の耳にかすかに届いていたのだった……

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