第16話 迷子のつむちゃん
ぱかっと目が覚めて、みーちゃんは転がりながら身を起こした。
もぞもぞとお尻を揺らし、四つん這いからよいしょと立ち上がる。寝汗で髪が顔にくっついていたが、くしくしと顔を擦れば簡単に剥がれ落ちた。
きょろ、と辺りを見渡せば、周囲には誰もいない。
数日前から三人体制のメイドが貼り付いてみーちゃんを見守っていたのだが、昼寝の時間はボーナスタイムだ。休憩時間で、丁度見守る人がいなかった。それはとても珍しい、連絡ミスからの隙間時間。
みーちゃんがいつもより早く目を覚ましたのも、その隙間時間だった。
みーちゃんは一緒に寝ていた白いうさぎのぬいぐるみを抱え、きょとんと大きな目を瞬いた。
「つむちゃんどこ?」
寝起きのちょっとかすれた声が睦美を呼ぶ。
しかしお返事はない。
みーちゃんはむっと唇を突き出して、勇ましく一歩踏み出した。
「つむちゃんどこー?」
誰もいない空間に問いかけながら、とことこと部屋を見回っていく。
みーちゃんが眠っていたのは、寝室の床。そこに柔らかいカーペットを敷いて、毛布を敷いて、タオルケットをかぶってぬいぐるみと一緒に眠っていた。高いベッドでは落下の危険があるからと、メイド達が寝室だけ土足禁止にして清潔を保っている。
みーちゃんは裸足でとことこ部屋を周回した。
「つむちゃーん」
天辺で結んだ前髪がぴょんぴょん揺れる。
呼んでも現れない睦実に、みーちゃんはふむとぬいぐるみと顔を合わせた。
「つむちゃん、また迷子よ」
大きなうさぎを抱き直し、みーちゃんは仕方がないなと嘆息する。
「早くみーちゃんがみつけてあげないと、つむちゃん泣いちゃう」
みーちゃんにとって、睦美は泣き虫なお姉さんだった。
お姉さんだけど、迷子で帰れないお姉さんだ。迷子の迷子のお姉さん。
お家がわからなくて、帰れなくて泣いているから、みーちゃんが慰めないといけない。
だってみーちゃんもお姉さんだから。
お姉さんだから、身体のおっきなつむちゃんだって慰めることができるのだ。
そのためには、つむちゃんが迷子にならないように、傍にいなくてはいけない。
なのにつむちゃんはしょっちゅういなくなるので、みーちゃんは困っている。泣き虫なのにみーちゃんの傍を離れるなんて、そんなんだから迷子になっちゃうのだ。みーちゃんは知っている。
だってお母さんがそう言っていた。
【迷子になったら、動いちゃだめよ。知らない人にもついて行っちゃだめ。お母さんが絶対見つけるから、みーちゃんは音を出して教えてね】
人の多いスーパーで。
遊びに行った公園で。
お母さんがいなかったら。知らない人に声を掛けられたら。
いろんな方法で音を出して知らせてね。
お母さんがそう言っていたから、みーちゃんはがんばって大きな声でお母さんを呼んだけど、まだお迎えが来ない。
代わりに来たのはつむちゃんだった。
けど、つむちゃんもみーちゃんと同じ迷子である。お家に帰りたいと泣く迷子である。
だから、二人で一緒にお母さんを待たないと。
「もー、ちかたないつむちゃんですね!」
迷子になったなら、探しに行かないといけない。何故ならみーちゃんはお姉さんだから。
つむちゃんがちゃんと、迷子になった所から動かないでいれば見つけられるはずだ。
だって迷子は、大きな音で見つけてと知らせてくれるのだ。
みーちゃんはよいしょっと、扉を押した。
ドアノブを回さなくても、押すだけで開く。何故ならみーちゃんが押したのは、寝室の外に出る扉ではなく中扉。寝室から普段過ごす部屋に繋がる扉だったからだ。
みーちゃんは知らないが、睦美はみーちゃんが昼寝をしている間は、そこで勉強をしていた。
今日もそうだった。
今日も睦美は、勉強をしているはずだった。
だから本来なら、ここでみーちゃんは勉強中の睦美と顔を合わせて、おはようと挨拶をするはずだった。
だけど扉の先では。
「…これはこれは、勇者様。そちらにいらしたんですね」
真っ黒いおじさんが、開いた扉に気付いて顔を上げた。
知らないおじさんだ。
みーちゃんは扉を身体全体で押し開けながらぎゅっとうさぎを抱きしめた。このまま寝室に逆戻りしたくなる。
だけど。
「つむちゃん」
おじさんの前で、つむちゃんが寝ている。
真っ黒いリボンが蜘蛛の巣のように睦美に絡みつき、見えない台に乗せられたように大の字になっている。
「つむちゃん?」
呼びかけても、お返事がない。
みーちゃんの位置からだと、睦美の顔が見えない。みーちゃんの身長より高い位置に、彼女は。
ふと。
見上げていたみーちゃんは、床を見た。
ぽたぽたと落ちる、赤い雫を、見た。
「…つむちゃん」
睦美からしたたり落ちる、それは。
それは、痛いときにでるものだ。
ぶわっと腹の底から全身に広がるように、みーちゃんの産毛が逆立った。
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