第2話 美佳里視点:失恋の不安
あの日は、軽いノリだった。静子が、しーちゃんが「試したい事がある」と言うので、その誘いに好奇心を抱いてしまった。あの子の考える事は、面白い。周りの人は、分からないけど。小さい頃から彼女を知るあたしは、それが夏の冒険、「大人の世界を知る冒険だ」と思った。
大人の世界はきっと、面白い。子どもの自分に夢を、大きな浪漫を与えてくれる。玄関から続く廊下を進み、そこから家の階段を登った時には、その言いようのない興奮に包まれてしまった。あたしは彼女の隣に座り、彼女の話を聞いて、その唇にキスをした。「う、うううっ」
そう言いながらも、キスの感触を味わった。薄くて弾力のある感触を、唾の苦みと塩みがあるキスを。窓から差し込む夕暮れの中に感じたのである。
あたしは親友とのキスに「ぼうっ」としたが、何かの一戦を越せそうな気配、内なる感情に飲まれるような感覚を覚えると、それに抗うようにして、彼女に「帰るね?」と言った。しーちゃんも「それ」にうなずいて、私の背中を見送った。
あたし達は……うんう、「あたし」と言った方が正しい。あたしは自分の気持ち、それが原因で生まれた熱を抑えられなくなった。自分達の周りに誰も居ない時、それを邪魔される心配がない時、周りの目を盗んで、彼女の事を求めるようになった。「しーちゃん」
好き、大好き! その身体、心、全部。あたしは自分の本能に従って、親友の神秘に触れつづけた。思い出の小学校を卒業した後も、不安定な欲望に従いつづけた。あたしは友達の誘いでバスケ部に入った後も、彼女の親友、親友以上の関係を保ちつづけた。つづけたけど、それがずっと同じだったわけではない。
しーちゃんも学校の美術部に入ったり、あたしも学校の部活が忙しくなったりした。彼女と過ごす時間よりも、周りのみんなや部員と過ごす時間が多くなった。挙げ句の果てには、下級生の女子からも告白される始末だし。小学校のような、二人だけの時間は過ごせなくなった。
あたしはそんな日々に不満を抱きながらも、一方では学校の部活に精を出し、授業の内容をしっかりと聴き、友達との女子トークに咲かせた。
そんな毎日に変化が出たのは、中学一年の秋だった。夏休みの余韻も消えて、部活の新人戦に闘志を燃やす季節。山の紅葉や、町の小川を見て、それに情緒を感じる季節。その真ん中にアレが、あたしの精神を揺さ振る出来事が起こってしまった。
あたしは部活帰りに寄ったドーナツ屋さんの中で、その出来事に衝撃を受けた。「フラれた?」
相手は、それにうなずいた。心の底からガッカリした顔で、周りに自分の想いをぶつまけた。「『気持ちは、嬉しい。でも、そう言う対象じゃない』って。私達、小さい頃からずっと」
一緒なのは、分かった。中学からの友達ではあったけど、彼女と彼がそう言う関係だったのは知っていたし、彼女がそう言う想いだったのも知っていた。部活が終わるとすぐ、彼の所に向かう姿は、恋よりも恋している女の子、子どもから大人になった女の子だった。
あたしは周りのみんなと同じ、彼女に対する同情を抱いて、その気持ちを何とか宥めようとした。「そっかそっか。あたしは、まだ……」
そう言い掛けた瞬間に「あっ!」と思った。そう言う経験はない。経験はないが、これからする可能性がある。しーちゃんと二人きりになった状態で、彼女に自分の気持ちを打ちあけるかも知れなかった。
あたしは、その可能性に身震いした。どんなに近い関係でも、こうしてフラれる時もある。今までの関係が壊れるような、そんな失恋が待っているかも知れなかった。親友が親友でなくなる失恋は、今のあたしが一番に怖れる事である。
あたしは友人の失恋に「気にしない、気にしない」と言って、彼女の気持ちと、そして、自分の気持ちを慰めた。「別の恋が見つかるよ、きっと」
だから、落ち込まないで。そう自分にも言い聞かせて、いつもの日常に意識を戻した。学校の授業に向きあう日常、友達との会話に盛り上がる日常、部活の汗に酔い痴れる日常。そんな日常にまた、戻っていった。
あたしは学校の廊下でしーちゃんとすれ違った時、あるいは、二人きりの状況になった時だけ、彼女との会話に胸を躍らせた。自分の弱さを、失恋の恐怖を隠すように。あたしは中学の三年間、表の光に隠れて、裏の闇を隠しつづけた。
裏の闇は、中学を卒業しても消えなかった。スポーツ推薦で市内の公立高に入れたあたしだが、そこに一般入試のしーちゃんも入った。中学の制服を着て、自分の番号を探すしーちゃん。その隣で、彼女の横顔を眺めるあたし。あたし達は合格発表の空気が渦巻く中で、二人だけの緊張、二人だけの沈黙を感じつづけた。「あった……」
そう呟くしーちゃんの視線を追って、あたしも合格発表の掲示板を見た。掲示板には様々な番号、0から始まる合格者の番号が書かれている。あたしは掲示板の中に番号を見つけると、周りの視線を無視して、彼女の身体を抱きしめた。「緊張」と「不安」、そして、「安堵」に震える彼女の身体を。「やったね、しーちゃん。やったね」
彼女は、うなずいた。あたしの言葉に何度も、「うん、うん」とうなずいてくれた。周りの女子達が合格に浮かれる中で、互いの体温を感じつづけた。彼女はあたしの身体を放し、その目を見て、あたしに「ありがとう」と言った。「これでまた、一緒に居られるね?」
あたしは、その言葉に打たれた。それはつまり……いや、告白ではないだろう。ずっと一緒の幼馴染みなら、そう言う言葉も出てくる筈だ。幼馴染みの先にある、恋愛にまで進んでいる筈はない。今の空気もまた、「自分の合格に浮かれているだけだ」と思う。あたしは彼女の頭を撫で、来る高校生活に胸を躍らせた。でも……。
事は、そう簡単には進まない。クラス分けでしーちゃんと同じくらいにはなったが、中学の春休みから女バスの練習に加わっていたあたしは、周りの友人関係も「それ」と関わる物になっていった。視線の先にしーちゃんを見ても、よく話すのは運動部の子達。同じバスケ部を始めとして、明るい性格の人達と話していた。
あたしは、その人間関係に満たされた。しーちゃん程ではないにしても、その会話が楽しかったから。彼女との時間を忘れて、みんなとの青春を楽しみつづけた。あたしは二人きりの状況になった時か、しーちゃんから話し掛けられた時にだけ、彼女との会話を楽しみ、そして、自分の本音を打ちあけた。「美術部は、どんな感じ?」
そう、しーちゃんに訊いた。しーちゃんは、中学の時と同じ。高校に入っても、美術部に入ったからである。あたしは純粋な興味で、彼女の答えを待った。彼女の答えは、「普通」だった。楽しくもなければ、つまらなくもない。
部員の子達とも、普通に話す。そんな感じの部活動だった。定期的にあるコンクールは、(彼女曰く)面倒らしいけど。それが何かの賞に入れば、部活の内容も悪くはないようだった。
あたしは、そんな答えに「ホッ」とした。自分でも分からないけど。彼女が「大変だよ」と笑う顔を見て、それに安心感を覚えた。彼女はきっと、一人でも大丈夫。あたしが隣に居なくても、自分の隣にあたしが居なくても、「あたしと同じように生きられる」と思った。
あたしは彼女の状況に喜んで、彼女の頭を撫でた。子犬のように震える、彼女の頭を。「頑張ろうね? お互い」
彼女も、それにうなずいた。彼女はあたしの手を握り、あたしの目を見て、あたしに「頑張ろう」と微笑んだ。「いっぱい、いっぱい」
あたしは、それにうなずいた。うなずいて、彼女の背中を見送った。あたしの前から歩きだした彼女を。その歩みを追って、彼女の背中を見つづけた。
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