第1章 第9話:エルレアさんが冴えてる

 難しい顔をしているのはトキである。

 既に予定していた薬草が


 難敵との遭遇も覚悟してナバテの森に乗り込んだ一行だったが、エルレアが木々の奥にヨサンギを見とめたのはまだいくばくも行かないうちであった。故郷での野草採取の経験は伊達ではない。シネイ湖へと進む道沿いには、他の冒険者に回収されきったのであろうか、さすがに見当たらなかったが、すこし分け入ると驚くほどに群生していた。これだけあるので、生薬として使うならば古葉は避けよう。周りに警戒を払いながら、瑞々しい葉を選んで手早くしかし丁寧に摘み取ってゆく。納品の規定量は決められた袋に一杯、およそ半斤(約300g)だが、少しずつ場所を変えながら、四刻(約2時間)あまりでその倍ほどを集めることができた。これなら十分であろう。その間、トキたちはエルレアの背嚢を預かりながら、すこし離れてかわるがわる見守っていてくれた。


 ここまで、魔物の姿は見当たらない。


「できれば戦闘もこなしておきたいと思ってたんだが、小鬼ナーキ酒乱犬グザルイも一切出ないな。エルレアさんが冴えてるにせよ、普段半日がかりで集まればいい方のヨサンギがこうまで多いのもやはり妙だし、なんらかおかしいのは確定だ」


「森に入る前から魔素まそは目立ったわ。中は特に濃い。警備隊もよくよく節穴揃いね」


「今に始まったことじゃないさ、そう言ってやると可哀想だ。魔素まそ測定は職人技だからな。ここの警備隊はよくやってるって聞くぜ」


「このは、昔マテナエの迷宮で地殻変動があった時に似てるかしら。あの時も一気に魔物が動いたわ」


「ああ、なんらかの脅威から逃げ出したか、逆に吸い寄せられたような流れのある動きを感じるな。突発的な異変だとすると深部でのゆるやかな増殖と整合しないのがピンとこないが、ふたつが別事象とすればヴェガのいうように地殻変動なんかの可能性も十分ある。俺の仮説はちょっと違って、ガルナッソとの境らへんで年明け頃から魔素まそが増えだして、危険な変異種あたりが最近発生したんじゃないかと思ってる。そいつにびびって他の魔物が他所よそに移動してるんではってことだな。の出たシネイ湖周辺の状況を見ればもうちょっと裏を取れる気がするが、薬草も集まったし、今日は退くのが無難だろう」


 ヴェガと検討を行っていたトキがエルレアの方を向いた。


「一応このクエストの進退は志望者主体とする決まりではあるが、エルレアさん、いいですね? 戻りましょう」


 採取活動に気を配りつつ、並行して周辺を調査していたトキたちは、森の様子が既に異常事態であると判断したようだ。エルレアには会話の内容は断片的にしか理解できなかったが、クエスト達成の目処もたった今、ベテランの撤収判断に逆らう理由は微塵もない。


 足早に帰路を辿りはじめた一行は、途中の三叉路で違和感にその足を止めた。


「臭うか……?」


 トキの独り言に、エルレアも緊張しながら肯定を示した。二人が同時に感じ取った、ごくかすかに漂う鼻を刺す臭気は、腐った肉のそれであった。より周囲に注意を払っていたはずの往路では感じなかったものだ。移動する腐肉……昨日聞いた『四伎鴉ザッパ』の生態が、エルレアの頭に去来する。

 この地点からは、北のシネイ湖方面のほか、北西のヨガヒナ沢に至る道が伸びている。南東へと向かえば駐屯地だ。トキは北西を睨みながらパーティーに警告した。


「これが屍霊しりょうの気配だとすると、ヨガヒナ沢方面がおそらく本命だとは思います。ただ、その個体もしくは群れが、既に我々の進路方面に大きく進んでいる可能性もある。十分に注意して戻りましょう」




 警戒度を上げながら速度を落として進んだエルレアたちだったが、その後もさいわいトラブルに見舞われることはなく、すんなりと森の入口を抜け、昨晩の野営地点に戻ってくることができた。詰所前の時計を見るに朝の十時を回ったところである。荷物を下ろすとエルレアは大きく息を吐き出してへたり込んだ。一気に背中に汗が吹き出る。


「ふぅーーっ、緊張しましたぁ……」


「おつかれさま。森を出ても油断しなかったのは立派だったわ」


 監督官たちはさすがなもので、一切疲労した様子がなかった。エルレアに合わせて小休憩を入れた後、ヴェガを荷物番に残して詰所へと情報共有に向かう。義務ではないもののとはなるべく協力関係を保つほうが良い、というのが多くの冒険者の方針だと聞いて、そういえば『鎌鼬カマイタチ』からの報告もきちんと入っていたな、とエルレアは思い出した。地力による裏打ちはあれど、特殊な魔物と急に遭遇してその場で狩り切ることのできる彼等の胆力もまた凄いものだと、この何が出るかわからない張り詰めた状況を経験した身としてあらためて思う。自分もそうなれる日が来るのだろうか。

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