第3話「何もしてない」

◇◆◇



「……それでは、これより、今年度の卒業式を執り行う!」


 ランベルト様の宣言により、乙女ゲーム舞台だった貴族学校の卒業式は始まった。


 ここ三年間ほど私は普通の貴族令嬢として普通の学生生活を過ごし、特に取り巻きなども作ることなく健全な友人関係を作って、悪役令嬢であったならあり得ないほどに楽しい学生生活を謳歌していた。


「……あら。イリーナ様。飲み物がなくなっているのではなくて?」


 私の隣に居たエリサは聖女と呼ばれている、銀髪碧眼の美女だ。今日は卒業式なので、彼女は美しい青いドレスを着ていた。


 今はまだ少女の面影を残しているものの、匂い立つように美しいという言葉は彼女のためのあるような、不思議な色気ある女性だった。


 乙女ゲームヒロインはこんなにも美しかったら、好感度の上下なんて関係ないし、一目惚れしてすべて終わってしまうような気もする。


 それほどに清楚で儚げで、美しい容姿を彼女は持っていた。


「あら。エリサ様。ありがとうございます。いよいよ卒業式ですわね」


 私は彼女が手渡してくれた果実水が注がれたグラスを受け取り、空になったグラスを通りがかった給仕の盆の上へ置いた。


「ええ。イリーナ様のおかげで……何もなくて、済みましたわ」


 私がランベルト様にぶち撒けた乙女ゲームのすべての情報は、エリサや攻略対象者たちに共有されて、すべての悲劇は事前に回避しているそうだ。


 バッドエンドフラグが立つも何も、旗そのものがすべてないのだから、彼らが苦労するものは何もなかった。


 そして、イージーモードも最たるイージーモード。


 すべての悲劇の芽を摘み取った状態で、最終的にラスボスをエリサが封印して、今ここにあるのは何の曇りもないハッピーエンディング。


 後は、最後のダンスをランベルト様とエリサが踊って終わりかしら。


「まあ。何を言っていらっしゃるの。エリサ様が居なければ、私たちだってどうなっていたか……本当に感謝しております」


「私だって。イリーナ様から先んじて情報を得ていなかったら、大変だったと思います。本当にありがとうございます」


 私たち二人はお礼を言い合って、何の危険もなく学校を卒業出来ることを喜んだ。


「それにしても、エリサ様。こんな所に居て、大丈夫なのですか? そろそろダンスの時間ですし、ランベルト様の傍に行かれなくてもよろしいのですか?」


「……え?」


 私がそう聞くとエリサは、とても驚いた表情になっていた。


「え?」


 何かおかしな事を聞いたかしら。エリサが驚いた表情になったことに、私だって驚いていた。


 私は情報をすべてぶち撒けた後、乙女ゲーム進行のすべてをランベルト様に任せていたから、私とエリサと話すのは、たまに世間話をする程度。


 性格の良い彼女は誰かに恋人自慢(マウント)するような女性でもないから、ランベルト様とどうなっているか、全く知らなかったのだ。


 もしかしたら、ランベルト様とは違う攻略対象者とハッピーエンドを迎えるのかしら……?


「あの、イリーナ様……何も、聞いていないのですか?」


 おそるおそるといった調子で、エリサはそう言い、私は混乱してますますわからなくなった。


「一体、何のお話ですか?」


「イリーナ・アラゴン公爵令嬢!」


 その瞬間、背後からランベルト様の声が響いた。


 わっ……私の名前? 振り向いた瞬間に、エリサ含む私の周囲に居る人は居なくなってしまった。まるでモーセの海割りの伝説のように、私と彼の間にあった空間はぽっかりと空き、その間をゆっくりと進んでくる影。


「……ランベルト様……?」


 私は思いもよらぬ出来事に戸惑うばかりだ。何? ……どうして、卒業式に私の名前が呼ばれるの……?


 だって、私悪役令嬢っぽい事をこれまでにひとつもしてないのだから、ここで断罪される理由はないはずだけど!?


「それでは、皆。こちらが僕の婚約者であるイリーナだ。これまでには、政治的な理由があって明かすことは出来なかったが、これからは僕の婚約者であり未来の王太子妃なので、よろしく頼む」


「……え?」


 私は突然の出来事に頭が全然付いていかなかった。だって、私悪役令嬢になりたくないから、幼い時の婚約の申し出もランベルト様から断ってくれってお願いしたのよ。


「イリーナ……これで、すべて片付いたんだ。君の懸念事項はすべて取り除いた。なので、卒業式を終えたら、すぐに結婚式の準備をしてある」


「なっ……なんですって!?」


 私が素っ頓狂な声をあげると、ランベルト様は悪い笑顔で私の耳元で囁いた。


「しっ……余計な事は話さない方が良い。何かおかしいと勘ぐられるぞ。幼い時に君が嫌だと言っていたすべての懸念を、これで取り除けたんだ。何年も前に予定されていた通りに、僕と結婚しても良いだろう」


「えっ……? え? たっ……確かにですね。私とランベルト様は婚約する予定でしたが……ですが……」


「ああ。僕の父も君の父も、僕と君の二人が結婚することを、強く望んでいてね。良くわからないが、僕と婚約してしまえば女性が近付くと嫉妬して人殺しまでしてしまいそうなので、婚約したくないと言っていると彼らに説明したんだ」


「そっ……それは!」


 なっ……なんてことを! 私がランベルト様をすっごく好きだから、彼と婚約したくないって我が儘言っているみたいになっている!


「事実だろう」


「そっ……そうです……」


 確かにあの時、すべてぶちまけてやるとばかりに、彼にそう言った。


 私が婚約者になれば、ランベルト様に近付く女性を嫉妬して、殺したくなってしまうって。


 ……恐かったはずのお父様。ある頃からか、私にやけに丁寧な対応するようになっていたけれど、この話を聞いて『うちの娘、こわっ……』って、内心恐れていた……?


 えっ……衝撃の事実なんですけど!!


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