異世界カードストラテジー ー深淵より立つ 国創記ー

小鳥遊ちよび

深淵の王、異世界で目覚める

第1話 目覚め①


 一人の青年の前で、黒い狼が息絶えたその瞬間、静寂が辺りに広がった。リオトは目の前の死骸を見つめ、この場所が自分の知る現実とはどこか違うのだと......目の前に起きている現実と、そして記憶のない自分に、言い知れぬ恐怖が......胸に広がっていくのを感じた。


 濃いダークブラウンの瞳が、まだ事態を理解できないまま、狼の姿をしっかりととらえている。風に揺れる黒髪は整った形に切りそろえられており、額にかかる影が青年――リオトの表情をいっそう陰らせている。その姿は、冷静さを保っているように見えるものの、心の奥底では見知らぬ世界に放り込まれた混乱が渦巻いていた。


 握りしめた剣と身に纏う日本の一般的な、紺色の学生服。どうにも場違いな印象を与え、異様な風景に一層の不安を増す。なぜ自分がこんな場所にいるのか、どうしてこのような状況に置かれているのか、その答えはどこにも見つからない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 冷たい感触がほほに触れ、一人の青年が目を覚ましたのは、冷たく湿しめったきりが立ち込める深い森の中だった。


 視界に広がったのは、見慣れない巨大な木々――そして立ち込める濃い霧。


 その周囲は、濃密な霧に包まれ、まるでこの世界そのものが彼を拒んでいるかのように、肌にまとわりつく。


 湿った地面に横たわっている自分の体に気付き、思わず上半身を起こす。寒さに反応して背中を丸めた。


 呼吸をすれば冷たい空気が肺を満たし、寒気が背筋をけ上がる。


 巨木が幾重いくえにも立ち並び、視界をおおい隠し、みきはまるで空をもつらぬかんばかりに高くそびえている。


 あたりは音もなく、命の気配すら感じられない。


「ここ……どこだ?」


 彼の口かられた言葉は、霧の中に吸い込まれ、かき消される。


 辺りを見回しても、見知らぬ森が広がるばかりで、何の手がかりもない。


「なんで森の中なんだ......?」


 起き上がり、体を軽く伸ばす。地面に冷たく湿った感触が残っていた。自分がどうして森の中で眠っていたのか、さっぱりわからない。何が起きているのか?


 不安が彼の胸を締めつける。


 リオト――それが自分の名前だと気づくのに時間はかからなかった。


「名前......だけど……それ以外のことが……」


 名前は思い出せた。だが、それ以外の記憶がおぼろげであることに気づくと、恐怖がじわじわと胸に広がる。


 自分が誰なのか、どうしてここにいるのか、まるで思い出せない。直前の記憶は、何だったのか。学校に居たような気もする。家にいたような気もする。誰かと遊んでいた気もする。


 自分が地球という星の、日本という国で、日本人だということは確か.....な気がする。そんな曖昧な、まるで夢から覚めた夢うつつの様な、そんなあやふやな感覚。しかしながら、学習した、生きてきたことで培った常識、らしきものはある。


 そう、自分という人間が「どのようにして生きてきたのか」。「誰が周りにいたか」そういった記憶だけ無い。


 ――その程度の記憶だっただろうか?そんな簡単に、忘れられるような思い出だっただろうか?


 視線を下げると、着ているのは見覚えのある学生服――学ランだ。

 学生だったことはわかる。でも、それ以外の記憶はもやがかかったようにぼんやりとしている。自分がここにいる理由も、どうして森にいるのかも、まるで思い出せない。


 あたりを見渡すも、何もない。

 いや、正確には、鬱蒼うっそう繁茂はんもする森が目の前に広がっている。


 この森はあまりにも巨大で、長い年月、誰の手も加えられていないことが素人目でもわかった。


 樹齢いくつだろうか――その答えをさぐすべはない。時間の感覚さえ曖昧あいまいだ。


「いったい……何が起きてるんだ……?」


 恐怖と不安が次々と押し寄せ、青年の頭の中をぐるぐると駆け巡る。


 だが、その思考を断ち切るように、「」と電子音が鳴り響いた。


「……え?」


 それは、耳伝いではなく、直接脳内で聞こえたような感覚。


 驚いて顔を上げると、目の前の空中に突如として電子パネルのようなものが浮かび上がっていた。まるで夢を見ているような感覚に襲われる。けれど、確かにそのパネルは存在している。


 リオトはパネルに目をらした。


へようこそ!第一章:新たなる旅立ち!

 ミッション1:デッキを選び、眷属けんぞく召喚しょうかんせよ!》


「……なんだこれ?」


 一瞬、意味がわからなかった。これはゲームの画面……いや、でも、こんな現実感のあるゲームなんて聞いたことがない。手を伸ばしてパネルを触ろうとするが、指先が空を切る。


「これ……まさかバーチャルリアリティVRゲームか?」


 そんな技術があっただろうか。現代の技術で、ここまでリアルなものを再現できるゲームなんて聞いたことがない。いや、今では自分の記憶すらも、その常識という感覚でさえ曖昧な今、それは頼りにならない......草木の匂い、霧の冷たさ、足元に感じる地面の感触――どれも現実そのものだ。


「でも、こんな高い技術が使われたゲーム......俺は知らない......」


 混乱する頭を押さえながら、リオトは再びパネルに目を向けた。まるで夢のような状況だが、現実であることには違いない。


「ゲームの世界に取り込まれた……ってことか? いや、そんなバカな……」


 ありえない。けれど、目の前の現象は確実に異常だ。何が起きているのか理解できない中、唯一の手掛かりはこのパネルだ。デッキを選び、召喚をしろと言われている。まるで、ゲームの中のように。


 やるしかない――直感的にそう感じた。


 恐怖が次第に、焦りへと変わっていく。

 目の前の状況を理解しようと、必死に考えを巡らせるが、答えは見つからない。


「……やるしかないのか……」


 奇妙で、現実感がない状況に、不安と恐怖はさらにつのる。

 もう一度、パネルに向けて手を伸ばすと、今度は黒い長方形のシルエットが五つ現れた。


 それぞれの中央には「はてな」マークが浮かび上がっている。

 どうやら、これが「デッキ」と呼ばれるもののようだ。なるほど、言われてみれば、縦長の長方形がカードを意味するシルエットだろうと分かる。


 リオトはその中の一つに触れてみる。

 ピコンッと音が鳴る。実感はないが、自分の行った空中に浮かび上がるパネルに触れようとした操作は正しく、無事に選べたことは理解できた。


 瞬間、パネルが輝きを放ち、選んだデッキが視界に広がる。


「......っく...これは......もしかして、――EDDエデドか?」


 そして同時に、猛烈もうれつな頭痛がリオトを襲い、かつて夢中になったゲームの記憶が鮮明せんめいよみがえった。


 視界に広がるのは、かつて彼が熱中していたカードゲーム――「Ethereal エーテリアル Deckデック Dominionドミニオン」、略してEDD(エデド)のカード群。


 それは、まるで夢のようで、VRの世界のようで、美しいというしかない輝きを放つカードたちが空中に浮きあがっている。それは、幻想的で、リオトは一瞬だけ、その慣れ親しんだカードが美しく、まるで自分を守ってくれているかのような、その形式に恐怖を、ほんの一瞬だけ忘れさせてくれた。


「これ……EDDエデドだ……間違いない」


 自分の手で選んだデッキや戦略が次々と脳裏に蘇る。

 だが、思い出すのはゲームに関することばかりで、この世界についての答えは見つからない。


 異世界なのか?それともゲーム?新しい体験?実験か?こんなことが起きるなんて――いや、まさかとは思うが、何かが起きていることは間違いない。


 混乱する思考を必死に整理しながらも、彼は視界いっぱいに広がるカードに目を向ける。


「これは……深淵しんえん文明の初期デッキ……」


 再び「ピコンッ」と音が鳴り、パネルに新たなメッセージが表示された。


《リオトは深淵しんえん文明・アビスを選びました》

《深淵文明デッキ『邪神の覚醒者』が解放されました》

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