手記19 父の葬儀
このことがあった翌日5月5日、私の父は亡くなった。
現代は、お葬式は商業施設でのこじんまりした家族葬が主流になっている。だが、40年ほど前の、特に田舎は、自宅に祭壇を飾り付け、ご近所の皆さんにも葬儀に参列してもらう大々的な形だった。
私たちが祭壇の準備をしていると、近所のおじさんが来てニコニコと笑顔で(葬式向きの顔じゃないな)、大きな菓子折を差し出した。「これはAさんから。特別にお届けしてほしいと言付かってきた」と言う。
私たちは事態があまりに大きすぎるので、突き返すのもはばかられ、黙ってそれを受け取った。
Aさんは、以前にも書いたが、心身壮健な農家のあるじで、来ようと思えばいくらでも本人が贈り物を届けにこれたはずだ。
仮に本人が来れなかったら、奥さんなり長男の嫁さんなりでも来れた。でもA家の人たちは誰も来なかった。
葬儀のあといただいた香典袋を整理していると、遠方に住むAさんの弟さんは葬儀に来てくださったとわかった。弟さんは父と同級生だったから、参列も不思議ではない。
けれども香典袋にAさんの名前はなかった。これは当時の田舎としては大変なマナー違反だ。
そんな無礼を犯してまで、Aさんが葬式にこなかったのは、やはり次男のことを申し訳なく思っているから自分は顔を出せないのだろうか。
もちろん早急に、だから次男は警察のいうとおり妊婦殺しの犯人だと決めつけることはできない。
警察のとんでもない冤罪で、親にすれば単に手癖が悪いだけの息子なのかも知れない。
だがのちのち刑事に聞いたところによると、次男には前科というものは全くないそうだ。近所の噂でも、手癖が悪い息子でAさんが困り果てているとは、母も聞いたことがないという。
それに手癖が悪いだけなら、何も逃げ隠れせず、きちんと話をつけに来てもいいではないか、昔からの顔馴染みの仲なんだから、とも言える。
私はのちほど、警察のいうとおりやはりこの次男が妊婦殺しの真犯人だと確信するに至るが、その理由は次の次の章で述べる。
ここで余談だが、私の父は名古屋市役所に勤めていたとき(昭和40年代)、収賄の疑いをかけられて、任意の取り調べを受けたことがある。取り調べは連日過酷を極めたが、父は無罪を主張し続けた。当時、父は「あんなひどい調べを受けたら、気の弱い者はやっていなくても自白してしまう」としみじみ述懐していた。父の同僚が罪を認め、父は冤罪をこうむらずに済んだ。同僚は後ろ手錠を掛けられ警官に伴われて、父のところまで来て父に謝罪したが、警察からの謝罪は一言もなかったという。私だって冤罪の怖さは知っていると付け加えておきたい。
さて、父が亡くなってしまったため、母もこの家に戻ってきた。私ももう一人で留守番する必要がなくなって、ちょっとだけホッとした。
そしてちょうどこの頃、警察のわたし宅の警備も解かれたようだ。張り込み私服刑事の姿は見られなくなった。
だが三ヶ月弱、あの男が何も動きを見せなかったといっても、では今後ももう何もしないという保障は更々にない。
父親のAさんは時折庭にいるのを見掛けたが(A家は私が買い物に行くとき横を通らねばならなかったので、いやでも家族の様子がわかった)、110番沙汰などまったく忘れてしまったように屈託なくニコニコ笑顔を見せていた。
父親がこんなふうにに無頓着では、私でなくともいつまた他の女性が次男に殺されるかわかったものではない、と憂慮せざるを得なかった。
女を殺すことに快感を覚えるような性犯罪者には、累犯性があることは誰だって知っている。
よくいる大甘な親のように、うちの息子だけは大丈夫だと思うのだろうか。
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