手記18 物音再び

 父の病状がさらに悪化し、兄は今度は富田病院ではなく、市立城西病院に入院させることに決めた。母も病室に泊まり込むことになり、私は再び留守番に。

 そして5月4日の夜のこと。

 勝手口のほうで、がたんと大きな音がした。その方角に向かって、犬が吠えたける。いつまでたっても鳴き止まない。3月7日と同じ状況だ。私は、再び不安になった。どうしようかと思案した。

 姉夫婦にまた来てもらうのもはばかられる。

 3月7日の騒ぎの翌日の電話で滝本刑事が、「あなたのことはT派出所の人たちに話をつけてあるから安心して」と言っていたことを思い出した。

 それから、捜査当局に出した手紙の効果を知りたいという思いもあった。

 結局、警察を呼ぼうという気持ちになり、110番を掛けた。

 「妊婦殺人事件の担当刑事さんに伝えてください。不審な物音がする。前と同じ状況だって。◯◯(私の名前)からだといえばわかります。」そう私がささやくように言うと、いかにも頭の切れそうな若い男性係官は「どうしてあなたにそれがわかるの?」とひどく驚いた声をあげる。

 そうなのだ。110番センターと妊婦事件担当刑事との間に直通の通信網があるなんて、一般人には決して知られてはならない極秘事項だ。それを知っているあなたは誰なんだと係官が驚くのも無理はない。

 私は返答に窮したが、ただ手短に「被害者だから」とだけ答えておいた。

 係官は電話を一旦保留にした。

 すぐ後で「今から行くっていってるよ」と簡単に伝える。

 数分後、制服警官二名がやって来た。

 庭に出て迎えたが、一人はあの晩第一の通報できた30代の警官で、もう一人が高校を出たばかりとおぼしいごく若い警官。

 彼らはなぜ自分たちが出動指令を受けたのかわからない様子できょとんとしていた。

 私は滝本刑事が言っていたことを思い出し、「あなたがた、刑事さんから前もって話を聞いていなかったんですか」と尋ねた。

 二人はさて何を言われているのか解らないとすっ頓狂な顔をしたが、やがて30代の警官の方が思い当たったというように、こう言った。

 「ははん、あんたのことなら知っている。刑事さんに聞いた。なんの関係もない男を妊婦殺人の犯人と思い込んで騒ぎ立てている女がいて困っていると、刑事さんが苦笑いしながら話していた。

 そうだそうだ、あの晩、このうちへ出動してきたのは、この私なんだよー」

 T派出所の警官は、そういって落語家の橘家円蔵にうりふたつの自分の顔を指差すと、私に向かって、やーい、馬鹿女、といわんばかりにせせら笑った。

 滝本刑事が派出所員に話をつけたというのは、そういうことだったのか。知ってげんなりした。

 「あなた、あの晩は伏屋派出所に勤務していて、年度が変わってT派出所に移ったんですか」と私は聞いてやろうかと思ったが、下らないのでやめた。

 もう一人のごく若い警官が、あざける先輩警官を制止するように「われわれには知らされていない捜査上の秘密があるからね」と言ってくれた。それがせめてもの救いだった。

 勝手口で音を立てたのは猫だったとわかって警官は帰って行った。

 

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