手記05 男の家族
「男は保険証書をリーダーに突き返した、と刑事が言った」と私から聞いて、母はUさんのところまで出向き、千円の掛け金を払い父の名の印字された証書を受け取って来た。
「二度も集金に来てくれたそうだけど、そんなにすぐに払わないといけないもんかね」と母が聞くと、Uさんは鷹揚に「いえいえ、いつでもいいんですよ」と答えたそうだ。
私はその保険証書を見て、これまたおかしいものだと思った。
あの晩の2度目の通報のあと、私が2階の窓から逃げてゆく男を目撃したとき、男はてぶらであったのを、私ははっきりと確認している。もし男が、刑事の言うとおり集金が目的で来たのなら、男はこの証書を携えていなければならなかった。証書はB6判の薄いノーカーボン紙。仮に男が証書をズボンなりカーディガンなりのポケットに入れてきていたのなら、折り目くらい付いていなければならない。けれども証書は、しわ一つなくぴんぴんのままだった。
ところで男の家であるAさん宅は、私の家から歩いて3分とはかからない場所にある、わたし宅と同様の兼業農家だ。
父母で農業にたずさわり、同居の長男次男は勤め人だと聞いた。父親に関しては、私も子どもの頃から顔と名前だけは知っている。
私の父より若干歳上で、とても人柄のいい人なので、私の父のみならず地元の人たち皆に慕われて、自治会役員も長年勤めていた。
長男次男は私と同世代らしいが、私はまったく知らなかった。子どもだから歳が少しでも離れていると、知らないということもあるのだと思う。
さてそのAさんの方から、110番沙汰のことで何か言ってくるかもしれないと私は考えていた。
こんなのどかな田舎で警察騒ぎなんて、滅多に起こるものではない。
「うちのかわいい息子が集金に行っただけなのに、警察を呼びつけるとは何ごとだ!」
と怒鳴りこんでくる父親がいても不思議はない。Aさんは人柄的に怒鳴りこみはしないだろうが、話をつけに来るということはあって当然だろう。
あるいは私の父が入院中だから、遠慮しているのだろうか。
それとも男がリーダーのUさんに警察を呼ばれたことを話さなかったように、親にもそのことをひた隠しにしているのだろうか。
やがてA家の方から動きがあった。
私が直接受け取った訳ではなく、母から聞いた話だが、Aさんの方から病室の父宛に、丁寧な見舞いの菓子折が届いたというのだ。
それもAさんが直接持ってこられたのではなく、第三者に託してその人が届けてくださったのだ。
警察沙汰に関する伝言も特になかった。
父の病室がある富田病院はAさん宅から遠くない。持参しようとすれば、Aさんが持ってこれない距離ではない。Aさんは高齢といっても心身壮健で、日々農作業にいそしんでいる。仕事は農業だから、ちょっとの暇もないわけではない。
何らかの特殊事情でAさん本人が来れないなら、奥さんだっていいはずなのに。
菓子折は単なる病気見舞いで、次男が騒ぎを起こしたことの謝罪の意味はなかったかもしれない。ともあれ私の母は、お礼にいかなければと、Aさん宅に出向いた。
その際、警察沙汰のことはとりあえず伏せておくことにした。
応対に出たのは、Aさんの奥さんだった。奥さんも警察沙汰のことは、何も言わなかった。
奥さんは最近、長男に三人目の子どもが生まれて家族みんなで喜んでいると世間話をしたあと、次男の話を持ち出し、次男はボランティア団体の*****で役員をしている、皆の人望が厚くてとても出来のいい息子だ云々と、さんざん自慢を垂れたのだという。
語るに落ちるとは、まさにこのことではないか。私は、親は警察沙汰のことを知っている、と判断した。
知っていながら、警察の話を持ち出すことを避けている。
怪しい。
もちろんこれで男がやはり妊婦殺しの犯人だと決めつけることは、いくら私でもしない。
男は、親にとってただ手癖の悪い困り者、というだけなのかもしれないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます