手記04 事情聴取

 未遂事件の起こった晩の翌日、2月17日(金)。

 前夜、一睡もできず起きてくると、姉もまたいろいろ考えて眠れなかったと言う。

 私は姉の家で午前9時になるのを待って、さっそく妊婦殺人事件の管轄である中川警察署に電話をかけた。事件担当の刑事に取り次いでもらった。

 応対に出たのは、いかにも叩き上げという感じの渋い中年の男性だった。

 昨晩の出来事を手短かに話したあと、もしくだんの男が事件と関係があるなら思い当たる節もあるので、捜査に協力できる旨を申し出た。

 思い当たる節というのは、襲われた時間帯が6時という、家族がいつ帰ってきても不思議ではないときだったので、あの男はきっと、私の父が入院して私がひとりで留守番をしていることを知りうる立場にある人物に違いないと推測されたのだ。それは近所にすむ知人関係の者に違いない。

 刑事は話をうんうんと聞いていたが、メモを取る様子がない。電話の会話はきっと、すべて録音しているのだろう。

 私が話終えると刑事は「ところであなた、妊婦?」と聞く。「いえ、妊婦ではないんですけど」と口ごもった。妊婦でもないのに襲われたと申告するのは申し訳ないような気がした。

 刑事は話題を変えて、「ともあれそんな変な男がいると、あなたも心配でしょう。今日すぐには無理だが、いずれそちらにうかがう。また何かあったら捜査に協力してねー」

 私は、ひょっとすると私の捜査協力で犯人が突き止められ、事件があっさり解決するのではないかと期待し、胸を弾ませるところがあった。でもあとで、警察にとっての「捜査協力」とは容疑者に殺されて死んであげること以外になかったと思い知らされて、冷や水をおもいっきり浴びせられた気がした。

 電話を切ったあと、今度は姉と二人で父にこのことを報告するため、富田病院へ出掛けた。病室に入るとすぐさま母が、「ケイちゃん、昨日は怖い目にあったんだってねー」と恐ろしげに声かける。なんでもすでに昨晩、義兄が病室に立ち寄って、事の次第をお話し済みだという。

 父は元気そうにベッドの上に半身を起こしていた。そしてこう言う。

 「◯◯保険のことだが、うちも加入しているぞ。毎年この時期に*****(ボランティア団体)の男の子が集金に回って来る。掛け金はうちは千円だが」

 私は父の説明を聞いてやっと得心がいった。あの晩の男がセールスマンではなかったことについては確かになった。

 その毎年来るという集金係の男が誰かは、父も母も知らなかった。

 私は母に、その男が誰なのか近所の人に尋ねてくれないか、と頼んだ。

 「あんな気色の悪い男にまた夜中に来られたらたまんないから、昼間のうちにその家に行って私が掛け金払って来る」

 母が近所の人に聞くと、男はAさん宅の次男らしいとわかった(このAは実名のイニシャルではない。仮名のAである)。それで母が確認のためにAさん宅に出掛けたが、そのときは留守で確かめることができなかった。

 2月20日(月)午後、中川警察署から電話があった。滝本と名乗る刑事が、「今から事情聴取にうかがいたいが都合はよいか」と聞く。「いいです」と答えると、「パトカーを家の前に横付けするから、不審な人物ではないとわかります、よろしいですね」と言う。

 なかなか配慮が細かいなーと感心しつつパトカーを待つ。

 母からボランティア団体*****のリーダーはUさんだと聞いていたので、パトカーを待つ間に、Uさんの住所と電話番号を電話帳で調べてメモしておいた。

 パトカーから降りてきたのは30前後とおぼしい若い刑事だった。いかにも優しそうな風貌で、警察手帳を私に見せて「これはまだ毛があった頃の写真ですが」と挨拶した。

 彼は玄関のL字型になった上がり框に腰を下ろして、青い分厚いバインダーを膝に広げた。私も同様に腰をすえた。事情聴取が始まったが、刑事に事情聴取なんてものをされるのは生まれて初めての体験なので、内心はワクワクだった。

 そのときの内容は、あまり詳しくは思い出せないが、ただこんなことを話したことは憶えている。

 私が男と応対したとき、私が「いま一人でいる」というと男は「しめた」というように嬉しそうに押し黙った。とにかく雰囲気が異様だった。変質者としか思えなかった。二度目に来たときも、警察をまいてきたとしか思えない絶妙のタイミングだった。周辺一体の集金を済ませてからまた来た、と考えるのは時間的に無理がある。

 いろいろ私の話を聞きながら、滝本さんはふとこんなことを尋ねた。「警察の到着は遅かったですか」何か含むものがあるような聞きぶりだった。私は当夜の警察の動きに不審なものをずっと感じていたので、この問いかけには何も答えずただ「む」と考え込むばかりだった。あとで思えば、滝本さんはつまり「そのこと」を知っていたのだ。

 話題を変えるが、滝本さんはこんな話をした。あなたの騒ぎがあった日、あなたの家のすぐ角で車の盗難事件があった。その車のナンバーが「666」だったので捜査員一同大ウケした。

 「666」が新約聖書のヨハネ黙示録に出てくる、悪魔を象徴する数字だということは私も知っていた。だがオカルトには興味がなかったので、そのときは滝本さんの話を無関心で聞き流した。でもあとで振り返ると、この妊婦事件には確かに何か尋常でないものがとりついているのかもしれないと思う。

 私は滝本さんに言った。「あの男はボランティア団体*****のメンバーで◯◯保険の集金係らしいことはわかったが、まだ確認が出来ていない。*****のリーダーはUさんなので彼に聞けばわかると思う。」そして住所電話番号のメモを差し出した。

 滝本さんはこれ幸いとメモを受け取り、「ではUさんのところで聞いてきます。結果はあとで知らせに来ますから待ってて下さい」と立ち上がった。「あなたはその男が集金係だと確認できれば安心するんですね」と言いながら玄関を出ていった。

 私は彼の背中に向かって、「集金にかこつけて襲うということもありますからね」と声をかけたが返事はなかった。

 数時間後、滝本さんではない50年配の刑事が玄関先に現れた。がっしりとした体躯に仕立てのよいスーツをりゅうと着こなした男だったが、私は一目みて「怖いっ!」と感じた。あの晩の男より怖いとすらいえる殺気だつ雰囲気を全身から放っていた。警察官と名乗ってきたが、肩書きを知らなかったら誰もがやくざだとしか思えないのではないか。私はこののちこの刑事の本性をいやというほど思い知らされたが、それを知った上で怖いというのではなく、第一印象からしてすでにひとを震えあがらせるものを持った男だった。この刑事は、警察手帳も見せず姓すら名乗らなかったので、仮にX(=エックス)刑事と呼ぶことにする。

 X刑事は持てる雰囲気とは裏腹に、顔だけはにこやかな笑みを浮かべて、玄関先に立ったままこう一方的に話し出した。ひとに余計な口を絶対差し挟ませないと言わんばかりの強引な流暢さだった。

 「いまボランティア団体*****のリーダーUさんのところで聞いてきた。確かにそういう男がいたようだ。『集金に行ったのに、金を払ってくれない家があった、電気がこうこうとついているのに戸を開けてくれんかった、俺はあんな家にはもう集金にいってやらん』とあなたの家の保険証書をリーダーに突き返したそうだ。あの人たちも自分の仕事を持つかたわらボランティアでやっているのでそのところの大変さは汲んでやらんといかん。あなたの家を訪れたのは集金以外の目的はなかった。ところがあなたがセールスマンと勘違いして、玄関を開けてやらんかったので、怒ってチャイムをがんがん鳴らしただけだ。あなたを襲おうとしたのではない。これは単なる民事トラブルだ。男はいったん家まで戻ったが、集金を早く済ませてしまいたいと思いまた出直してきた。どこかに隠れていて、警察をまいてきたのでは決してない。悪いのはあなたのほうだった。また、妊婦殺人とも一切関係がない。安心していい。今度あの男がきたら、あのときは済まなかったと謝っておけ。」

 刑事はさも揚々とそう断言して話す。私はおとなしく黙って聞きながら、内心はすこぶる不満だった。

 というのは第一に、刑事はあの男がセールスマンではなく保険の集金係だと確認できたことだけで、犯行目的はなかったと断言する。だが先に滝本さんの背中に私が声かけたように、集金にかこつけて襲うケースも勿論ある。犯罪捜査のプロであるはずの刑事が、その点を度外視するのは何やらおかしい。

 それに私は、男がジャンパーを脱いで来たり、手ぶらだったことを目撃している。姉夫婦も男が大慌ての様子で逃げていくのを目撃している。滝本刑事には私がうっかりして話していなかったためか、X刑事のその点についての釈明はなかった。

 私は滝本さんには、男が二度目に来たのは警察をまいてきたとしか思えないことは話した。その点についてはX刑事は、男は家に戻ったがまた集金のためにきたのだと説明付けたが、男がそう弁明するのを聞いたわけではなく、刑事が自分の憶測でそう説明付けているだけだ。根拠は何もない。根拠のない説明で男は潔白だと刑事が決めつける目的は何か。

 それに男はリーダーに「電気がついていて家にいるのに戸を開けてくれなかった」と不服を言ったというが、警察を呼びつけられたことは話していないようだ。本来なら警察を呼ばれたことが、一番怒りの原因であるはずなのに。

 それに二度も集金に足を運ぶほど早くそれを済ませたかったのなら、警察の到着を待って警官立ち会いのもとで戸口を開けさせれば済む話ではないか。ところが男は警察を呼んだと聞くと、そそくさと逃げてしまっているのだ。


 さらには、刑事が「男は妊婦事件と関係がない」と断言するためには、他に真犯人が特定されていなければならない。そうでなければ、論理的にいって、あの男を妊婦殺しと関係がないと排除はできない。だが、刑事は私の通報で事情聴取にやって来た。つまり刑事の行動はそれ自体が、男が妊婦殺しの犯人である可能性を刑事が考慮に入れていることを示唆している。他に真犯人がいるわけではないのだ。刑事の行動と「男は妊婦殺しと一切関係ない」という断言は、論理的に矛盾している。


 とにかく刑事のいうことはいろいろおかしかった。突っ込みどころ満載というのか。そのくせ刑事は自信満々で男はシロだと断言する。


 私は、実はあの男が妊婦事件の犯人として怪しいからこそ、民間人にこれ以上首を突っ込んで欲しくないという思惑で、男をかばうような釈明をするのだろうと考えた。警察はきっとこれから内密にこの男のことを調べるのだろうと判断し、あえて刑事には何も反論しなかった。


 さて滝本さんはうちへ来たときまず最初に「いまキャンペーンやってます」と言って私に黄色いビラを渡した。妊婦殺人犯逮捕のため市民に情報提供を呼び掛けるビラだった。滝本さんが去ったあと、私はふと思い立ってこのビラを玄関先に貼り付けておいた。

 X刑事は話を終えたときふっと鋭い視線をそのビラに走らせて、ビラを静かに剥がすと「これはお父さんお母さんに見せて」と私に渡した。

 あの男が妊婦殺人とまったく関係がないのなら、ビラを剥がす必要なんてないではないか。

 刑事は「では何かあったらまた警察に連絡をー」と嬉しそうに言いながら帰っていった。


 なお私は、母や姉には、「刑事が来てあの男は保険の集金人だと確認したこと、妊婦殺人と関係ないと断言していったこと」それだけを話した。

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る