死亡確定の乙女ゲーム友人枠の伯爵令嬢を救いたい

雲ノ須ないない

死亡確定の乙女ゲーム友人枠の伯爵令嬢を救いたい

「…アトリエでうたた寝なんて珍しいですね」


 気配を感じて目を開けば、見たことのある美形。黙っていれば中性的なイケメンにみえる目の前の人物が、女性であると謙之介は「知っている」。手に持ったタオルケットを今まさにかけようとしていたのだろう。いきなり目覚めた謙之介に驚いたのを、恥じるようにはにかんでそう言った。


…ああ、俺はこの人を、鷹司葵たかつかさ あおいを知っている。


 現代日本で生きていた記憶と、この世界で生きていた記憶が、ゆっくりと混ざり合う。かつてこの世界の運命を、この女性の運命を謙之介は画面を通して見た。


「お気遣いありがとうございます。葵お嬢様」

「…かえって起こしてしまったようで申し訳ないです」

「そんなことないです。助かりました」


 一見男性にも見えてしまうような冷たい外見とは裏腹の、温かい気遣いに穏やかな気持ちになる。


「何を描いていらしたんですか?」

「今は機械仕掛けの少女を」

「人間と機械の融合ですか?それはまた面白い発想ですね」

「いえ、趣味なので…」


 この世界では空想と言われている「機械が発展した世界」を描いている謙之介が、奇異の目を向けられてきたことは数知れない。しかしその絵が葵の父の目に留まってパトロンをしていただいている。娘である葵も謙之介の絵を馬鹿にしたことは一度もなかった。


「なるほど、足が機械仕掛けで…これは機械の羽ですか?これなら祈りの力が弱い私でも巫女様を空中に逃すことができますね…」

「葵お嬢様は仕事熱心でいらっしゃる」


空想の絵相手に、葵が補佐を務める祈りの巫女様の姿を見ることに笑みが溢れる。

「芸術にはうとい」と言う葵だが、それでも必ず謙之介の絵に自分の言葉で感想をくれる。ましてや一番大切な祈りの巫女様に絡めてくるなんて、最大限の賛辞だ。

 女性らしい柔らかな優しさを持ちながら、冷静な判断ができ、いざという時には自分を犠牲にしてでも祈りの巫女様に尽くせる誠実さ、そして何よりも人が好きなものを否定しない器の広さ。

この若さにしてよくもまぁこんなに出来た人間が育つものだと、鷹司伯爵の子育てに感心してしまう。


「ふふっ、すみません。つい巫女様のことを考えてしまって」

「嬉しく思いますよ。俺が技師でしたら一日で機械の羽根を完成させたでしょう」

「おや、それは残念ですね」


だからこそ。


だからこそ鷹司葵を待ち受ける運命を放っておけない。




***


 状況の整理から始めよう。

 田中謙之介たなか けんのすけはとある企業で事務職をしているアラサー男性だったはずだ。幼い頃から抱いていたSF漫画家の夢を諦め切れず、SNSに放り投げては、バズらないかなぁと思い馳せる日々。賞にも何度も応募したが、良くて佳作止まり。寧ろ佳作が取れてしまったからこそ諦め切れないとも言える。

 幸い家族は、自分の生活費は工面した上で夢を追うことに、応援の意を示してくれていた。妹の結衣なんかは、「話のネタに」なんて言いながら、自分の好きなものを布教したかっただけにも思えるが。


 『祈りの花が咲く頃に』という乙女ゲームも、結衣から勧められたものだ。最近流行りの悪役令嬢モノでも描いてみようかと思ったが、なかなか案が出ない。そもそも『乙女ゲームの悪役令嬢』オリジナルを知らないなと気づき、妹に教えを請うたのだ。結衣に言われた言葉は衝撃的だった。


「そもそも乙女ゲームに悪役令嬢出てこないよ。女の子が出てきてライバルになることも稀にあるけど、大体は良き相談相手とかお友達とかだよ」


 ならば参考になりそうなものをと貸してもらったのが、鷹司葵が出てくる『祈りの花が咲く頃に』だ。

 『祈りの花が咲く頃に』は大正時代の日本を基にしたファンタジーRPG乙女ゲームだった。『祈りの力』と呼ばれる魔法のようなもの、これを駆使して戦う。ある時結界を司る精霊樹が突然枯れてしまう。日本は穢れにおかされ、人々は病に倒れ、悪しき害獣が襲う世に。主人公は平民でありながら『祈りの巫女』の素質があり、精霊樹を元に戻すために各地の精霊と契約していき、日本を守る…。


 簡単に言えばそんな話だが、実際にプレイしてみると、一枚岩ではない上層部や、日本を食い物にしようとする海外(もちろん実在しない名前)の国々、祈りの巫女に対して「何故救ってくれないのか」と怒る民衆と、バッチバチのダークファンタジーだった。

 ネットでの評価は「恋愛している暇がない」「やることが多すぎる」「主人公の立場になったら毎日泣いてる」「シナリオライターは人の心を失ったのか」「攻略対象というよりは戦友」「何故葵お姉様ルートがない」と、乙女ゲームとは…?という口コミが大半だった。


 その辛い境遇に置かれる主人公に寄り添ってくれるのが、鷹司葵たかつかさ あおい、現在謙之介のパトロンの娘である葵お嬢様だ。

 伯爵家のご令嬢に産まれながらも、武術の才に恵まれ、伸び伸びと育った葵。突然祈りの巫女として担ぎ上げられた主人公、花城咲はなしろ さきの補佐役を任命される。

 権謀術数うずまく作中に置いて、花城咲が唯一絶対に信じたのが葵である。当初花城咲は全てが信じられなかった。祈りの巫女の案内役として送られてきた使者が、まさかの裏切り者で殺されそうになったからである。その暗殺を防ぎ、逃げる道中で失くしてしまったお守りを、泥だらけになって見つけてくれた葵。


「御母堂の大切な思いの込められたお守りですから、失くしたら取り乱すのは当然です」

「巫女様のお心もお守りするのが私の務めでございます」


そんな葵の真摯な態度に、「この人だけは信じよう」と花城咲は心に決めるのだ。


 そりゃあ「何故葵お姉様ルートがない」となるのも無理がない。謙之介ですら心を乙女にして葵にペンライト振りながらプレイしたほどである。

 しかしダークファンタジーとは、素敵な人ほど退場するのである。海外と癒着した上層部の差金で護衛(好感度の低い攻略対象)と分断され、敵に襲われた花城咲と葵と、一番好感度の高い攻略対象。二人を逃すために、葵は囮になって殉職してしまうのだ。そして葵の死体を操り人形にして、花城咲と敵対させる始末。

 製作陣は人の心がないと言われるのはこの辺りが所以である。


 転生か憑依か。

前世で死んだ記憶はないが、今一番心を占めるのは「葵を救いたい」という思い。


 今世で見てきた鷹司葵は、好ましい人物だった。芸術的センスはないと言いながらも、ちょくちょくアトリエに現れては、謙之介の絵を賞賛してくれた。馬鹿にされがちな題材を扱う謙之介にとっては、それだけでも好感度が高い。

 アトリエには息抜きで来るらしく、難しい表情の時も多かった。それでも弱音を吐くことはなく、ただ謙之介が描いていく様子をぼーっと眺め、出ていく頃には微笑みを携えている。巫女様の補佐についてからは回数も滞在時間も増えていた。おそらくかなりの心労なはずだ。けれど決して巫女様の悪口は言わず、ひたむきな方なのだと嬉しそうに語る。

 人の良いところを見るように育てられているのがわかる。決して汚いところをみないのではなく、罪を憎んで人を憎まずなのだろう。

 あまりにもできた女性だと、謙之介は年下の彼女を尊敬していたのだ。彼女は、上層部の癒着なんかで失っていい命ではない。


「と言ってもしがない画家にできることなんて…」


祈りの力は一般人。武力は一般人以下。ちょっと絵が上手いだけの謙之介にできることは少ない。

上層部の策略を伝えられればいいのだが、今、突然謙之介がそんなことを言っても「ついに頭がいかれたか」と思われるだけである。機械(空想)ばかり描いてきた弊害が出ている。


「しかもあと一週間でその日が来るんだよなぁ」


なんせ前世の記憶を思い出したのが、つい先ほどうたた寝から起きた瞬間である。せめて子供の頃から記憶があればまた何か違っただろうに。


何か、


何かないか。


彼女を、葵お嬢様を繋ぎ止めるだけの、何か。


「あ…」


ふと思い出した結衣の言葉。

ーーーこの連載が終わるまで、私死ねない。


「いや、でも…」


何度も賞を逃した挫折が、謙之介の自信を削いでいる。そんな漫画が、俺に描けるのか。

人の生死すら動かしてしまうような、そんなものが。


「…俺にできること、やるしかない」


それでも、葵に生きてほしい。その思いだけは何よりも強く強く抱え込んだ。



*****


 葵が殉職する運命の日まで後三日。描きこんだそれを合計十枚。葵に差し出した。


「これは…?」


困惑しながらも受け取った葵。謙之介は早る鼓動を抑えながら、ゆっくりと口を開く。


「漫画、というものです。小説と、絵本の間のような。絵のある小説と言った方が良いでしょうか?」

「へぇ、面白そうですね」

「葵お嬢様に読んでいただきたくて描きました」


調べてみたが、この世界に漫画はなかった。単純に世界を作り込む際に除外したのだろう。なのでトーンなどの材料は手に入らず、線画とベタだけだが、それでもこの量を書き上げるのは厳しいものがあった。ストーリー作成と下書きが三日で終わったのは奇跡。そして一日かけて今日お渡しする分のペン入れとベタ。ちなみに徹夜である。


「今読んでも構わないかしら?」

「ええ」


そういうと、リビングのソファーに座り、ジッと読み始める。

正直言って目の前で読まれるのは胃が痛い。通常ですらそう思うのに、ましてや今回は命がかかっている。思わずそばで直立不動になってしまった。


 謙之介が思い出した結衣の言葉。


「あー、この連載が終わるまで私死ねない!」


それは命の危機に瀕した言葉ではなく、ただ漫画を賞賛するためのもの。けれど謙之介は、漫画が誰かの生きる希望になることがあると知っている。漫画が、人の心を変えることがあると、知っている。

 謙之介にできるのは絵を書くこととお話を作ることだけだ。祈りの力も、武力も、政治的手腕も何もない。謙之介が今、葵にできることは「死ねない理由を作る」ことだった。


 とはいえ、この作品が葵の琴線に触れなければ、何も意味がない。どんな賞に出す時よりも緊張していた。頭から汗が滴り落ちているし、無意識に食いしばっていたのか舌も痛い。


 葵はゆっくりと一枚一枚めくっていき、最後のページをジッと見つめた後、また最初から読み直した。葵はスンと無表情である。

ど、どっち…?気に入ったの!?わけわかんなくて読み返してるの!?

 二周目を無言で読み終えたあと、葵はフーと大きな溜息をついた。切れ長の目がこちらを見る。その目は、一段とキラキラ輝いていた。


「続きは!?」

「あ、え、っと」

「続きはないのですか!?」

「えっと、明日以降数回に分けてお渡しできます」


これは、


「はぁっ、なんて素敵なものを読ませていただけたのでしょう!足の悪い少女と、その少女に窓から声をかける少年の、本来交わることのない世界!人生に絶望していた少女が久しぶりに笑った時の花の綻ぶような顔!ずばりこれは恋物語ですか!先生!」

「せ、先生!?」

「最初虫を渡して泣かれてしまうのも、二人の感性の違いが描かれていて面白いです!先生!続き楽しみにしておりますね!」

「は、はい!是非是非楽しみにしていてください!」


原稿を受け取ろうとすると、葵は少し伺うように上目遣いでこちらを見上げてきた。


「持っていてもよろしくて?その、…巫女様にお見せしても…?」

「もちろんです!あ、でもお渡しするのはお控え願えればと思います。管理は葵お嬢様にお願いしたいです」

「わかりました。素敵な作品をありがとうございます。明日も楽しみにお待ちしておりますね!」

「はい!」


掴みは思ったよりも上々であった。

 音もなく立ち上がり、心なしか軽い足取りで歩いて行く葵。


「っしゃ!」


去り行く後ろ姿に小さくガッツポーズを決めた。



*****



 生まれつき足の悪い少女がいた。彼女の世界は、小さな自分の部屋と、窓から見える庭だけだった。はじめは少女も頑張っていた。松葉杖をついて、外の世界に出ようとしていた。けれど、うまく歩けず転んでしまった時、他の子供にぶつかってしまったのだ。その子も転んでしまい怪我をした。自分のせいで、誰かが傷つく。

 優しい少女には耐え難いほどショックな事件だったのだ。

 ただでさえ自分のせいで歩調を合わせたりしなければならない、周りの子達に申し訳なさを抱えていたのに、決定的な出来事になってしまった。

 小さな自分の部屋と、窓から見える庭だけ。それだけで満足しようと思っていた、なのに。


 ある日突然少女の世界に迷い込んできた少年。最初は虫を渡されて悲鳴を上げた。けれど悪意はなかったと謝罪されて、虫はかっこいいからみんな好きだと思ってたと言われて、笑ってしまった。お詫びの印に持ってきてくれたネリネは、押し花にしてもらった。


「外に出るのが辛いなら、代わりに俺が世界を見てきてあげる。だから、待ってて」

「ーーーうん、待ってるね」


 ある時は綺麗な石を、ある時は森の空気だと言ってビニール袋を、ある時は野良猫を。

一生懸命に少女に世界を見せにきてくれる少年を、ただ待っていた。


 ところが突然、少年は来なくなった。

最初は用事があるのだろうと思った。次は少し腹を立てた、待っててと言ったくせに、と。そして心配になった、何かあったのでは。

 一週間後、ケロッとした顔で少年は現れた。流行病に罹ってしまい、移すわけには行かないから来られなかったらしい。

 少女は気付く。

 大切な人の危機に、ただ待っていることしかできない恐ろしさに。ーーーそして、決意。



*****



「葵お嬢様」

「謙之介さん、お見送りありがとうございます」

「…いえ…」


 とうとう来てしまったこの日。

この旅の途中で葵は命を落とす。巫女様を逃がすために。

ギリと、奥歯を噛み締める。これが、最期になるかもしれない。

葵の顔が見られずそっと視線を足元に逸らした。…ふいに、頬に冷たい感触。


「私がそんな顔させているのかしら」


葵の指が頬に触れているのだと気付き、慌てて一歩下がる。


「お、お嬢様!?そんな簡単に男に触れるものじゃありませんよ!」

「ふふっ、まるで謙之介さんの方が淑女みたいな反応ですね」

「お嬢様!」


ふわり、怜悧な顔が、花が綻ぶように笑みを描く。


「心配してくださるのね」


だって、そりゃあ、そうだろ。


「葵お嬢様」


俺の力はちっぽけで、この世界の、葵お嬢様の運命を変えるにはあまりにもか弱くて、それでも諦めきれなくて。守りたいだなんて言えるわけがないし、漫画を描くしかできなかった俺は、それでも貴女を失いたくないんだ。


「俺は、貴女をお待ちしております」


俺の言葉にどこまで、どこまで効果があるかなんてわからないけれど。

せめてもの手向けにとアネモネの押し花で作った栞を渡す。


「お守り…なんて、烏滸がましいですが、その…、…ご武運をお祈りして、お待ちしております」


葵は少しきょとんとしたまま栞を受け取り、それから少女のように破顔した。


「ええ!帰ったら漫画の続きを読ませてくださいね!」


そう言って大切そうに内ポケットに栞をしまう。背を向けた彼女は、どこまでもまっすぐで頼もしかった。


俺は、貴女の未練になりたい。



*****



 少女は決意する。

 異国の地で、機械仕掛けの義足をつけることを。世界に踏み出すための足を、手に入れることを。

 少年に、しばらく会えなくなる旨を伝えたのは、出立の日の前日だった。もし彼に止められたら、決意が揺らいでしまいそうだったから。

 翌日、車椅子で久々の外に出るところを、少年が現れた。


「これ、あげる」


差し出したのは、ピンクのアネモネだった。



*****


 祈りの力を使った緊急連絡が届いたのは、その日の夜中3時のことだった。一睡もできないままベッドに寝転んでいた謙之介は、緊急連絡の通知音でベッドから転がり落ちた。

 そのまま転んでいるのか走っているのかもわからない状態で、鷹司伯爵夫妻のもとに駆けつける。


「…ああ、謙之介くん。…葵が…重体で運ばれたと」

「…重体…運ばれたって、どちらに、」

「政府直属の病院だ。起こしてすまなかったね。君は寝なさい」

「お、れ…」


俺も連れて行ってくださいなんて、言えるわけがない。家族でも何でもない、ただパトロン関係の男だ。

 鷹司伯爵夫妻は足早に馬車に駆け込んで行った。祈りの力の転送基地まで行くのだろう。

 

 夫妻が消し忘れた電気の下で、崩れ落ちる。

囮になって、殉職して、操り人形になることはなかった。けれど、結果が重体。重体って、なんだっけ。ニュースで良く聞くそれは、決していい知らせではないことだけは確かだ。

 もしかして、何もしない方が良かったのでは、俺がやったことは、葵お嬢様をより危険に晒したのでは。







葵お嬢様、

















 どれくらい、そうしていたのかはわからない。急に肩を叩かれて、うつろに視線をやる。そこには鷹司伯爵夫人が気遣わしげに眉を下げていた。


「ずっと、ここで、泣いていたのね…。葵は一命をとりとめたわ。…あの子が心配かけてごめんなさいね」

「………あ、あ、ああああっ!」


そっと夫人に抱きしめられる。

涙なのか汗なのかよだれなのかわからない液体が頬を濡らした。


「まだ目覚めていないけど、時期に目を覚ますでしょうって。…あの子は幸せ者ね。こんな風に思ってくれる人がいて」

「ああああ!よが、よがっだ…!よがっだで、す!良かった…」


そうして俺は意識を手放した。



*****



 謙之介は1週間ぶりに葵に会いに、病院へ見舞いに来ていた。病室のドアの前で立ち止まって頭を抱える。


 …いや、どんな顔して会えと!?


 謙之介が葵のことで相当取り乱したことは、夫人から葵に伝わっているらしい。ニコニコとしている伯爵夫人と、なんだか急に怖い顔をするようになった伯爵に勘違いされているのはわかるのだが、訂正するにはあまりにも錯乱しすぎた。

 恋とかではないんです。尊敬と好感度はめちゃめちゃありますけども!前世で心を乙女にされただけで!なんて言えるわけもなく。


「家族以外も面会できるようになったら、貴方を呼んでくれって葵がうるさいのよ。もう!そういうことなら早く言ってくださいな!」

「私はまだ葵には早いと思うがね!」


なんて言う伯爵夫妻にブンブン頭を下げて、完成した漫画のラスト5枚と見舞いの花を持ってきたのが10分前だ。

 ええい、ままよ。

病室の引き戸の取手に手をかけようとした瞬間、勝手に戸が開いた。


「ひっ」

「あ、驚かせてすみません。ずっといらっしゃるのに入ってこないからどうされたのかと」


そう言って向こう側から戸を開けたのは、随分と怪我をした、小柄な少女だった。


「あ、え、祈りの巫女様…?」

「はい、花城咲と申します。あなたは…?」

「俺は…」


鷹司家の画家だと伝えると、合点がいったように、「あの漫画?の!?」と喜ばれ握手を求められた。祈りの巫女様と握手しちゃった…。


「葵お姉様は私が来た時から眠ってらっしゃって…」

「ああ、そうなんですね」


ほっとしたような、残念なような気持ちで息を吐く。パイプ椅子を勧められて、葵のベッドの横に巫女様と並んで座った。

失礼にならないように巫女様を見る。頬に大きな絆創膏、長袖で見えていないが、動きのぎこちなさから、腕も恐らく怪我をしている。手首からチラリと見える包帯が痛々しい。スカートの下にも両足包帯が巻いてあり、動きづらそうにしている。

 巫女様はこちらをちらりと伺ってきたのでパチリと目が合う。すると逡巡するように視線を彷徨わせた。


「…あの、画家さんに会ったら、お礼が言いたくて」

「えっ?なんで俺に?」


巫女様は痛ましそうに顔を歪めた。


「詳しくは、守秘義務があって言えないのですが、多くの護衛と離されて敵に囲まれて、もうダメだと思ったんです。その時葵お姉様が、『私が囮になって2人を逃すのが最善だと思います』とおっしゃって」

「そんなっ、」

「でも、その後に続けて『でも、待ってくれている人がいる。だから帰らなきゃ、帰ってあの話の続きが読んで、感想を伝えたい』と」

「俺の…」

「はい、貴方と、貴方の漫画です。『申し訳ありません。共に戦ってください!』とおっしゃって。…あなたにお礼が言いたいんです」


巫女様は立ち上がって、こちらに頭を下げる。


「祈りの巫女だなんて、呼ばれても、私は大切な人1人守ることが、っ、できませんでした。あなたが、あなたがいなければ、きっと葵お姉様は共に戦ってくれなかった。葵お姉様の、っ、生きる理由になって、くださって、ありがと、っ、ございます」


嗚咽混じりの感謝に、慌てて立ち上がって謙之介も頭を下げる。何を言えばいいかもわからず、ただ涙がぼたぼたと床にこぼれた。


 そっか、俺、なれたんだ。

葵お嬢様の、生きる理由、死なない未練に。


どれくらいそうしていたのかわからない。お互いボロボロ泣いていることだけわかるから、顔を上げづらいのもある。


「…え、どういう状況…?」


掠れた声に2人して顔を上げる。

ベッドに横たわったままこちらを見ている葵が困惑した表情を浮かべていた。


「葵お姉様!お加減はいかがですか!?」

「お嬢様!お水、何か、飲み物を」

「巫女様も謙之介さんも落ち着いて、重病人じゃないんだから」


重病人でしょうが!という声が綺麗にハモった。



*****



「うっ…うっ…よか、良かったぁ…」

「ぐすっ、2人、幸せに暮らして…」

「なんか、こう、こんなに自分の作品で泣かれるとこそばゆいですね…」


 ぐすぐすと泣く葵と巫女様に、いたたまれなさを感じる。きっとこの漫画が彼女たちに響くのも、この世界に類似する作品がないからで、現代日本では埋もれてしまうに違いない。己の力量がわかっているからこそ、この反応が気まずくもあり、嬉しくもある。


「完結おめでとうございます先生…!」

「先生はよしてください…」

「もう一周したいです…!葵お姉様早くご自宅戻って鑑賞会いたしましょう!」

「もちろんです巫女様!」

「先生もご一緒に!」

「先生はよしてください…」


2人の明るい笑顔にホッとする。今は小休止でしかない。それでも、気を休める時間が彼女たちには必要だった。謙之介がその手伝いになれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 そういえば、と葵がベッドサイドから何かを取り出す。


「これ、言ってくれれば良かったのに」


手に持っていたのはあの時渡した栞だった。血で汚れたのであろう、わずかに霞んだそれは、それでも死線に持っていかれたとは思えないくらいには綺麗だった。


「あの時のお姉様かわいかったなぁ。顔真っ赤にして」

「みーこーさーまー?」

「あはは、ごめんなさぁい」


女性同士の小鳥のような戯れに、置いてけぼりになる。すると、少し拗ねたような表情で葵が呟いた。


「この花、アネモネって言うんでしょう?」

「あ、…いやぁその」

「ピンクの花言葉は『待ち望む』ですよね!うち花屋やってて!」

「我ながらキザなことやってしまったとは、思ってます」


創作者なんて大抵ロマンチストである。


「これのせいで、生死の境から帰ってきたんですから、…責任とってくださいね」

「え?は、はい」

「やったぁ!言質とったぁ!」

「やりましたね葵お姉様!」

「話が何も見えないんですが…」


葵の退院後に結婚話が進んでいることを知って、ひっくり返るのはもう少し先の話。



*****



 見慣れた天井、聞こえる冷蔵庫の動作音。ああ、「戻ってきたな」と謙之介は呟いた。スマホを見れば、日曜日の午前5時。二度寝してもいいけれど、気分じゃなかった。


 なんとなく、気付いていた。あの世界の謙之介は、この世界の自分けんのすけと地続きではないことを。並行世界の自分、あるいはあの世界で謙之介が生きていたらのifの自分、考えようはいくらでもある。けれど、この現実世界に戻ってくるだろうことは、薄々感じていた。

 向こうも特に問題はないだろう。謙之介あちらのじぶんの現代の記憶は徐々に薄まっていたし、結婚式の準備の慌ただしさで忘れてしまうに違いない。

 葵を救いたいと思って行動していたのは、あの世界の謙之介じぶんでもあるから、文句はあるまい。


「一度描いた原稿って、どこまで同じに描けるのかな」


ぼやきながら、液タブに向き合う。歌でも歌いたい気持ちだ。結婚ソングメドレーでもするか。

 表紙は決まっている。機械の足と羽根をもつあの少女だ。



*****



 この時描いた漫画がきっかけで、SFではなく少女漫画家デビューすることになるのは、さすがに予想外だった。

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