エレベーターに乗る者

佐々井 サイジ

第1話

 幹也はむき出しになっている腕をこすってなんとか熱をひねり出していた。半そで半ズボンで外に出たのが間違いだった。下宿先のアパートの真横にあるコンビニで酒とつまみを買うだけだったので大丈夫だと思ったのが早計だった。ワンルームの部屋の中は熱がこもっていたことも計算を狂わせた要因として大きかった。

外に出たときは、むしろ涼しいくらいだったが、コンビニを出た途端、寒さが体にまとわりついた。小さく足踏みをしながら脇を閉め、エレベーターのボタンを連打する。そんなことをしても意味がないのはわかりきっていたが、何か手足を動かしていないと冷えていってしまう。かといって七階まで階段で上がる気力はなかった。酒は二本だけ買うつもりだったが、CMで見たビールがおいしそうだったことに加え、アルバイトの給料日ということもあり、つい五本買ってしまった。それに見合うようにつまみの量も増えたので、買うつもりのなかったレジ袋に入れて帰る羽目になった。持ち手の部分が指の関節に食い込んで痛む。エレベーターは幹也をじらすように最上階の九階からゆっくりと降りてきている。

 寒さを紛らわそうと違うことを考えてみる。明日は何曜日? 木曜日だ。だから三限だけしか授業がない。しかも三限のミクロ経済学Ⅰの評価はテストのみなので、最悪欠席しても差し支えない。酒は土日の分も考えて購入したが、いっそ明日を臨時休暇にして一晩ちみちみ酒を楽しんでもいいかもしれない。幹也はそう考えると寒さを忘れることができた。むしろエレベーターを待つのがもどかしくて怪談で行こうとも思い始めたが、レジ袋が揺れて指が締め付けられる痛みに挫折した。とはいえ、ようやく三階まで到達していたので、もう少しの辛抱だった。

 気が付くとなにやらざわざわした音が聞こえてきた。エントランスから入り口を覗くが誰かいる気配はない。この下宿先のアパートの前の道は飲み屋街へと続くので、よく幹也と同じ大学の学生が深夜になってもがやがやと賑やかに通っていた。幹也はその中にいることもあれば部屋の中から賑やかさを聞き、缶ビールを口につけることもあった。幹也はそのがやがやを不快には思わなかった。大学の四年間だけの特別な音だとして楽しんですらいた。

 しかし、今回に限っては誰もいないのに賑やかさは消えない。しかもよく聞いてみるとにぎやかというより低い声が幾重にも重なっていた。まるでお経が読まれているような不気味さが漂っている。そう考えるといよいよ鳥肌が立ち始めた。

背後からエレベーターが到着した音が聞こえてきた。早歩きで戻ると、エレベーターの中にはほぼ隙間のないくらい人が入っていた。あと昼間でさえこんなに人が乗っているところはみたことがなかった。人々の顔はどこか生気がなく上を向く人や俯く人がいたりしている。

かろうじて一人分入れるところに小さく頭を下げながら入った。すし詰めでさぞかし熱いだろうなと思ったが、むしろ逆だった。外にいるときよりひんやりとしており、しかも誰かから悪臭がする。もしかしたら腋臭の人がいるのかもしれない。鼻をつまむわけにはいかない。このマンションでまた出くわすかもしれないのだ。小さく口を開けて息を吸っては止め、我慢の限界が来たらばれないようにまた吸うことを繰り返しているうちに七階に到着して降りた。振り返ると、七階に至るまで誰も下りなかった。大量の人々はすし詰めになったまま八階へと上がっていく。

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