第14話 エルフと魔法(3)

 時刻は午後三時ごろ、雲ひとつない青空のもと。

 屋敷から少し離れた、なだらかな斜面の草原にて。


 リターニアが手にした杖を軽く振ると、彼女の身体がふわりと浮き上がる。

 まるで、木の葉が風に揺れて舞い上がったかのようだった。


 おれの隣で眺めていたメイシェラが、わあ、と声をあげる。


「リタさん、慣性制御ユニット、本当に使っていないんですか」

「はい、これが魔法です。便利なのですよ」


 リターニアが、もう一度、今度はメイシェラに杖の先を向けて軽く振る。

 するとおれの隣で風が吹き、メイシェラの姿がふわりと浮き上がった。


 メイシェラはメイド服のスカートを押さえて「わあっ、わあっ」と悲鳴をあげた。


「どうでしょうか? 魔法、ちょっとしたものでしょう?」


 リターニアはえっへんと胸を張る。

 長い耳が、ぴくぴくと大きく上下していた。


「こ、これ、どうなっているんですかぁ。魔法ってなんなんですか?」

「”繭”だ」

「”繭”?」

「超弦流子胞。この星を包む、高次元の見えない繭。高次元知性体オーヴァーロードは呼吸するように物理法則を書き換える。その特殊な物性については、帝都大学でもまだ研究が進んでいない」

「それって、兄さんの研究の……」

「エルフは、そこから力を引き出しているんだ。実に興味深いよ」


 おれは帝都のライブラリで知った、この星の歴史を思い出す。

 ざっと読んだだけだが、それはヒトが竜の遺産を好き勝手にいじった結果の、少し奇妙な顛末である。


 ずっとずっと昔、まだ帝国すら生まれる前のこと。

 ヒトの一団がこの星を見つけて、竜という高次元知性体オーヴァーロードと出会った。


 あまりにも理解不能な現象の数々と、当時は意思の疎通も困難だった竜。

 その一団は、相手を理解するためには自分たちの方が相手に歩み寄るべきだ、と考えた。


 結果、ヒトとしてのありようを変革した、まったく新しいタイプの環境適応人類が生まれた。

 それが、エルフである。


 エルフは竜がこの星中に張り巡らせた超弦流子胞、すなわち超次元の”繭”を認識し、この”繭”からちからを引き出すことに成功した。

 これが、現在この星で魔法と呼ばれているものである。


 ”繭”を用いた竜との相互干渉により、竜もまた少しずつヒトを学び……。

 長い試行錯誤の末、竜の一体が、ヒトのかたちを取ってエルフの前に現れることとなる。


 いまのホルンのような姿だな。

 それから先、更にいくつもの試行を経た末に、エルフと竜は対話に至った。


 そう、魔法というのは竜を理解するための副産物であったのだ。

 もっとも、エルフたちは代を重ねるに連れ研究者としての特性が失われていき、現地に土着した。


 現在では、ただ魔法が使えるだけの長命の環境適応人類にすぎない。

 そして、魔法に依存したエルフの文明は、”繭”が存在するこの惑星フォーラⅡの内部でしか成立しない。


 故にエルフたちは、この星を出ることがない。

 リターニアが若き日の陛下と出会い、しかし陛下が星の外に戻る際、ついていかなかった理由はよくわかる。


 女帝の葬儀のためであっても星の外に出なかった理由も。


 ちなみに成竜はこの”繭”を自在につくり出すことができるから、別に惑星の外でも生存可能であるという。

 己自身で生存環境の構築するくらいできなくては、高次元知性体オーヴァーロードとは認定されない。


「ゼンジさまも飛んでみますか?」

「いや、また後日で頼む。それより、他にもどんな魔法が使えるのか、教えてくれないか」

「もちろんです」


 リターニアは地面に降り立つ。

 その横に、メイシェラがすとんと落ちた。


 メイシェラは腰が抜けたように地面に座り込み、おおきく息を吐く。

 顔を真っ赤にして、おれを見上げた。


「あっ、兄さん、わたしの、その……下着、見ました?」

「見えなかったし、そもそもおれは、おまえのおしめを取り替えたこともあるんだが……」

「いまのわたしは十五歳、もう立派に大人のレディですよ? わかってます、兄さん?」


 十五歳は大人じゃないんだよなあ。

 これを言うと激怒するから、もちろん口には出さないけど。


 リターニアがくすくす笑う。


「十五歳は、わたくしたちの基準では赤ちゃんです」

「長命種の方はそうでしょうねえ!」


 怒って立ち上がるメイシェラに、エルフの少女はどこからともなく取り出した木のコップを渡す。

 きょとんとしているメイシェラに笑いかけると、コップに向かって軽く手を振ってみせた。


 温かい風が吹いた気がした。

 こぽり、と音がして。


 コップの中、七分目あたりまでが水で満たされる。

 メイシェラは、目を丸くしてコップを凝視した。


「これって……コップの方に仕掛けがあるわけじゃ、ないんですよね」

「わたくしが普段使っている、ただのコップです。大気中の水分を集めました。はい、どうぞ」


 メイシェラはコップを受け取って、えいやっと中身を一息に呑み干した。


「ただの水です……」

「ええ、水ですから」

「失礼ですが、これって機械でもできることな気がします」

「はい。ですから魔法なんて、そうたいした物ではないのです」


 エルフの少女は、皮肉げに口の端をつり上げる。


「ですが、この地に暮らすわたくしたちにとって、魔法はなくてはならないちからなのです。故に、わたくしはかつて、星の海に帰る友を見送るしかできませんでした」

「リターニアさん……」

「少しだけ、期待していたのです。この屋敷にふたたび灯が灯ったと聞いて、飛んできました。あのひとが戻って来たのではないか、と。彼女の訃報はわたくしのもとにも届いていたのですが」

「ごめんなさい、わたしたちは……」

「嬉しい、です。イリヤはきちんと生きて、きちんとその魂は空に還りました。あなた方が、それを教えてくれました」


 リターニアは空を見上げた。

 雲ひとつない、その空の向こうに目を細める。


 エルフは魔法によって己の五体を強化することができるという。

 彼女の魔法は、空のその先まで見通せるのだろうか。




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