第2話

 しばらく待ってみたが幼竜を捜していたとおぼしき者たちは現れず、おれたちはそれから一時間ほどで屋敷に戻った。

 昨日から我が家となった、丘の上の一軒家に。


 陛下から下賜された土地と建物だ。

 丘とその周囲、屋敷を中心とした半径十キロメートルが、いまはおれの土地であるという。


 おれを軍から追放した摂政も、陛下の最後の命令である、この土地だけは奪えなかった。

 あの方は、はたしてどこまで遠くを見通していたのだろうか。


 まだ年若い皇太子が、皇帝に即位するに際して腰巾着を摂政にすること。

 その摂政がおれを目の敵にしていた人物で、おれを政治的に追い落とすことに血道を注ぐであろうこと。


 陛下のお気に入りだったおれは、陛下という後ろ盾を失えば、それに対してなすすべもなかったということ。

 おそらく、すべてご理解されていたのだろう。


 それに、もとより。

 おれに、これ以上の野心などなかった。


 陛下にお仕えできるからこそ、若くして元帥の地位も受け入れたし、がむしゃらに働くこともできたのだ。

 陛下がお隠れになった後、多くの者たちがおれのもとから去って行ったが、それも別に構わなかった。


 最初から、陛下亡き後の軍に留まるつもりなどなかった。

 本当はひとりでこの地に赴くつもりだった。


 しかし、妹のメイシェラだけは、自分もついてくると言い張った。


「もう軍の栄養AIのアドバイスは受けられないのですよ。わたしが兄さんの健康を管理しないで、誰がするというのですか」


 そう言って胸を張る彼女だが、その本心は、おれをひとりにしておくと自暴自棄にならないか、不安といったところなのだろうと思う。

 実際のところ、いまのおれには身を投げる気力すらないのだけれど。


「それに、兄さん。わたしのプリンは大好きでしょう?」

「ああ、そうだな。プリンが食べたい」

「そうでしょうとも。後でつくっておきます。明日にはできていますからね」


 今日はふたりで首都まで出てしまったから、お菓子をつくる時間がなかったのだ。

 今度は、明日のプリンに期待するとしよう。


 おれは、ハンカチに収めていた青銅色の鱗を取り出す。

 夕方、竜の子から貰ったものだ。


「それ、どうするんですか」

「売れば、ひと財産を築けるんだが……」


 戸惑う義妹に、市場価値を教えてやる。

 メイシェラは目を丸くして驚いていた。


「帝都で豪邸が買えますよ!」

「豪邸、欲しいか?」


 少女は首を横に振った。


「わたしたちには、この家がありますから。それに、あの子はきっと、兄さんに持っていて欲しいと思います」

「そうだな。これはあの子からの大切な贈り物だ。穴を開けて、アクセサリにするのもいいかもしれないな」


 鱗を送った竜は、己の贈り物を装飾品とされることを喜ぶ、とどこかで見た気がする。

 あとでもう一度、文献を当たってみよう。


 そんなことを考えながら、二階のベッドで眠りについた。

 メイシェラの手によって冷蔵庫の中に大事にしまわれたプリンを確認してから。



        ※



 翌日の朝。

 おれのプリンは、無残にも失われていた。


 プリンが保管されていた冷蔵庫のそばで、プリンをむさぼる、十七、八歳に見える少女の姿がある。

 燃えるような赤い髪を足下まで伸ばし、澄んだルビーの瞳を持ち、豪奢な赤いドレスに身を包んだ少女だ。


 ドレスの胸もとが、豊満に膨らんでいる。

 現地の民だろうか、と一瞬だけ思った。


 だが、現地の民がこの家のセキュリティを抜けて侵入することなどできるはずがない。


 彼女は、起き抜けのおれとメイシェラが警戒する中、無造作にこちらを見ると……。

 にかっと、笑ってみせた。


「たいそう美味であった! これは何という食い物だ?」

「プリンです。兄さんに食べて貰うはずでした」


 冷たい声でメイシェラが告げる。

 だがそれを受けた少女は、慌てて立ち上がると、「そうか。そこの者のものであったか。とんだ失礼した!」と深く頭を下げた。


 紅蓮の髪が左右に流れ、床に川となる。

 少女は、そのまま顔だけを持ち上げて、こちらを見た。


「てっきり、われへの貢ぎ物かと思ってな」

「そんなわけがあるかっ! だいたい、どうやってここに入ってきた」


 今度は、少女はきょとんとして首を横に傾ける。

 意味がわからない、といった様子だ。


「くさびがあったかの?」

「いったいどういう……いや、待て。きみは誰だ。ヒトじゃないな?」


 おれの直感が、告げていた。

 この感覚には覚えがある。


 五感を超えた何かが叫んでいる。

 この少女は、目の前の存在は。


 ヤバい。

 と。


 全身に震えが走る。


「おぬしら、星の外から来た者か?」

「きみは……もしかして、竜か」

「うむ。ホルンと名乗っておる」


 少女は、えへんと胸を張った。

 豊満な双丘が大きく揺れる。


 いっけん可愛らしいその姿は、しかしいまのおれには、化け物か何かのようにしか見えなかった。

 こんなナリだが、あの幼体とは何もかもが違う。


 知性も。

 そして、存在感も。


 真の高次元知性体オーヴァーロード

 ヒトのそれをはるかに超えた、高次元の生命。


 成竜だ。


 胸の奥から湧き上がる喜びがあった。

 いつか会いたいとは願っていたが、まさかこんなに早く、成竜に会えるなんて。


 同時に、恐怖もあった。

 おそらく彼女がその気になれば、自分とメイシェラはたやすく殺される。


 それも胴と首が離れるとか肉塊になるとかいうレベルではなく、肉体そのものが塵となるくらいに。

 そのような存在が、直感でわかるほどに高次の存在であることを隠しもせず、自然体で、目の前に立っている。


 おれはとっさに、メイシェラをかばって前に出た。


「え、ええと、兄さん? この方が、どうかしたんですか」

「見た目に騙されるな、メイシェラ。竜だ。こいつは、成竜だ」

「竜……こんなに、綺麗な子なのに」


 高次元知性体オーヴァーロードには、見た目など何の関係ない。

 三次元に出力された肉体など、その巨大なありようのごく一部にすぎないのだから。


 警戒するおれを見て、少女のような外見をした存在は、ふむ、と大きく息を吐く。


「勘違いさせてしまったようだ。われはただ、昨日、そなたらに助けて貰った子の礼に来ただけよ」

「子どもの……礼……?」

「覚えておろう。そなたらの魔法ならぬ魔法で、翼を癒やした竜の子のことを」

「あ、ああ。そうか、あの子は無事だったか」


 ほっと安堵の息を吐く。

 胸ポケットからハンカチに包んだ鱗をとり出した。


 とりあえずお守りのかわりに、ということで、昨日からずっと、入れてあったのだ。

 青銅色の鱗を見て、目の前の少女が目を細めた。


「そなたはずいぶんと好かれたな。我らの子に好かれるヒトは、近年珍しい」

「おかげさまで、な。報告、ありがとう。懸念がひとつ消えた」

「うむ。我らの集まりで、そのことが話題になった。代表して、われが挨拶に来た。星の外から来たヒトよ、此度の汝らの手当て、まことに感謝する。おかげで我が地の民はいまいちど、空へ舞う自由を得ることができた」


 深く、深く頭を下げる、赤髪の少女。

 その自然な所作は、なぜだかとても美しくて、涙が出そうになった。


「礼を受け取ろう」

「うむ。改めて、名乗ろう。我が名はホルン。空をたゆたう紅蓮の導き、星の守り手、繭の中ほどの紡ぎ、もっとも輝かしき光の焔」

「ゼンジ・ラグナイグナだ。帝国軍を辞めて、この地に来た。これからよろしく頼む。……きみは、竜の王……主? 元締め? そんな感じなのか?」


 成竜については、その数も組織も、何もかもが未だによくわかっていない。

 これまで帝国は、強大すぎるちからをもった彼らの機嫌を損なうことをよしとせず、ヒトと竜の接触を極力避けてきた。


「そのようなものだ。竜の総意として、これをおぬしに授ける」


 ホルンはどこからともなく握りこぶし大の真珠のような宝石をとり出し、おれに手渡してきた。

 ほんのりと温かく、虹色に淡く輝く、不思議な宝石だ。


「これは……まさか、竜玉か」

「うむ。おぬしらはいま、このときより、すべての竜の友となった!」


 メイシェラが脇から覗き込んできた。

 つんつんと竜玉をつっつく。


「へえ、綺麗な宝石ですねー」

「竜玉。高エネルギーを生み出す動力炉みたいなもので、過去に二個だけ帝国に贈られた事例ある。これが三個目だ」

「待ってください、兄さん。それってものすごい貴重なものなんじゃ」

「絶対に売らないが、もし売ったら星がいくつも買えるだろうな」


 メイシェラは、喉の奥で押し殺したような呻き声をあげた。


 というか、迂闊に存在を広めたらヤバいやつだ。

 何せ竜玉の一個は皇室の宝物庫に最上級の秘宝として安置され、もう一個は帝国軍旗艦の動力炉になっているようなシロモノなのである。


「それと、このプリンというもの、実に美味。われはまた食べたい」


 おれは、ちらりと、顔を赤くしたり青くしたり忙しそうなメイシェラを見た。

 我が妹は、困惑した様子で、「ええと、兄さんがいいなら」とうなずいてみせる。


「でも、今日はもう駄目です。明日、また来てください」

「よかろう! では、また明日だ!」


 そう言うや否や、少女は軽く右手を振る。

 その姿が、ぱっとかき消えた。


「空間跳躍……何の装置も使わずに、ただ己の身ひとつで?」


 メイシェラが目を丸くする。

 帝国にはジャンプドライブを始めとした複数の空間跳躍技術を保有しているが、個人レベルでそれが可能なものは未だひとつも存在しない。


「まさか、この家に侵入したのも?」

「だろうな」


 実際のところ、こんなの、高次元知性体オーヴァーロードにとっては造作もないことなのだろうけれど。

 だからたぶん、いきなり台所に侵入してきたことも、彼女にとっては何の不思議でもないことなのだろうけれど。


「先が思いやられるな……」


 おれはため息をつく。

 朝から、疲れた。


 まずはこの竜玉をどこかに隠さないといけないのだけれど……。

 その前に甘い物が食べたい。


「ところで、メイシェラ。本当に、今日のプリンは?」

「無くなりました」


 生きる希望が失われた。

 おれはもう駄目だ。


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