6-2

 すぐそこで陽向くんがじっとこちらを見ていることに気がついた。

 ギュッと心臓をつかまれたみたいに気が遠くなってくる。

 なんで、なんでそんなところにいるの?


「あ。もしかして――」

 陽向くんはばつが悪そうに言葉を句切った。


 どうしてこんな間の悪いときばかり遭遇してしまうんだ。いつもは夢でさえも会えないっていうのに。

 あたしと夕凪はなんの接点もないんだから、ふたりで仲良く登校していたら絶対疑われる。


「ちちちち違う!」

 夕凪はものすごい慌てふためいてあたしから離れた。

「そ、そうだよ。別に付き合ってるとか、そんなんじゃないから」

 あたしはいってる途中から男らしく振る舞おうとしたが、全然うまくいかなかった。


 陽向くんは困惑したようにこちらを見比べていた。

「そんな、隠さなくてもいいじゃん?」


 どうしようかと、あたしと夕凪は顔を見合わせた。

 誤解されたままなんて絶対にイヤだよ。

 不用意に言いふらしたりするような人じゃないけど、あたしにとってはそんな問題じゃなくて。


 そうだ! 誤解を解くにはもう本当のことをいうしかない!

 キリコと入れ替わったときだって、陽向くんは知っていたのだから、むしろそれ以外に道はない。


「あの、実は……」

 あたしが説明しようとすると、陽向くんはそれをさえぎるように言葉をかぶせてきた。

「やっぱりそうか。でもごめん。話しはあとで。もう遅刻確定っぽいけど、部活に行かなくちゃいけないから」

「いや、だから……」


 なおも食い下がろうとするあたしに、陽向くんは右手をひらりと挙げると走って学校へ向かった。

 部活もあるっていうし、無理にも引き留められない。


「あ、ああ……うそでしょう……」

 あたしは陽向くんの後ろ姿を見送りながら、全身の力が抜けてしまった。


 最悪だ。よりにもよって、なぜ陽向くんなんだ。

 今までだって、一度もこんなに男子と親密にしていたことなんてないのに、登校するにはちょっと早い時間にふたりで会ってたとか、そりゃ誰だって親密な関係にあるだろうって思うし、気を遣って足早に立ち去りたくもなっちゃうよね。


「もう! むやみに体さわってこないでよ」

 怒りの矛先を夕凪に向けると、わかりやすいくらいに小さくなった。

「ご、ごめん。なんか、目の前に自分の体があると垣根がなくなっちゃう」

 ああ、もう夕凪のことを怒ってもしょうがないのに。

 自分にもいらだって息を吸って落ち着かせる。


「あのね、あたしはあなたで、あなたはあたしで、なにもかもが心配で、それはそうなんだけど、距離は保とう。へんに思われる」

「うん。音無さんになりきって、夕凪風太と距離を取る」

 夕凪は自分に言い聞かせるようにぶつぶつとつぶやいている。


 元に戻れない以上、夕凪にはあたしになりきってもらわないと困るんだけど、でもそれをなかなか受け入れられない気持ちもあった。

 目隠しをして家の中にずっとこもっていてほしい。

 そんなことできやしないのに。

 あたしだって閉じこもってばかりはいられない。なんとかしないと。


 自信なげにたたずんでいる夕凪に声をかける。

「あと、日向くんのことだけど。同じ幼稚園ってことは、夕凪は日向くんとも仲がいいの?」

「仲がいいっていうか、今は全然。あのころはよく遊んでたけど」

 夕凪はちょっぴり寂しそうにうつむく。


 そうだよね。キリコのことをキリちゃんと呼ぶくらいなんだから、陽向くんのこともよく知っているはずだ。


「とにかく、夕凪の姿をしているあたしからいっておく。入れ替わりのこと、伝えておいてもいいよね」

 すると夕凪は一転して明るい表情を見せた。

「そっか! 本当のこと、いえばよかったんだ。あのときだって陽向と音無さん、一緒にいたもんね。どうしたらいいのかわかんなくて、慌てちゃったよ」


 夕凪は陽向って呼んでるのか。

 なんか、緊張する……ああ、ダメダメ。中身は音無花音だと告げるのだから、呼び捨てにするのはずうずうしいような……。

 だけど、姿は男子なんだから、近づきすぎても女子から白い目で見られることもなくて、そこはうれしい。


「あっ、そうだ!」

 登校途中だったことを思い出す。

「こんなことしている場合じゃないよ。夕凪は待ち合わせの場所に向かって。双葉と友梨奈といつもどおりに登校してくれないと困る」

「了解っ! まかせて」


 急にかわいこぶって張り切り出す夕凪だが、心配だ。

 キリコと比べたら、あたしに向かう敵対心がないだけまだマシなんだけど、慣れない女子の世界に順応できるか不安しかない。

 頭の回転もにぶそうだし、まったく頼りにならない。


 大丈夫かな。あたし、あんまり一生懸命にやるタイプじゃないんだけどな。空回りしないといいのだけど……

 面倒な頼みごとにもどこ吹く風の夕凪。

 ここからでは待ち合わせ場所まで遠回りになるというのに、夕凪の足取りは軽やかだった。


 こちらは一気にものを胃袋に押し込んだせいで胃が重い。それでいて栄養がまだ行き渡っていなくて力が出ない。

 家族間のトラブルじゃないとわかったけど、なんでそんなにやせたいんだろうな。

 自分で腕をつかんでみる。音無花音のほうがよっぽど肉付きがよさそうだった。


「はぁ……」

 夕凪はあたしの体がだらしないとかバカにしてるだろうか。

 ここまで食べることを我慢できるって、ある意味すごい。

 あたしも、ちょっとは協力しなくちゃ。

 夕凪がこの体に戻ったときのために。


 いや、そんなことより。そもそも、あたしたち、戻れるんだろうか。

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