6章 お願い、誤解しないで!

6-1

 翌朝はもっとひどかった。

 眠い目をこすりながら階下へ行くと、夕凪の席には何も用意されていなかった。

 ひとまず座ると、また母親が不審そうにこちらを見た。


「なにか用なの?」

「いや……別に」


 朝食はいつも食べてないってことなのか。

 すると、朝はここへ来ることもないのかもしれない。

 またまたあたしは退散した。


 夕凪の生活はあたしの常識とはかけ離れていて、この家にいるとボロが出てくる。それどころか嫌気がさして憂鬱になるというか。

 だいぶ早いが家を出ることにした。


 夕凪がやせてるのって、ごはんを食べさせてもらえないからなんだろうか。

 イヤなこと知っちゃったな。

 学校で起こってるいじめとか、スルーしちゃってることもあるけど、家の中で起こってることを目の当たりにするのは、とんでもない十字架を背負わされている気持ちになる。


「はぁ……」


 もう、イヤだよ、入れ替わりなんて。

 ひょっとして夕凪が自分の体に戻りたくないのは、この家に戻りたくないってことなのかな。

 突然泣いたりしてわけわからなかったし。

 この家で夕凪がどんなふうに過ごしているのか聞き出すのは気が重かった。家族とどんなやりとりをすればいいのだろう。


 ぐだぐだと歩いていると、コンビニにさしかかった。自然と足が止まる。

(……夕凪。ごめん。お金借りる)


 あたしは空腹に耐えられなくなって、焼きそばパンとメロンパン、アーモンドミルクを買った。

 ちょっと行儀が悪いが、店を出るなり開封し、焼きそばパンに食らいついた。

 炭水化物に炭水化物という聞いただけでも悪魔の所業かってほどひどい組み合わせなのに、一口目からもう幸せだ。濃いめのソースがからんだもっちり麺が、ふんわり食感のパンに包まれて……。


「ちょっと! なにしてんのよ!」

 叫び声と共に猛ダッシュで目の前に現れたのは、あたし――中身が夕凪の音無花音だった。

 きちんと制服を着こなし、風になびく髪はさらさらと可憐に朝日を浴び、完璧な身繕いで申し分ないが、鬼の形相であたしに詰め寄る。


「怖いよ。どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ。気になって家に立ち寄ってみたら、もう登校したみたいっていわれるし、なんで朝から買い食いしてんの」

「なんでって、そりゃあ、おなかがすいたから」

 あたしは正直に答える。


 だけど夕凪は怒り肩で拳をぎゅっと握りしめると力強く断言した。

「そんなはずない!」

「だって……だって……」

 母親がまともな食事をくれないって、そんなこと、面と向かって言いづらかった。


 言いよどんでいたら、夕凪はなんでもないように軽い調子でいった。

「いつものことだから。朝、なにも食べないのは」

「どうしてよ。お母さんに言いづらいなら、あたし、言うよ。ちゃんとご飯食べたいって」

 いつになくあたしは真剣な面持ちでいうが、夕凪はおかしそうに否定した。


「そうじゃないんだって。家族もあきれてるけど、自分で望んでそうしてるの」

「まさか、ダイエット? やめなよ、こんなにやせてるのに」

「関係ないでしょ。音無さんの要望だって聞き入れてるんだから、こっちもちゃんと聞いて」


 それはそうだ。自分の生き様に中途半端に口を出されては、うっとうしくなるのもわかる。あたしだって音無花音としてふるまってほしいことはあるし――。


「そうだ! ちゃんと目をつむってくれてるでしょうね。こっちだっていつお風呂に入ったらいいのかもわからなくて、真夜中にこっそりと真っ暗闇でシャワー浴びたんだから」

「それはどうも。こちらも問題なくやってるから」

「ああ、もう! 戻りたい!」

「それができないから困ってるんでしょ」


 ジタバタしているあたしを横目に、夕凪はあたしが持っていたレジ袋をひょいと取り上げた。


「それ、あたしの!」

「誰のお金で買ったと思ってるの」

 正論を言われシュンとなる。

「それは……。あとで返す」

「お金は返せても食べちゃったものをエネルギー消費するのは大変なんだから」


 一回の食事くらいで大げさだと言いたくなったがこらえて要求した。

「お願い。アーモンドミルクだけでも。のどつまりそう」

 大げさにノドをつかんでもだえると、しょうがないね、とアーモンドミルクのパックだけくれる。


 そして、自分はメロンパンの袋を引き裂くとかじりついた。

 あたしは慌てて音無花音の腕をつかんだ。

「え! そっちは食べてきたんだよね」

「そうだよ。もったいないから、食べておいてあげる」

「お願いだから、戻るころには丸々太ってるとか、やめてよね」

「そっちこそ。給食は半分残すように――うわっ、これウマっ」


 そうだよ、そのメロンパンは中にホイップクリームとメロン風味のカスタードクリームが入ってるんだから。

 こんな時じゃないと食べられないと思ったのに、なんで夕凪はダイエットなどしているんだ。

 気が変わって取り上げられないうちに、焼きそばパンとアーモンドミルクを急いで胃袋におさめた。それでもおいしさを堪能できて満たされていった。


「こんなに短時間で食べきったのはじめて」

「無茶しないでよ」

 釘を刺してきた夕凪を見ると、メロンパンを二口ほど食べただけだった。

「メロンパン、食べきれなかったら、食べてあげるよ」


 夕凪は両手に持ったメロンパンを見つめてだいぶ悩んでいたが、ふとあたしを見上げた。

「……実は、おなかいっぱいだった」

「だよね。ハムエッグとトーストに、今日は……ほうれん草のポタージュかな」

「当たり」


 あたしがメロンパンを取り上げて一口かじっても、夕凪はなにも言わなかった。

 サクッとした歯触り、とろりとしたクリーム。鼻腔にもメロンの香りが広がって、ほどよい甘みがあとをひく。

 こちらもあっという間に食べきった。


 横で夕凪がボソリといった。

「千本ダッシュの刑だからね」

「食べた直後は無理」


 あたしはかまわずに学校へ向かった。

 足の長い夕凪は普段あたしが歩くペースよりも早い。音無花音の姿をした夕凪は小走りでついてきた。


「ねぇ、このこと、誰かに相談したりするの?」

「うーん、するとしたら――キリコかな。元に戻る方法で、なにか知ってることがあるかも」

「キリちゃんならいいかも」

「キ、キリちゃん!?」


 音無花音の口からそんな呼び名が出てきてゾッとする。


「幼なじみかなんかしらんけど、あんた、音無花音なんだから、キリコって呼んでよ。それと、あたしら、いま問題抱えてんの。先輩ににらまれてもひるまないでよ。詳しいことはキリコに合わせて」

「なんでそんな面倒なことになってるの」

 夕凪はぐったりとしていう。


「女子はね、いろいろ面倒なの。夕凪が抱く女子の姿は妄想でしかないの。くれぐれも!」

 あたしはとりわけ強く言った。

「あなたの理想の音無花音になろうとしないでね。あたし、優等生になりたいわけじゃないの」

「カーストの上位が優等生とは限らないものね」

「わかってるじゃない。あ、それと、きのう家に帰ったら、お母さんにサボったでしょって怒られたけど、なに? 塾でも行ってるの」

「あー。忘れてた」


 母親の怒りとは裏腹に、夕凪は間の抜けた反応だった。

 だけど、あたしが返した言葉とそっくり同じで、そこは間違っていなかったのかと少しおかしくなった。


「うん。塾だよ。アニキが通って成績上がったからってさ。アニキの後追いばかりさせて」

「アニキのようになれって?」

「そう」


 夕凪の父も兄もやはり大きな人だった。

 兄は朝ゆっくりしていたところをみるに、部活動はしていないようだが、体格もいい。親に従順なタイプにも見えなかったけど、親の期待を要領よくあしらっているのかもしれない。


「一応聞いといてあげる。家とか学校とか、どんな態度取ればいい?」

「別に。音無さんの自由な反応でいいよ」

「あとあと困るでしょ」

「うーん、もう、いいかなって」


 まっすぐ、遠くを見ながら、あまりに無感情にいうので心配になった。

 家族なんてどうでもいいとか、自分のことだってもう頑張らなくてもいいかなって思わないわけじゃないけど、夕凪の感情が本気すぎるように見えて怖い。


「あ、あのぅ。あんまり意味深なこと、言わないでくれる? この体、捨てたわけじゃないんでしょ?」

「ごめん。深い意味はない――あ、でも、ひげそりは忘れずに」

「ひげ?」

 まったく頭にないワードだった。


 夕凪はあたしの前に回り込むとあたしのあごにふれた。

 されるがまま、あたしはただただ硬直する。

 無遠慮になでなでされて、ヘンな気分だ。


「大丈夫みたいね」

 満足したように微笑んだ。あたしって、こんなふうに笑うのか?

 中身が夕凪の音無花音はふしぎと男っぽさがなかった。

 あたしはさっきからずっとなにも意識せずに話しているもんだから、周りから見ると違和感のかたまりだろう。


 そして、夕凪がくるっと前を向いて歩こうとしたときだった。

 そこにいたのは――

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