5-2
「じゃあね」
と手を振る3人に音無花音も手を振って、迷わず自宅のほうへと帰って行く。
そういえばあたし、夕凪風太の家を知らないじゃん。
でも、相手はあたしのうちを知っている。3人とも話しを合わせられているようだし、あたしのことを調べたのだろうか。
それとも、そこにいるのは中身まで本物の音無花音?
いや、そんなはずはない。あってはならない。中身の音無花音はここ、夕凪風太の中にいるのだから。
あたしは3人の姿が見えなくなったころ、思い切って呼んでみた。
「ナギ!」
すると、音無花音は振り返った。そして、あたし――つまり、夕凪風太の姿を認めると、明らかに「しまった!」という顔をした。
「やっぱり、夕凪じゃん! しれっとあたしのフリしてなんなのよ。あたしに対してまで入れ替わってませんみたいな態度取って」
「だって、みんな見てたじゃない。わたしたち、入れ替わっちゃったんで、よろしく、なんていえないでしょ。頭おかしいと思われるし」
「だからって、入れ替わりに驚きもしないって、なんなの。わざとなの? 入れ替わる方法を知ってたの? どうすんのよ、これから!」
「もう、そんなにまくし立てないでよ」
通りすがりの近所のおばさんがこちらをじろじろ見ていた。
男子生徒の姿をしたあたしを特に不審がっている。このまま強引に音無花音の手を引いて自宅に連れ込むわけにもいかない。
「ちょっと話しをさせて。音無さんちのおたくで」
声を潜めて付け加える。
「――急にこんなことになって、こっちは帰る家だってわかんないんだから」
「わかったよ」
渋々といった感じで、音無花音のなりをした夕凪は音無家に向かった。
「家に誰かいる?」
「いない。鍵はバッグ……ちょっと待った。バッグの中、勝手に見ないで。あたしがやる」 あたしはバッグを奪い取って玄関の鍵を開けた。
「もう、ほんと、男子と入れ替わりとかあり得ない」
こんなこと、すぐにでも終わらせたかった。
あたしは夕凪より先に階段を上って自分の部屋に入る。ざっと見たところ、とりあえず、見られたくないものはない。
「おじゃましまーす」
夕凪はあたしを押しのけて入ってきた。
「ふーん、音無さんの部屋って、こんな感じなんだ」
「なによそれ」
あたしだって不満だ。部屋をかわいくすることにまでお金はかけられないんだから、仕方ない。
小学校から使っている机は、サイズはまだあってるんだからいいでしょって、買い換えてくれないし、タンスもベッドも気に入らないからわざと壊してしまおうか考え中だったりする。
実際、絨毯ははソースがべっとりついたタコ焼きを転がして、かわいいラグに買い換えてもらった。
「どうでもいいけど、なんで入れ替わる方法を知ってるの」
「やっぱり、音無さん、2回目だった?」
思わず気を許してしまいそうな上目遣いに、いやいやいやと首を振る。あたし自身が音無花音の魔性に引っかかってどうすんだ。
「2回目だってこと、どうして」
「霧島さん、なんかおかしかったし」
「やっぱ、そこ気づくんだ」
目立っているほうのあたしじゃなくて、キリコの方に気づくなんて、軽くへこむ。
「そしたら、なぜだか通っていた幼稚園に行ったり、園長先生訪ねたり」
「つけてたの!?」
あたしの怒りにもお構いなしに夕凪は続けた。
「そしたら、仲良くもない音無さんちにやってくるし。そしたら霧島さん、普通に戻ってて、なぜか音無さんたちのグループ入り果たしてるし」
そういわれてみれば、キリコからしたら、してやったりな展開だ。一気にカースト上位なのだから。
「それで思い出してさ。園長先生の入れ替わりの術とか」
「え? それを知ってるってことは……」
「うん、卒業生」
「マジか……」
「そういえば、音無さんと霧島さん、ふたりしてケガして病院行ってたなとか、いろいろ考えるうち、偶然、こんなことになっちゃったんだよね。まさかって、信じられない思いだけど」
全部が繋がって、さして驚きもしなかったのか。
平常心過ぎてこちらは別の事態が発生したと勘違いしたというのに。
「助けてくれたのは、ほんと、感謝だよ。でも、もう充分でしょ。元に戻ろう」
「どうやって?」
「え? 知ってるんじゃないの?」
「音無さんこそ知ってるんでしょ? 園長先生に聞かなかったの?」
聞いたわけじゃない。なんとなくどうやるかはわかっている。
ただ、やっかいなのは戻りたいという気持ちがないといけない。
それを先に言ってしまえば、戻ることを先延ばしにしようとするかもしれない。
説明しないでやってしまったほうが早い。
「右手を出して」
あたしがいうと、夕凪も右手を出した。ぎゅっと握りしめる。
「左手は背中ね」
かなり抵抗がある。夕凪の体で、音無花音の体を抱きしめるのは。
それでも、戻るためだ。あたしは音無花音の背中に手を回して、抱きしめた。音無花音となった夕凪も、あたしの背中に手を回す。
「戻ろう……戻りたいって、願って……」
どうだろう……。
戻っただろうか。
だが、あたしは夕凪風太より背の低い音無花音を、少しかがむように抱きしめている。いつまでたってもそれが変わらない。
あたしは音無花音の体を突き飛ばした。
「ちょっと! なんなのよ。どうして戻りたいって思わないのよ!」
「そんなこと言われても……。ごめん、まだちょっと、って、思ったかも」
「あたしの体が見たいとか変なこと考えてたんでしょ!」
「違う! それは本当に違うから! わかって……」
夕凪は両手を使って全力で否定するように手を振っている。
「わかるわけない。絶対、イヤだから。夕凪があたしの体でいることも、あたしが夕凪の体でいることも」
「それは、そうだと思う。こっちはちょっと音無さんに憧れのような気持ちもあって……あ、でも、ちょっと、理想と違うところもあるけど……」
「なんなのそれ、わけわかんない、っていうか、それでまだ音無花音でいたいとか、キモい。理解できない」
心底イヤって顔で切り返した。
「ごめん……でも、本当に……」
夕凪はなぜか涙を流しはじめた。うつむいて、くいしばったようにこらえているが、次から次へと涙が止まらない。
「え? 泣くの?」
泣きたいのはこっちだ。女子の姿をしているからって、涙を流したところで、こちらが心動かされるはずもない。
もうあきれてどうしていいのかわからなくなってくる。
「……ねぇ、ちょっと花音?」
階下からお母さんの声が聞こえてきた。
「お友達来てるの?」
階段を上がってくる音まで聞こえてきた。
目の前にいる音無花音が泣いているのを見て「まずい」とあせる。
こちらは男だ。ひょろひょろの頼りなさそうな体躯とはいえ、男なのだ。部屋で二人きりってことだけでもまずいのに、このままではお母さんまでもがヒステリックに騒ぎ立てて、もっとやっかいなことになってしまう。
入れ替わるために夕凪の姿のまま、このうちに来なきゃいけないかもしれないし、顔を覚えられるのも得策ではなかった。
あたしは夕凪のバッグを抱えるとベランダに出た。
夕凪! きみの体ならやれる。ここから脱出をはかろう。
あたしはベランダの柵を越え、ベランダの柱を伝って降りようとしたが、途中で芝に落ちてしまった。
「痛い……」
運動能力がないのはあたしのせい? それとも夕凪が思った以上に筋力なくてうまくいかなかったの? 足はジンジンするし、また腰を打ち付けてしまったが、のたうち回っている場合ではない。
すぐに立つと玄関から靴を持って逃げた。
100メートルくらい走ってから靴を履く。追ってくる様子はない。
夕凪もうまくやったらしい。
息が切れ、両手を膝について呼吸を整える。
もう一度何でもなかったように訪問してみようかと考えたが、ショッキングピンクの派手なラインが入った靴を見て思いとどまった。
帰宅したお母さんが見慣れないこの派手な靴を覚えていないとは思えなかった。
はたと、靴がなくなるミステリーを発生させてしまってもよかったかと考える。
ま、今さらどうにもならない。次にここへ来るときは違う靴を履けば……。
「だから、夕凪の家を知らないじゃん!」
ひとり叫んで夕凪のバッグを探った。スマホがない。
そうか、男子だとポケットか?
体中をまさぐるが、スマホも携帯電話も持ってない。
「落としてないよね……」
はじめからなかったのか、あったのか、わからなかった。
でも、財布ならあった。
公衆電話からかけよう。自分のスマホの番号ぐらいは覚えている。
なんで携帯を持ってないんだよ。今どきありえない。
公衆電話がありそうなところが、駅ぐらいしか思いつかなくて30分以上かけてやってきた。あちこち体は痛いし、へとへとだ。
10円を入れて10円が返却されるってことを何度か繰り返しながら、どうにかかけかたがわかって音無花音のスマホに繋がった。
「もしもし? 自分の声、わかるよね?」
早口で伝えると、のんきな声が返ってきた。
『ああ、音無さん。どこににるの。大丈夫?』
「ひどいめにあってるよ。なんで携帯持ってないの」
『ええ? それ、必要?』
イヤな予感がしてきた。
「友達とのやりとりどうしてんの」
『学校で会うのに? そんなに連絡事項多くないでしょ』
「じゃあ、家にもないんだね……って、そうだ、夕凪んち、知らないんだけど」
『そっか。それは大変だったね』
他人事みたいに言う音無花音の声にいらつきながら、自宅を聞き出し、バッグから筆記用具を拝借してメモった。
「それで、お母さんはごまかせた?」
『ベランダから飛び降りちゃったからびっくりしたよ。だから、涙も引っ込んで、友達はいま帰ったよっていったら、靴があったよっていうから、トイレかなっていったら、納得してた』
「ウソでしょ!?」
『見送りぐらいしなさいとは言われた。なんか、音無さんのお母さんとはうまくやれそう』
夕凪ってこんなに楽観的なひとだったのか。
あたしと夕凪の波長は合わなそうだと、ため息をついているうちに通話が切れてもう一度10円でかけ直す。
「あたしのスマホはこっちで預かっておく。どうせLINEとかできないでしょ」
『明日でよくない?』
「いいわけないでしょ! うちのポストに入れといて。すぐに取りに行く。それから、くれぐれもあたしの体にさわらな――」
ツーツーツー。
ん? 早くないか? 切ったのか? 切ったのか? あいつめ!
財布の中の硬貨はもう1円玉だけだった。これから夕凪とはどうやってやりとりをしたらいいのだろう。
あたしはダッシュで自宅へ戻り、ポストからスマホを奪還した。充電器まで押し込んであったから、それなりに使えるヤツではあった。
だが――自分ちだというのに、なんでこんなにコソコソと泥棒みたいなことを……と、むなしくなりながら、メモを頼りに夕凪宅までどうにか帰って行った。
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