3章 陽向くんとのビミョーな距離

3-1

 霧島桐子になりきる鉄則。

 とにかく目立たないことだ。

 極力じっとして時間を過ごす。

 誰もあたしに関わらないでほしかった。

 うつむいて縮こまったところで存在は消せやしないのに、気がついたら背中を丸めていて、ほんとみじめったらない。


 キリコが演じる音無花音がうまくやれてるのか、様子をうかがうこともままならなかった。

 誰かと目が合ったら何かされそうで、面倒くさい。


 キリコはこんな毎日が退屈ではなかったのだろうか。

 誰にも話しかけられず、ひとことも声を発せず、たまに声をかけられたなと思ったらイジられて、愛想笑いで長い一日が終わっていく。

 そんな毎日に嫌気がささなかったのだろうか。


 あたしはもうすっかりキリコになりきり、最後の授業が終わると帰り支度を始め、帰りの挨拶をするやいなや教室を飛び出す。

 先輩にも見つからないよう、脇目も振らず学校を出た。


 だけど、こんなことをしていたって、自分には戻れない。

 どうにか、どうにかしなくちゃ。

 早足でキリコの自宅に向かっていると、後ろから人が走ってくる音が聞こえてきた。


 誰だろ。

 近所の人かな。

 すごく軽快であっという間に近づいてくる。

 陸上部のあの先輩が追いかけてきたりして……。

 どうしよう。逃げたいけど急に自分まで走り出せない。

 たかだか足音なのに。普段は気にしてないことまで気にかかった。


「キリコ!」

 大声で名前を呼ばれてドキッとした。

 だって、その声は……。


 もうすぐ後ろまで足音が迫っていた。

 突然手をつかまれて、グッと引き寄せられると、その人の胸に抱かれていた。


「え……」

 どうして?


 相手の息も上がっていたけど、あたしの鼓動も速くなる。

 こんなの初めてだし、どうしていいのかわからなくて、棒立ちになった。

 ゆっくりと、その人が、合わさった胸から離れていく。


 やっぱり、陽向くんだった。

 焦がれている人に出会ったときのような、底抜けに明るい笑顔で、すぐそこにいた。


 どういうことなの。あたし今、キリコの姿をしているんだよ。キリコとはどういう関係なの。

 まっすぐ見つめてくる陽向くんが、本当はキリコを見ているのだと思うと悲しくなってくる。


「きみは……キリコじゃないね?」

「え?」

 まったく予期せぬことに頭が真っ白になる。


 陽向くんは納得したように微笑んだ。

「やっぱりね。キリコなら、許可なくわたしにさわってんじゃないよ!って怒鳴りつけるから」

「キリコが?」

「その場でセクハラを糾弾するタイプ」

「ええ!?」

「――っていうのはウソだけど」

「ちょ……えぇ?」

 どういうことかわからない。びっくりしすぎてボロが出てしまった。


 今さら取りつくろえないけど、これって、キリコと陽向くんって、相当親しいってことじゃないか? だって、陽向くんはキリコがキリコじゃないって気がついたんだもの。


「ごめんな」

 さわやかに謝る陽向くんに動揺する。

「あの、ごめん、どういうことなのか、さっぱり……」

「うん、オレだってさっぱりとわからないよ。でも、どういうことなのか、知りたいと思ってさ」


 キリコ目線で見る陽向くんはいつもより背が高く見えた。

 すぐそばに陽向くんがいるっていう実感より戸惑いの方が大きい。

 こんなにも親しげに話しかけられたこともなくて、キリコに嫉妬もしていた。


「その……キリコと、日向くんって、どういう?」

「そうだな、幼なじみって言葉が一番近いのかもしれないけど、最近全然話してないし。マジでキリコだったら、なにすんの!ってぶったたかれてたかもしれないなぁ。それくらいに関わりなかったし、むやみに抱きついたらいけないくらいに年をとったよね。ほんと、ごめん」

 ぶるぶるっと頭をふった。


 あたしたちはもう中学生で、幼いころと同じような感じで抱きついたら、それはちょっと間違えたことをしてしまったと思うのかもしれないけど、あたしはドキドキもしたし、ふたりの関係性に失望もした。

 キリコの中身が入れ替わったことに気づいた陽向くんだけど、あたしのそんな気持ちにはもちろん気づいてなさそう。


 陽向くんは首をかしげていた。

「入れ替わりが起こったってことだよね?」

「うん」

 あたしはうなずいていたけど陽向くんの理解が早すぎて不思議に思う。

「本当に入れ替わりが起こるなんてなぁ……キリコは戻れる方法を知らなかったの?」

「それが……よくわかんない。まじめに考えてくれないし」

「ふうん。そっか。ならさ、ちょっと思い当たることがあって、オレたちが通っていた幼稚園に行ってみないか。もしかしたら、そこでなにかわかるかもしれない」

「それはかまわないけど……」


 陽向くんと一緒にいられるのはうれしいが、ふたりの思い出をさかのぼって、本当にそこになにかあるんだろうか。

 でも、陽向くんには心当たりがあるんだ。それにたくすしかない。


 陽向くんは頭をポリポリとかいて申し訳なさそうにあたしを見た。

「あの……ちなみに、きみは、ええと、誰? キリコは誰と入れ替わったの?」


 あまりにショックを受けて気が遠くなりそうだった。

 陽向くんとはクラスが違うとはいえ、音無花音が別人になったことには気づいていなかったのだ。


「……あたしは……音無花音」

「え……音無さんか。キリコは音無さんとしてうまくやってる?」

「たぶんね」


 誰も気づかないくらいうまくやってる。

 あれだけずっと一緒にいた双葉も友梨奈も、キリコの振る舞いにおかしいと思わずいつもどおりに過ごしている。三人が手を組んであたしのことを騙してるんじゃないかってほど、なんら変わらずやっている。


 だけどそれはキリコがうまくやってるからなの?

 みんな、今まであたしのことを表面的にしか見てなかっただけなんじゃ……?

 陽向くんにキリコが別人だと見抜かれて、心底うらやましかった。

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