ひと段落して

 結局電話で騎士団に連絡し、調査の中断を申し込んだ。当然ながら騎士団には「よろしいんですか?」と何度も聞かれたものの、ウィルフレッドは「人形師に念書を書いてもらうから大丈夫です」と返すと、向こうも納得したようだった。人形師は魔女がなる職業だから、加害者が魔女に呪術をかけられたらそう悪いこともできないだろうと判断されたらしい。

 逆にやってきたエスターは、その日は私服の男性と一緒にやってきた。金髪碧眼で一瞬人形のように顔が整った人だと思って眺めていたら、彼は一瞬眉間に皺を寄せて「俺は人間だが?」と答えるから、どうもエスターの旦那さん……前に言っていた王都近衛騎士団の人らしい。うちが騎士団に調査を中断したことで、彼女なりに心配して旦那さんを連れてきて見に来てくれたらしい。

 ウィルフレッドが事の顛末を語った上で、アナベルに対して念書を書いて欲しいと申し出たら、気の優しいエスターは当然ながら涙目になって、旦那さんのほうを何度も振り返っていた。旦那さんは溜息をついて、ウィルフレッドにアナベル、そしてセシルと私のほうを見返していた。


「……自分もそうしたほうがいいとは思いますが、今回の被害者である奥方たちは、それでよろしいんですか?」


 そう確認すると、セシルはアナベルのほうを見た。アナベルはあからさまに顔面偏差値の高い男が来たことで、当然ながら不機嫌に目を吊り上げていたものの、セシルはそのアナベルの視線をそっと流して口を開いた。


「お願いします。逆にそのほうが、姉さんが安心して王都で暮らせると思いますから……本当は呪詛なんて必要ないと思いますが、それでも姉さんの平穏のために」

「セシル……」


 アナベルはセシルを少し目を細めて見たあと、「マルヴィナさんも?」と尋ねた。

 私はしばらく考えたあと、頷いた。


「もうアナベルはそんなことしないと思うけど……彼女にやり直す機会をつくるために、お守りとしてお願いします。エスター、お願いできますか?」

「ひいっ……いいんですかねえ?」


 エスターは涙目で旦那さんのほうを見上げたあと、彼は溜息をついてエスターの肩を叩いた。


「エスター、お前の顧客だろ。顧客に頼まれたからってなんでもホイホイ引き受けろとは言わないが……最後まで責任持て」

「わかりましたぁ、わかりましたよぉ……」


 旦那さんに言われて、エスターは渋々アナベルになにかしら紙を書いて、それに「こちらにサインお願いしますね」とお願いした。それでようやくアナベルはサインをし、振り返った。


「これで大丈夫なはずです」

「……念書ってこんな感じなんですねえ」

「皆さんが魔女のこと怖がり過ぎなんですよぉ。魔女だって呪詛を使ってどうのこうのなんて古いのは少ないです。もっとも……念書をしてまで悪さをした場合、結構痛いしっぺ返し食らいますから、それだけは本当~に気を付けてくださいね。それに」


 エスターは涙目でクレアを大きなスカーフにくるむと泣きながら担ぐ。


「クレアを元に戻すほうが大変ですからぁ。見た感じ自律起動の歯車自体には破損がないから、記憶自体は問題ないとは思いますけど……見た目をそっくりそのまんまに修繕はできないと思います。本当に派手に壊してくれましたねえ、可哀想に」

「ええ……クレアのこと、よろしくお願いします」

「さすがにほぼイチから修繕ですから、ひと月はいただきますよ。それより早くは無理です」


 そう言いながら、エスターは旦那さんと一緒にクレアの破片を全部持って帰っていった。

 私は念書を書いたアナベルに尋ねた。


「じゃあ、私もしばらくは休みだし。その間、うちで働くこと覚えましょうか」

「……マルヴィナさんは、お人好し過ぎますよ」

「そう? 久々に再会した付き人を自宅のメイドにしようとする悪い人だと思うけど」

「……そうかもしれませんね」


 こうして、私はセシルと一緒にアナベルに邸宅の案内をしたあと、彼女と一緒に家事をすることになった。もっとも、私もクレアではないから、食料庫に用意してくれている食材を全部使って料理はできず、今日はふたりでおっかなびっくりつくったカレーとパンで精一杯だった。

 パンもクレアがつくるようなふかふかしたものではなく、捏ねて薄く焼いたようなものだったけど、意外なことにウィルフレッドにもセシルにも好評だったから、いいということにする。

 シャワーや洗濯などなど、クレアが今までやってくれていたことに感謝しつつ、なんとか終えてウィルフレッドの部屋に行けたのは、既に真夜中だった。


「つーかーれーたー……」

「お疲れ様。でも君が言うなら人形を増やしてもよかったのに」

「クレアがいるのに、たくさん人形を増やしても可哀想じゃない。それにセシルのことがあるしアナベルのこともあるから、メイドを雇うこともできないしね」

「そうだね……ディーンみたいな人でなしな記者はどこにだっている。あれにこれ以上餌を与えてもよくないだろうからね」

「そうね……」


 普段は家事が終わればすぐに脂を塗るけれど、今日は家事をすればするほど油脂がなくなり、手はかすかすだった。

 見かねたウィルフレッドが、私の手に脂を塗ったあと、絹の手袋を嵌めてくれた。


「君はいつもいつも、いらない苦労を買うね?」


 ウィルフレッドは咎めるように私のほうに言った。思えばこの人、私が上都したときからずっと私の考えなしを心配して窘めてくれていたように思う。

 私は「うーん……」と腕を組んでから、ベッドに転がった。


「でもあなたでしょう? 私になにかあったらあなたに頼れと教えたのは」

「そうだね。君は本当に変わらない。それでいらない嫉妬や憎悪まで買ってね」

「そうかもしれない。本当はね、私舞台以外は本当になにもいらなかったの。でもそれだけじゃ駄目だって気付いたから、少しずつ変わろうとした。変われたのかはわからないけど」


 私はただがむしゃらに演劇に明け暮れていただけだった。結果はそのあとから付いてきたから。私は演劇だけしたかったけれど、それだけじゃ全然駄目で、結局はいろんな人を振り回したりいろんなものに振り回されたりしている。時には泣きたいことだってあったけれど。

 結局は私はウィルフレッドの好意に甘えていたんだ。周りからしてみれば、ウィルフレッドは私に粘着していたパトロンだったし、さぞや気持ち悪かったんだろうけど、でも私は彼の好意を余すことなく利用していた。

 多分それだけじゃ駄目だったんだろうし、実際にそれが原因で一度駄目になりかけたけれど。私はウィルフレッドに少しだけもたれかかると、彼は驚いたように私を見た。


「ヴィナ?」

「私あなたに甘えてばかりだったわねと、反省していたところよ」

「……むしろ私としてみれば、もっと君が私に甘えてくれたほうがよかったんだけれどね。君は目を離すと危なっかしいから。今回だって、私がエスターを呼ばなかったらアナベルを野放しにしていただろう? さすがに二回も金庫を盗まれているのだから、君はもっと反省したほうがいい」

「アナベルの気持ちもわかったからね、私は彼女のことを悪くは言えなかった」


 もろもろが終わったら、きちんと劇団の皆を全部終わったと安心させないといけないし、やることが多くて大変だ。本当に本当に。全部ウィルフレッドに甘えてしまっているのが、我ながら情けない。

 ウィルフレッドはもたれかかる私の髪を撫でながら言う。


「運ばかりは、どうすることもできないからね」

「そうね……」


 その日はふたりともなにをすることもなく、一緒に寝た。不思議とその日はよく眠れた。

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