嫉妬という名の病
ウィルフレッドはひとまずアナベルからレイピアを奪うと、壊れてしまったクレアを見て溜息をついた。
「クレアの修繕を頼まないといけないね。ここまで壊されて、無事に元の形に戻るかどうか」
「さすがに可哀想だわ、彼女いなかったらこの家ダメダメでしょ」
私は家事は一応できるものの、クレアほどの腕前なんてない。
その中、アナベルは「ケッ」と舌打ちをする。セシルのお姉さんだとしたら、小規模とはいえども貴族令嬢としての教育は受けていただろうに、どうにも彼女は行儀が悪い。アナベルはウィルフレッドに食卓の椅子にひとまず拘束された。
「それで。このままいけば君をもうしばらくしたら来るだろう騎士に引き渡さないといけなくなる。君がどういうつもりでこんなことをしたのか、話してもらわないと困る」
「話してどうなさるおつもり? 元婚約者様。それで私の不幸はどうにかなるとお思いで?」
彼女の言葉は貴族風になっていても、どこか白々しい。
なによりも。私が彼女を拾ったとき、うちの金庫を盗まれたときよりも荒んでしまっているのは、いったいなにがあったのか。私はひとまず台所に入ると、クレアが普段淹れてくれているハーブを眺める。一応アパートメントでしばらくひとりで暮らしていたから、お茶を淹れるくらいは普通にできる。
魔法石でお湯を沸かすと、カモミールティーを淹れて持っていくことにした。
「とりあえずアナベル、お茶を飲む?」
私が持っていくと、アナベルは変な顔をした。
思えば。セシルやウィルフレッドには心底憎悪を吐き出すのに、私にはなにも吐き出してないわね。私はウィルフレッドに「腕だけは自由にしてあげて」と言い、ウィルフレッドは渋々腰を縛り付けた上で、手だけ自由にすると、彼女は食卓の上に置いたカモミールティーを見て、変な顔をした。
「マルヴィナさん、どうしていつもこうなんですか」
「なに? 私は久々に会った付き人にお茶を出しているだけだけど。お話はしてほしいけど、まずはあなたがなにをそこまで苛立っているか教えて欲しいわ」
「……あなた、私と出会ったときから、私の生い立ちをちっとも聞きませんでしたもんね」
「多分王都の外から来たんだろうとは思ったけど、なにをそこまで嫌になって家出したかまで、聞いたところでどうしようもないでしょ」
「本当にあなたは……」
言ったところで、ようやっと彼女はカモミールティーに手を伸ばした。
薬局をしている魔法医も、カモミールティーは気持ちを落ち着ける上では大事なお茶だと教えてくれた。優しい匂いを嗅いで少しだけ気持ちが鎮まったのか、やっとのことで口を開いた。
「セシルがここに嫁いできた経緯は聞きましたか?」
「……一応は」
あの子は借金が原因で借金肩代わりと引き換えにウィルフレッドと結婚したと聞いている。もっとも、本来は家出した姉が原因だったと。当時、社交界ではウィルフレッドの私馬鹿っぷりと粘着質な性質で評判がかなり悪かったとも。
そうなったら、アナベルが私の付き人になったのは、どういう気持ちだったのだろう?
アナベルは淡々と、独白のように続けていく。
「私は生まれたときから、領地のために結婚するよう聞かされてきました。私はそんなものかと思っていたため、特に不満は持っていませんでした。当時からセシルは詩を書いていたものの、うちの領地はお世辞にも豊かとは言えませんし、いずれはどこかに婿養子に行かないと駄目なんだろうと、あの子も諦める気でした。そんな中、うちの領地で洪水が発生し、それの対処に追われるうちに、借金が嵩みました。このままだと来年にはうちの領地でどれだけ首をくくるかわからないというほどに、お金がなくなったんです。貧乏になると、人はどんどんやさぐれますし、当然ながらうちの領地も荒れました。それを治める一発逆転として、社交界で私は売りに出されました。でも、興味を持ってうちに様子を見に来たら、誰もが私ではなくセシルを求めました。当然ですね、私はくすんだ色、あの子は澄んだ色。どちらが美しいかなんて当然ですから」
アナベルは最初こそ独白じみた人形に近い声を上げていたのに、だんだんとその言葉に湿度が帯びてきた。その糸引くような粘りの中で見え隠れするのは、明らかに憤りだった。それも、家に言いつけられて抑えつけられていた、不満だ。
「だんだん私は比べ続けられて腹が立ってきた中、縁談がまとまりました……それがよりによって成金で、女優にうつつを抜かしながら女を渡り歩いているっていう最悪な部類の……私は我慢がならなくなって、とうとう家出しました。それだけ美しいというのならば、弟と結婚すればいい。もう私は知らない、関係ないと。美しくない顔は化粧でより美しくないように誤魔化してしまえば、もう誰も私のことを貴族だと思いませんでした。手持ちのものを売り払って王都に辿り着いたとき、ついでに私の婚約者がうつつを抜かしている女優の顔でも拝んでやろうと思ったんです。それがマルヴィナさんでした」
私はちらりとセシルの顔を見る。セシルからしてみれば、寝耳に水だったという顔。ウィルフレッドからしてみれば、彼は彼で特に気乗りのしない結婚だったものの、適当に引き受けた結果で起こった惨事だったのだから、言葉が出ないという様子だった。
アナベルは吐き出す。それは呪詛のようなものだった。
「あなたのせいで私の人生は無茶苦茶になったのだから、せめてあなたに責任を取ってほしかった。あなたが私を女優志望と勘違いして、率先して面倒を見てくれる姿は滑稽でしたよ。でも……芝居も舞台も悪くはなかったんです。私はここでだったら人生をやり直せるかもしれないと思いましたが……弟と結婚したばかりのウィルフレッドをマルヴィナさんのサロンで遠巻きに見ました。化粧で誤魔化しているとはいえど、あれは私がセシルの姉とも、私が貴族とも気付きませんでしたし、相変わらずマルヴィナさんに尻尾を振っていました。自分のせいで人生が狂わされたことに気付きもしない人間ばかりで……私は嫌気が差し、こいつらのせいで私は人生を無茶苦茶にされたのだから、今度は私が人生を無茶苦茶にしてもかまわないのでは? そう気付いてしまったんです」
「……それで、金庫を盗んだと?」
「舞台ってあれだけ金がかかっているのに思っているよりも儲かりませんのね、私の二ヶ月ほどの生活費にしかなりませんでした」
その言葉に、私は頭が痛くなってきた。
彼女は実家で抑圧されていた。その上理不尽な相手との婚約をまとめられたのだから、とうとう怒って田舎を飛び出したと……ここまではまだいいとして。
彼女はあまりに抑圧され過ぎたせいで、他責本願になってしまっている。自分がやった行いに対して、全く責任を持たないし、責任を取らなくなってしまっているんだ。
貴族令嬢にもたまにいる、抑圧されている中生きているのだから自分は生きているだけで偉いと思っている奴。アナベルは本当にそういう子だった。
なんというか、なんというか……。
あまりにも可哀想な子だと、私はあのとき彼女を拾ったのは間違いじゃなかったと、そう思った。
ただ、ウィルフレッドは黙って聞いていた中、固い口調で言う。
「君が実家で可哀想だった。そして君の身に起こった婚約が嫌だった……これは残念ながら私が君を安心させてあげられなかった、それは私が悪いだろう。だがね」
私はアナベルを許す気でいても、信用第一が商売の基本の、根っからの商人であるウィルフレッドは彼女に心底冷たく接する。
「君はやっていることは犯罪だ。それすら自分が悪くないと開き直っている。それを恥ずかしいとは思わないのか?」
「思わないわ。だって、私は悪くないもの。私の人生を滅茶苦茶にした連中が勝手に不幸になるのを見ていようと思っていたのに……なのにどうして、勝手に幸せになっているの!? セシルはただで詩集を出してもらって! 舞台は評判で! 商会は順風満帆で! どうして!? どうしてあなたたちは勝手に幸せに溢れているの!?」
それはアナベルの悲鳴にも、子供の癇癪にも聞こえた。
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