異世界出身生臭プリーストはダンジョンの存在する現代で欲に溺れる

水色の山葵/ズイ

第1話 聖者の堕落


 この時の俺はまだ、平和とか希望とか正義とか、そんなありもしない嘘を本気で信じていた。


「いつもありがとうございます。先生」

「いえ、しかしもっと安全に心掛けてください。馬鹿に付ける薬はありませんよ」


 金髪に翡翠色の瞳を持った彼女は、いつも身体に傷ばかり作ってやってくる。

 俺はそんな彼女を見かねて、今となっては、説教染みた偉そうとしか思えないような言葉を口にする。


 彼女は頷きこそするものの作ってくる傷の酷さや頻度は大して変化することはなかった。

 彼女は『冒険者』という仕事をしている。魔物と戦ったりだとか、遺跡の調査をしたりだとか、肉体を酷使する危険な仕事だ。

 しかし、それにしても作ってくる傷を見れば無理をしているのは明らかで、彼女がやってくる度に俺は説教を繰り返した。


 プリーストとしての修行を終え、街の診療所で働き始めてから彼女が初めての患者ということもあって真剣に対応したつもりだった。


 けど、彼女は二カ月ほどの通院の末……仕事で死んだ。


 先輩のプリーストからはよくあることだと慰められたが、何か胸に靄が残った。

 同じように、生傷を理由に長く通院する多くの患者が、そう長くせずに死んでいった。


 彼等彼女等を見ながら、俺は一つの共通点を見つけた。

 冒険者でも傭兵でも剣闘士でも子供でも同じ。

 短い期間で傷を多く作ってくるようなその患者たちは総じて『貧乏』だった。


 金がないから魔物と戦う。

 金がないから戦争で戦う。

 金がないから闘技場で戦う。

 金がなくて余裕のない親が子供を殴る。


 俺は馬鹿だった。

 治療費を負ける訳でもなく、借金を肩代わりする訳でもなく、家を与える訳でもない。

 にも拘わらず、何が「馬鹿に付ける薬はない」だ。


 馬鹿は俺自身だ。浅はかなのは孤児院と修道院と診療所しか知らない自分おまえの想像力だ。


 それに気が付いてから、たまに患者の医療費を負けて自分の給金から出すようになった。

 たまに患者にご飯を奢るようになった。


 でも、そんなことで彼等の悩みは解決しない。

 彼等は皆『大金』を求めていた。

 今の貧困な生活から抜け出すためには、それなりのまとまった額が必要なことがほとんどだった。


 けれど、その時の俺にそんな大金を用意できる方法はなく、世界など何も知らない俺は方法を思いつけもしなかった。


 だから、皆死んでいった。

 無理をして、無茶をして、無謀に挑んで。

 多くの患者が死んでいった。

 多くの患者が再起不能な怪我を負った。


 俺は結局何もできなかった。

 自分ばかり平和な街で客の治療をして、安全に金を稼いで、住む場所も、食べる物も、着る服も、贅沢ではないものの何も困らないような状況で、「慎ましく暮らしている」なんて戯言に縋りながら、俺は四十ほどまで生きた。


 四十代というのはこの世界の下流階層の中では平均的な寿命だ。

 しかし、街で平和に働いていた俺も普通に病気になった。

 プリーストの治療でも治らない類の病で、後にそれが『癌』という病名だということを知った。


 発癌してもしばらくは動くことができ、立てなくなるまでは仕事を続けた。

 それを俺は、根本的な治療は何もせず見捨てた患者達への『贖罪』だと思っていた。

 最期に長く通っていた金髪で翡翠色の瞳をした女は、最初に診察した彼女にどこか似ていた。


 その子も『冒険者』だった。そしてこの子ももう死ぬ。

 とある古い遺跡で『呪い』を受けたらしい。

 プリーストの使う治癒術とて万能ではない。

 癒せないものは星の数ほど存在する。


「私のお母さんも冒険者だったんだ」

「そうですか」

「うちってすごい貧乏だったから、私の父親もどっか行っちゃって、お母さんは私を一人で育ててくれた」

「よいお母様ですね」

「うん。そのお母さんが死ぬ少し前からさ、毎日同じ人の話をしてたの。こんな何もない自分にも優しくしてくれる人がいるんだって」

「……」

「先生、これあげるよ。遺跡から拾ってきた魔道具。売ったら金貨数百枚になる貴重品だよ。でももう私がそんな大金手に入れたって仕方ないし、あげる」

「僕だって、そんなものを貰っても使い道はありませんよ。余命幾ばくもありませんから」

「受け取ってよ。お母さんに優しくしてくれたお礼」


 彼女はそれを俺の目の前に置いて、ベッドの上で瞼を閉じた。

 まるで眠るように、俺の前で彼女は息を引き取った。



 その時、彼女から渡された魔道具は名を『大秘宝ウマレナオース』。

 死後の魂を新たに生まれてくる別の肉体へ記憶を引き継いで移植する魔道具だった。


 俺はそれを息を引き取った彼女へと使った。しかし成否は定かではない。

 そして俺が死ぬまでその魔道具を持ち続けた。

 俺の死後、それが自動的に発動するように仕掛けて。



 ◆



 結果としてその魔道具は上手く発動したのだろう。

 確かに俺は新たな肉体に記憶を引き継いで転生した。

 しかし誤算が一つ。


 ――俺が生まれ直した世界は、俺が元いた世界とは全く別の『異世界』だった。


「燈泉ちゃん、十六歳の誕生日おめでとう」

「ありがと母さん」

「誕生日プレゼントは何が欲しい?」


 今の俺の名前は『立川燈泉たちかわとうせん』。

 一般家庭に生まれ、既に十六年間をこの世界で生きた。


 俺の生き方はもうとっくに決まってる。


 もう高校生だ。金を稼げる方法も一気に増える年齢。

 そろそろ始めてもいい次期だろう。


「金。とりあえず十万欲しい」


 俺は、この世界で聖人を辞める。

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