第18話 安らぎ




「もう、びっくりしたよ。あんな所に立ってたから不審者かと思ったじゃない。」

「……すみません。でも、あなたが何時に帰ってくるかわからなかったから。」


つい先日、北東より一足先に初雪を迎えたばかりだ。

夜はかなり冷え込むのだが、アルブレヒトは薄いワイシャツ一枚で外に立っていた。

サラは慌ててアルブレヒトを家の中に入れ、薪ストーブに火をくべた。


「寒かったでしょ。お茶飲んで。晩ご飯はまだだよね。」


アルブレヒトがうなずいたのを見て、サラは今日食べようと思っていた残り物をコンロで温めなおし始めた。


「それにしても、本当に突然だね。学校とか家の仕事は大丈夫なの?」

「……わかりません。」

「え?」

「飛び出してきたので、わかりません。」

「飛び出して……?」

「ここに来ることは一応書置きしてきました。」

「ちょ、大丈夫なの?」


サラは改めてソファーに座るアルブレヒトを見た。

着の身着のままここまで来たという出で立ちだ。コートを着ていないどころか、手荷物も無い。


久しぶりに会った衝撃で色々見えていなかったが、サラはやっとアルブレヒトの状態がただことではないことに気づいた。


「ねえ、何かあった?もしかして……お父様と喧嘩したの?」


そんなわけないと思いながら、他にそれらしい理由が思い浮かばなかった。

コンロの火を止め、アルブレヒトの足元に駆け寄る。


「アル?何か言って?」


黙り込んでうつむいてしまったアルブレヒトの顔を覗き込むと、サラの頬に温かい雫が落ちてきた。


「……泣いてる」

「っ、」


鼻の頭や目元がかすかに赤らんでいる。


「わっ」


首にアルブレヒトの腕が巻きつき、床に座っているサラはすっぽりとアルブレヒトに囲われてしまった。


「あなたがいなくなってから今日まで、無心で頑張ってきた。でも、もう無理になった。」

「無理になった?」

「あなたがいなくて寂しい気持ちや悲しい気持ちは、そのうち慣れて無くなると思った。だけど、護衛騎士になって、目標を達成して、それでも消えなかった。僕はもう、」


こんなアルブレヒトは見たことが無かった。

子供のように鼻をすすっている。


「寂しかったの?」

「……はい。」

「ふ、ふふっ」

「どうして笑うんですか。」

「だって、ふふ、あはははっ。」


アルブレヒトが睨んでくるが、泣き顔なので全く怖くなかった。むしろかわいらしい。


「いつの間に甘えん坊になっちゃったの。」

「……あなたが帰ってこなかったせいでひどくなったんですよ。」

「ごめん、ちゃんと会いに行けばよかった。寂しい思いさせてごめん。」


サラが腕をアルブレヒトの背中に回すと、そのままソファの上に引っ張り上げられた。


「前から思ってたけど結構力あるよね。重くないの?」

「あなた三人分は余裕です。」


冗談だと思ったが、あながち本当かもしれない。


「そういえば、護衛騎士就任おめでとう。なにかプレゼントさせてよ。欲しいものはある?」

「なんでもいいんですか?」

「もちろん。私も結構稼いでるから!」


サラはどんと胸をたたいた。


「じゃあ、シュルツ家に帰ってきてください、姉さん。」


「!」


後半が衝撃で、一瞬内容が全く頭に入ってこなかった。


「シュルツ家に帰ってきて、また僕と一緒に暮らしてください。僕には姉さんがいないとだめだ。」

「ちょ、ちょっと待って!それは難しいよ、ここでの仕事もあるし……」

「シュルツ家の敷地内に研究所を建てます。姉さんの最近の仕事は魔力回復薬の開発ですよね。この土地の地力が影響しない場所での実験も必要なんじゃないですか。」

「それは!その通り……というかよく知ってたね私の仕事のこと!?」

「姉さんが関わった仕事については全て把握していますから。」

「そ、そうなんだ。」


ここまで情報量が多すぎて、サラはいったん考えるのをやめた。


「とりあえずご飯にしよう。うん、そうしよう。」


アルブレヒトを引きはがして、先ほど中断した夕食の準備にとりかかる。

食卓には湯気の立つ野菜スープと肉巻き、トーストで焼いたパンが並んだ。

急ごしらえにしてはなかなかの出来だ。


「どうかな。」

「おいしいです、信じられないくらい。」


アルブレヒトは心底感動した顔をしていた。


「あはは、大袈裟だよ。ありがとう。」


それを見てサラはまたおかしくなった。




二人は交代でシャワーを浴びて着替えた。

ちなみに、アルブレヒトが寝間着として着ているのはサラが持っている中で一番大きくてゆとりのあるシャツとパンツだ。肩幅や腰回りは大丈夫だったが、丈が足りず腕と脚ともに七分丈になった。それなのにアルブレヒトが妙に着こなしているので、サラは本日何度目かの笑いをこらえられなかった。


「姉さん、今日は良く笑いますね。」

「だって、なんか楽しくて。」


コロコロ笑うサラに、アルブレヒトは目を細めた。


「そろそろ寝ようか。」

「寝室はどこですか。」

「ああ、そこのドアだよ。」


アルブレヒトは寝室のドアノブに手をかけると、サラの手をつかんで中に入った。


「寝ましょう。」

「えっ、一緒に寝るの?」


サラを寝かせると、アルブレヒトもベッドに入ってきた。


「さすがに二人は狭いよ」

「落ちるとしたら外側にいる僕ですから。それにこうすれば大丈夫。」


狭いシングルベッドの中でがさごそ動くと、サラを抱き枕のように抱きしめた。


「ふっ、ふふふ、」

「また笑った。」


胸の中にいるサラを覗き込んでアルブレヒトはすねた顔をしたが、サラにつられて笑った。


「朝までこうするつもり?」

「少なくともお互い眠るまでは。」

「腕痛くならない?」

「全く。」


その儚げな見た目に反してアルブレヒトは頑丈にできている。

サラは安心して体の力を抜いた。


「ねぇ、私がいなかった間の話を聞かせて。」

「何がいいですか。北東の街の図書館が新しくなった話?エリアスさんが寂しさのあまり猫を飼いだした話?」

「え!お父様が猫を!?」

「名前はララ。女の子ですよ。」


会えなかった時間を埋めるように、アルブレヒトはこの三年間のことを教えてくれた。

アルブレヒトが面白おかしく語るので、サラは眠れるのか心配になるくらい笑った。


「あははっ、はぁ……なんか、お母さんのこと思い出すな。」

「姉さんの?」

「子供のころ、寝る前はこうして話を聞かせてもらったんだ。」

「……どんな人だったんですか。」

「すごく優しかった。私が物心ついた時にはもうずっとベッドの上にいたけど、どんなときも甘えさせてくれた。今思えば体が辛かったはずなのに、お母さんはいつも笑顔だった。」

「お母様のことが大好きだったんですね。」

「うん。なんでだろ、アルといるとお母さんを思い出すな。」

「いつの間にこんなに大きな娘ができたんでしょうか。」


二人は顔を見合わせて笑った。


「全然似てないのにね。なんかこう、安心するからかな。」


病弱だった母とは似ても似つかない硬い胸に、サラはぎゅっと抱き着いた。


「……僕はあなたが笑っているのを、一番近くで見たいと思っているから。」


サラのくせ毛を長い指がやわらかく梳いていく。

それに眠りに誘われるように、サラの瞼が重くなってきた。


「お母様も同じだったかもしれませんね。」


アルブレヒトの優しい声を聞きながら、サラはゆっくりと意識を手放した。



____________________



隣から聞こえる鼻をすするような音で、サラは目を覚ました。


「おかあさん、どうしたの?」

「っ、サラ、ごめんね。起こしちゃった?」

「ないてるの?」

「ううん、あくびしただけ。」


母は目元をこすりながらサラの頭を撫でた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           


「ねぇ、サラ。」

「なあにおかあさん。」

「サラ、あなたは本当に素直でいい子よ。」

「すなお?」

「あなたが優しくて素敵な女の子に育ってくれて、お母さんは本当に嬉しいわ。」

「そうかなぁ」

「そうよ。誰からも愛される立派な大人になるわ。」

「へへっ。やった!」

「……もうなにも心配しなくていいんだって、お母さん安心してる。」

「おかあさん?」

「サラが嬉しい時は一緒に喜んで、悲しい時は抱きしめてあげたい。でも、ずっとは難しそうだから。」

「サラがおおきくなったら、おかあさんといっしょにいちゃいけなくなるってこと?」

「そんなことないわ。だけど、お母さんはもうすぐ遠くに行くことになるから。」

「おかあさんとあえなくなるの?」

「違うわ。ただそばにはいられなくなるだけ。お母さんはいつでもサラのことを見てるから。」

「やだっ、サラもいっしょにいく。」

「泣かないで。大丈夫、あなたはいい子だから、あなたが大好きと思えて、あなたを大切にしてくれる人ときっと会えるわ。絶対寂しくなんてならない。」


母はとびきり優しく笑った。


「愛してるわ、サラ。」


「っ……。夢……。」


あまりに鮮明で暖かい記憶だった。

あんなに優しい母の笑顔を思い出したのはいつぶりだろうか。

もう会えないとわかっているのに、どうしようもなく会いたくなる。

切ない気持ちが込み上げそうになったとき、顔を上に向けると、穏やかな寝顔でアルブレヒトが規則正しい寝息をたてていた。


「アル……」


サラはアルブレヒトの胸に縋って泣いた。


「お母さん、私も愛してる。」


母は自分を見守ってくれている。

不思議とそう確信できた。


「ありがとう、アル。」


朝日が顔を出すまでまだ時間があったが、サラが孤独な思いをすることはもうなかった。

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