第10話 引力




翌朝、サラはアルブレヒトに割り当てられた部屋を訪れた。


「なんですか、こんな早い時間に。」


アルブレヒトは不機嫌そうだったが、既に着替えているし寝ぐせもない完璧な装いである。


「ご、ごめん。アルブレヒト君ならもう起きてると思って。早速なんだけど、遊びに行かない?」

「昨日も思いましたが、遊ぶってなんですか。」

「行けば分かるから!とりあえず行こう!」


嫌がるアルブレヒトを連れだって、サラは外に飛び出した。



「来るときに分かったと思うけど、ここは複雑に地形が入り組んだ山間部でね、おばあさまの家も数多くある山の中の一つに位置してるの。」


見渡す限り、遠くに見えるのは山ばかりである。


「標高が高いから、この季節でも春の暖かい日くらいの気温しかないんだ。」


夏が短く、冬は寒い。山頂には万年雪が積もっている。

今の時期が一年で一番過ごしやすいのだ。


祖母の家から少し歩いて林を抜けると、視界が開けた崖にでた。

色とりどりの野花が咲きほこり、ちょうど日が差してさらに鮮やか輝いている。

まるでこの世のものではないような景色に、隣に立つアルブレヒトも息をのむ気配がした。


「朝日に照らされてる時が一番綺麗だから、アルブレヒト君にも見せたくて。」

「これは確かに……美しいですね。」


サラは幼い頃から何度もこの場所を訪れているが、そのたびに言葉を失わずにはいられなかった。


「そうだ、ちょっとここで見ててね。」

「?」


サラは崖のふちに立つと———後ろ向きに飛び降りた。


「!?」


アルブレヒトは声もあげられなかった。


駆け寄って崖の下を覗くと、そこには奈落に落ちたはずのサラがいた。


「あははは、びっくりした?ここ崖じゃないんだよね。」


奈落かと思われたそこには、さらになだらかな丘が広がっていた。

角度的に下が見えないので、あたかも絶壁のように見えてしまうのだ。


「一回誰かにやってみたかったんだ。」

「……そんなに落ちたいなら、落としてあげましょうか。」

「え、どういう……きゃあ!?」


突然サラの体が浮き上がった。どんどん上昇し、シュルツ家の三階くらいまでの高さまで上がった。下にいるアルブレヒトが小さく見える。


「ちょっ、アルブレヒト君」

「楽しいですか?」

「さすがに怖いかもっ」

「降ろしてほしいですか?」


サラはぶんぶんと頭をふった。


「うん!降ろして!」

「わかりました。」

「よかっ」


安堵したのもつかの間、サラの体は浮力を失って急降下した。


「わあぁぁぁぁぁ」


アルブレヒトを怒らせてはいけない。

サラは心から反省したが、もう遅かった。

覚悟を決めてぎゅっと目をつむった。


地面にたたきつけられるかと思われたサラの体は、すれすれで速度を落とした。


「?」

「懲りましたか?」


目を開けると、真顔のアルブレヒトが至近距離にいた。

表情はないが明らかに激怒している。

サラはアルブレヒトの腕の中に抱き留められていた。


「は、はい。すみませんでした。」

「はぁ。あなた何歳なんですか。危ないことはしないでください。」

「うん……でもやっぱりさっきのちょっと楽しかったかも。遠くの景色も見れたし。」

「何言って!……もういいです。」


アルブレヒトは心底呆れた顔をしながらサラを下ろした。


「ほんとごめんね。もうしないから。あっちに野苺の群生地があるの。機嫌なおして?」

「野苺で取れる機嫌だと思ってるんですか。」


なんだかんだ言いつつ、アルブレヒトとサラはバスケットいっぱいに野イチゴを摘んだ。

あとで祖母にジャムを作ってもらうのだ。


その後も、持ってきたサンドイッチで休憩をはさみつつ、サラが見つけた秘密の洞窟や、小川にアルブレヒトを連れまわした。


気づけば日が暮れ始め、山々は夕暮れ色に染められている。


サラが最後に連れてきたのは、林に囲まれた湖だった。底が浅く、水は透明度が高い。夕日を受けて水面はキラキラと輝いていた。


ほとりに腰を下ろし、染み込まない程度に靴で水際をぱちゃぱちゃとつついた。


「あなた、はしゃぎすぎじゃないですか。」


隣に腰を下ろしたアルブレヒトは、珍しく疲れた顔をしていた。


「あはは、つい楽しくって。」


風が吹いて、木々が揺れる音がする。


「私、小さい頃はすごく体が弱かったんだ。今よりも魔力欠乏をよく起こしてて。それで、空気の綺麗な環境がいいだろうって、しばらくおばあさまの家で暮らしていた時期があったの。」


祖母の家で過ごした時間は、サラにとって楽しい思い出だった。

北東の街にはない自然の数々は、今も昔も変わらずサラをわくわくさせた。


「ここに来てからすぐ、今まで病弱だったのが嘘みたいに元気になってね。魔力も安定したんだ。おばあさまが言うには、山々に巡ってる地脈が私の気質と相性がいいんだって。本当かわからないけど。確かにここにいる間はこうやって……」

「!」


サラはおもむろに湖に手をかざすと、いくつもの水のかたまりが水面から飛び出した。

水のかたまりは自由自在に姿を変え、魚や動物、花に変身した。

水でできた生き物はまるで本当に生きているように動き出し、やがて湖に戻っていった。


「そんなに魔力を消費して大丈夫なんですか。」

「うん。全然平気だよ。これくらい魔術が使えれば、護衛騎士にも胸張ってなれるって思ったんだけど、北東の街に帰ったら元に戻っちゃってね。体は丈夫になったからよかったけど。あの時は落ち込んだなぁ。まあ、もうその必要もなくなったんだけどね。」

「……。」


思いがけずアルブレヒトが無言になったので、気まずい空気が流れた。

サラは話題を変えることにした。


「アルブレヒト君はどんな子供だったの?」

「僕は……馬鹿な子供でした。」

「ば、馬鹿?想像つかないけど。」

「僕の両親は厳しくて、僕がどれだけ魔術や剣の稽古を頑張っても、認めてくれることはありませんでした。それでは護衛騎士になれないと言われ、兄2人と比べられて、努力が足りていないといつも叱られていました。」

「そうだったんだ……。」

「だから、人一倍努力して、両親に認められようと必死でした。僕は魔術が好きだったから、いくつも術式を考えては両親や兄たちに見せました。兄たちは褒めてくれましたが、両親からは邪険に扱われました。それでも、いつかは僕の実力を認めてくれて、護衛騎士を任せてくれるんじゃないかと信じていました。」

「アルブレヒト君は護衛騎士になりたかったの?」

「はい。小さい頃、騎士物語を読んでからずっと。」


騎士物語はこの国で子供に人気のある童話だ。

護衛騎士が王家のために活躍する話で、 サラも幼い頃は夢中になって読んだ。

騎士に憧れる小さいアルブレヒトを想像して、微笑ましくなった。


「ある日、両親が僕の考えた術式を長兄のものとしては公表していたことを知りました。」

「!そんな……」

「それから、僕に護衛騎士になる可能性など1つもなかったことも知りました。両親ははなから次兄や僕を護衛騎士にするつもりは無かったんです。両親が見ていたのは長兄だけでした。」


アルブレヒトを見上げると、どこか遠くを見ていた。

いつかの記憶をたどっているのだろうか。表情は変わらないのに、ひどく寂しげに見えた。


「それから、次兄は自暴自棄になったし、優しかった長兄は僕に弱みを握られたと疑心暗鬼になった。」

「……。」

「両親のことは信じられなくなったし、僕たち兄弟の中は悪くなってしまったけど、魔術は変わらず好きだった。僕は地方の魔術コンテストに片っ端から術式を応募するようになりました。」


魔術コンテストは各地で開催されており、術式の斬新さや機能性、美しさを評価される。賞をとれば、魔術関係の仕事の声がかかることもある。


「それで、たまたま僕の術式が北東の魔術コンテストの審査員をしていたエリアスさんの目に留まって、養子の話を持ち掛けられたんです。」

「そうだったんだ。」


父がどうやって遠く離れた南にいるアルブレヒトに接触したのか謎が解けた。


「チャンスだと思った。僕は護衛騎士になりたかった。それに、両親のことも見返せる。そうやって、僕はあなたから護衛騎士の座を奪ったんです。」

「……。」


自嘲気味に言ったアルブレヒトを、サラは責めることはできなかった。

ぐるぐると考えて、サラはうまい言葉が思い浮かばなかった。


二人を柔らかな風が撫でていく。


「今日見せた場所はね、今までずっと私一人で来てたんだ。だから、」


サラはアルブレヒトを見た。アルブレヒトもサラを見ている。


「誰かに共有したかったの。アルブレヒト君がいてくれてよかった。」

「……。」

「そうだ、何か魔術を見せて。」

「魔術ですか?」

「うん、何でもいいから。」

「そうですね……じゃあ、さっきみたいに水で何かひとつ作ってください。」

「こう?」


サラは言われた通り手元に湖の水を持ってくると、小さな花を作った。

アルブレヒトがそれに手をかざすと、水でできた花がたちまち光り始め、シャラシャラと音を立てて固まっていった。


「わぁ」


宙に浮かんでいた花は氷になって、ことりとサラの手の上に落ちた。

確かに冷たいのに、手で触っても溶ける様子がない。

透き通った光を放ち、まるで冷たい宝石のようだ。


「すごいねアルブレヒト君!こんなに綺麗な魔術みたことない……」


興奮気味に顔をあげたサラは、想像よりも近い位置にアルブレヒトの顔があって、固まってしまった。まつ毛の1本1本や、青い瞳に映る自分の顔がよく見える。

早く離れないといけないと思うのに、何故かお互い目がそらせない。


無言が二人の間に横たわり、段々と距離感が分からなくなってくる。


そうして気づいた時には、何かに引き寄せられるように唇と唇が重なっていた。


「んっ、」

「……は」


重ねるだけの優しい口づけが続く。

手に持っている氷の花は冷たいのに、アルブレヒトと触れ合っている部分が溶けそうなくらい熱い。

アルブレヒトに下唇をやわやわと食まれ、サラは胸が苦しくなった。

この感情は何だろうか。

自分からもその薄い唇に吸い付いた。

それに応えるように、後頭部と腰に手を添えられる。

二人の唇は一層深く重なり合った。

しかし、唾液は流れ込んでこない。

魔力の授受でなければ、この口づけはいったい何なのだろう。

だが、それを考えている余地はもうなかった。

今はただ、目の前のぬくもりが心地よくて、離れがたかった。


「はぁ、はぁ」


唇が離れ、サラは小さく息切れした。

アルブレヒトは余裕そうだ。


「あなたの気質がこの土地と合っているというのは、恐らく本当です。」

「え?」


額と額を合わせたまま、吐息が唇にかかる距離でアルブレヒトが話し出した。


「この辺りの山から、強い霊力を感じます。それがあなたの魔力に影響し、力を与えているのでしょう。」

「霊力なんて全然気がつかなかった……。」

「普通は分かりません。僕は人より魔力が多いから。」

「んっ、」


戯れのように一瞬口づけられる。


「ここに居ればあなたは魔術を好きなように使える。だけど僕たちは帰らないといけない。だから、向こうに戻ったら僕があなたに魔力を分けてあげます。」

「え、でもそれはっ、」


申し訳ないと続くはずだった言葉は、アルブレヒトに吞み込まれた。


「わかった?」

「……はい。」


サラが小さく返事をすると、また唇が重なった。

仮にも姉弟なのに、魔力の授受でもなんでもないこの行為は、ひどく倒錯的なのに。

年上の自分がしっかりしなくてはと思うのに、サラは自分からやめることはできなかった。

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