「第2話」教えてあげるよ
俺は教室に戻ったあとも授業に集中できないでいた。
『それ、私が踏んだやつだから』
手元にある空になったアポロの容れ物を眺めながら、あいつの……”アポロちゃん”の言葉と表情を脳裏に巡らせていたのである。
とうとう授業の内容を一ミリも理解できないまま、休み時間になってしまった。
(しっかりしろ、俺。たかが踏んだアポロ、ばっちいだけじゃねぇか)
俺は呆けた自分の頬をぺちぺちと叩き、ランドセルの中からノートと鉛筆を取り出した。
俺の休み時間の過ごし方は”漫画を書く”一択だ。家でも一日中疲れて眠くなるまで鉛筆を握りしめていたし、入学してもそれは変えないつもりだった。
俺は本気で漫画家を目指している。
ストーリーも画力も、何もかもが自分にはあると思い込み、そして疑いようのない自信を持っていると確信していた。──そう、再びあの女がやってくるまでは。
「なに書いてるの?」
一人の女の子が俺の机の前にずいっと顔を覗かせてきた。
顔を上げるとそいつは、案の定アポロちゃんだった。
「……いや、別に」
「なに書いてるの、って聞いてるんだけど」
「いやぁ……その」
俺は色々と動揺していた。家族以外の誰にも見せたことがない漫画を見られたこともそうだが、ついさっき踏んだアポロを食わしてきた張本人が再び目の前にいる……これは、中々に脈が早まるシチュエーションだった。
「……なにって、漫画だけど?」
若干のニヤケを堪えながら、俺はノートを手渡します。
あくまで冷静で、巨匠としての余裕を見せるために表情筋を抑えようと……そして、アポロちゃんはそんな俺に。
「なにこれ、超ヘタクソ〜!」
「は?」
片手を口元に当て、アポロちゃんは容赦なく俺に言い放つ。
(ヘタクソ? 俺が? 俺が????)
俺は初め、何を言われたのかが理解できていなかった。
衝撃、ショック。
下手くそ。
「……えっと、何を言ってるのかな?」
「うん? ヘタクソって言ったんだけど?」
「──」
その瞬間、俺は手に汗を握りながら書いていた自分の漫画を直視してしまった。
稚拙、歪み、吹き出しの中の字も踊り狂っているそれは、自分が思い描いている漫画とは程遠い子どもの落書きのように見えてしまったのだ。
だから余計に俺は悔しかったのだ。
バカみたいだ、自信満々で、披露して……こんな!
「ひ、人の絵を馬鹿にするなよ! お前だって、俺よりヘタクソなんじゃないか?」
「……ふーん。いいよ? 私の絵、見せてあげる」
そう言って、アポロちゃんはニコニコしながら自分の席の机の中に突っ込んであったノートを取ってきて、適当なページを開いて俺に見せてきた。
「はい、どうぞ」
そこには女の子の絵があった。
控えめに言ってもその絵は生きていた。線画は丁寧、まっすぐ勝つ柔軟に描かれた縁取りの内側外側にきっちりと色が塗られており、より鮮明に……より明快に俺のヘタクソな絵との差を見せつけてきたのだった。
だから、思わず。
「……上手い」
そう言うしか、なかった。
「お前の絵は、ヘタクソだね」
そうバッサリと言い捨てられて、俺は再び自分の絵を見つめた。
悔しくて、悔しくて。
「……っ!!」
ノートを掴み、俺は、俺が生み出してしまったゴミを引き裂こうとして。
「破るの?」
アポロちゃんの声で、俺の手は止まった。
止められた、と言ったほうが正しいだろうか。彼女はものすごい剣幕で俺を睨んでいた。
そこには既に嘲りも侮蔑も何も無い。
ただただ、道理に反した悪人を見下すような、そんな厳しい目を向けてきていた。
「一生懸命書いたのに、破るの?」
俺は燃え上がるような怒りを覚えた。
誰のせいで、誰のせいで自分の絵に自信が持てなくなったのか、と。
「お前が、お前がヘタクソって言ったから……」
「お前はヘタクソなんだから、ヘタクソに決まってるじゃん。上手い私から見れば、お前の絵は幼稚でヘタクソだよ」
容赦も、加減もなく俺に真実を突きつけてくる。
最早怒りを通り越して泣きそうでした。もう嫌だ、絵なんて描きたくない……もう、たくさんだ。──だが、目の前の女が言いたいことには、どうやら続きがあるようだった。
「取り敢えず、それ見せて」
そう言って、彼女は戦意喪失していた俺から絵を分捕り、それをまじまじと見つめはじめた。俺はそれが恥ずかしくて、またなにか言われるんじゃないかって、とても怖くて……でも取り返す勇気もなかった。
「……線画も雑、色塗りも雑。なにこれ、目瞑りながら描いたの?」
仮に目の前の女がド下手くそな絵を描くのであれば、俺は怒りに任せて彼女の頬をひっぱたいていただろう。しかしこいつは絵に誠実であり、ものを言えるだけの実力が有った。
だから俺は何も言い返せなかった。
例えるならばそれはそう、巨匠に容赦なく叱られダメ出しをされるド素人だろうか?
今の今まで慢心し続け、それを周りにひけらかし続けていた俺は体の内側から締め上げられるような痒さを覚え、縮こまった。
「でも、色彩感覚はいいんじゃない?」
「……え?」
そう言って、アポロちゃんは笑った。
嘲りでも嘲笑でもなく、ただ単純に……素直に笑っているように見えた。その笑顔に一瞬胸の奥がぞわりとして、呆気に取られているうちに、アポロちゃんは更に追い打ちをかけてきたのだ。
「でも、やっぱり基本がヘタクソ」
だから。
そう言って、彼女は奪い取った俺の絵を、俺の前に差し出してきた。
「私が教えてあげるよ。絵、上手くなりたいんでしょ?」
呆気に取られながら、しかし、俺は小さく頷いた。
「……よ、よろしくお願いします」
この日から、俺は胸の奥に小さな劣情を抱きながら、アポロちゃんに教えを乞うことになった。
☆作者からのお願い
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