第33話 ハンバーグ
俺は母さんがどんな仕事をしているのかを知らない。母さんは仕事のことを話したがらない人だし、俺だって深く詮索したりはしない。
とりあえず忙しいのは把握しているが、それでも母さんは食事の時間には屋敷に戻ってくる。家族一緒に食事をしたい、というのは母さんの望みなのだ。
屋敷に戻ってきた母さんは、
「ライラック」俺に向けて言った。「なにがあったか、説明しなさい」
「……了解……」
正直言って疲れ果てているが、俺が説明しないといけないだろう。ナナにこんなことを説明させるわけにはいかないからな。
食事の前に、俺達家族は食堂に集まった。
メンバーは俺と母さん。そして松葉杖をついたナナと、メイドのローズさんサザンカさん。使用人のフィオーレとギン。
最後に……
「……パドマさん……」ナナがパドマの体調を気遣って、「……ご無理なさらず……」
「いえ……大丈夫です」大丈夫には見えんが。「……大切な話なのでしょう? ならば、よろしければご一緒させていただきたい」
そんな会話をして、ナナとパドマは隣どうしの席に座った。
……
なんか良い雰囲気だな、と思いながら俺はそれを眺めていた。変な事件さえなければ、微笑ましい感情が湧き上がってきたかもしれない。
……
重たい空気だった。いつもならベロニカさんかサザンカさんが元気よく喋り始めるのだが、今はベロニカさんがいない。さらにサザンカさんも傷心気味だ。
それでもサザンカさんは自分の役割を全うしようとする。場を明るく回すのが自分の役目だと自覚しているから。
「今日の夕食は何を作ろうかなぁ……お姉ちゃん、リクエストとかある?」
「……お姉ちゃんではありません……」ローズさんも平静を装って、「……ハンバーグなど、いかがでしょう」
「あ、それいいかも」サザンカさんは俺を見て、「ライラック様も、それでいいですか?」
サザンカさんは母さんがいる前だと俺に敬語を使う。たぶん主従関係やら契約の関係なのだろう。
ともあれ夕食のメニューに文句などない。ハンバーグなら俺も作れる。
「いいですよ」
「うんうん。隠し味も入れちゃいましょうかねぇ」サザンカさんの努力によって少しずつ場が明るくなり始めて、「ハンバーグかぁ……アマリリス――」
口をついて出たその言葉に、また空気が重たくなる。サザンカさん自身も失言だったことに気がついたようで、気まずそうに黙り込んでしまった。
……
そういえばハンバーグはアマリリスの好物だったな……だがそのアマリリスはもういない。いるのはアマリリスの姿をした別人だ。
夕食のリクエストをされて、ついローズさんはハンバーグと答えてしまった。
それはサザンカさんがハンバーグが好きだから、なのだが……アマリリスにとっても好物であることを失念していたらしい。
いつものローズさんならこんなミスはしない。このまとわりつくような重たい空気が、屋敷にいる人間から思考力を奪っている。
ローズさんも自分のミスに気がついたようで、さらに表情を重たくしていた。ローズさんがここまで感情を表に出すのは本当に珍しかった。
……
長い沈黙があった。本来なら俺から話し始めなければならない。それはわかっているのだが……発するべき言葉が喉に絡まってしまう。
呼吸をするのも辛い。そんな空気を破ったのは、俺の母さんだった。
オルタンシア・ロベリアはいつも通りの凛とした声で、
「サザンカさん」
「……はい……」
「いつもあなたの明るさには助けられています。私が家族とケンカをしても、必ずあなたが場を明るくしてくれる」
それはみんなが知っている。サザンカさんは本当は打たれ弱くて、でも家族が大好きだから無理して明るく振る舞っているのを知っている。
母さんは続けた。
「今だってそう。私は詳しい現状を知らないけれど……この異常事態でも、あなたはいつも通りであり続けようとしてくれる。そのことが……私達の心を救ってくれるの」
母さんはイスから立ち上がって、全員の顔を見回した。
「……ですが今は、問題の解決に目を向けましょうか。どうやら目のそらせない問題が、時間の経過では解決できない問題が起きている様子」それは雰囲気だけでもわかる。「しばらくは苦しいかもしれない。笑えないかもしれない。ですが……この問題を解決しなければ、心の底から笑うことは難しい。そうでしょう?」
その通りだ。上っ面だけの会話。上っ面だけの笑顔。そんな笑顔での生活は、いつか破綻する。
この問題は無視できない。家族全員で共有しなければならない。
母さんは言った。
「この問題を解決して……いつか家族全員で笑える日が来る。私はそう信じてる。仮に離れ離れになるとしても、家族の関係が変わるとしても……少しでも優しい結末を迎えられるように、今は苦しみに目を向けるとしましょう」
……
やっぱり緊急事態があったときに、引き締めるのはこの人なんだよなぁ……
まだまだ母さんには敵いそうにない。
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