第6話 秘訣

 その日はマロンから食堂の料理を教わることになった。


「うちの看板メニュー、オムレツを作れるようになれば、注文の半分はタクトくん一人でできるようになるの」

「料理なんてしたことないから、ちょっと不安だな……」


 前回は料理を教える前段階の、火を魔法で点けるところで大失敗をしている。


「ちょっと魔法を使わないところをやってみましょうか」

「よろしくお願いします」


 マロンは慣れた手つきで卵を片手で割ると、熱したフライパンを傾けて、一欠片のバターと一緒にさっとかき混ぜる。


「フライパンの握り手は熱くなっているから、必ず濡れたフキンで握ってね」

「ふむふむ」


 しばらく水平にして沸々と表面から小さな泡ができる。


「ここからがちょっと難しいんだけどね」


 そう言ってマロンはフライパンを斜めにしてトントンと、軽く揺さぶる。

 あっという間に見慣れた三日月型のオムレツに変わった。


「うわ、魔法みたいだ……」

「コツはフライパンを傾けすぎないこと」


 少し熱して、またトントンと傾けながらフライパンのグリップを叩くと、踊るように反転する卵。


「つなぎ目も少し焼いて、あとはお皿に乗せて完成」

「すごい……」


 とてもきれいなオムレツができた。

 ナイフを真ん中に一直線にいれると、中からとろとろの卵が流れ出てくる。


「まあ、オムレツを作らせたら、私の右に出る者はいないわね」


 得意顔でマロンは腰に手を当てた。


「さて、タクトくんもやってみましょう。これができれば、私もホールのオーダーに集中できるし、お客さんも私のかわいい顔をみて癒やされるから、みーんな幸せになれるわ!」


 早速、フライパンを握り、卵を片手で割ってみる。

 マロンがしたように、ヒビを入れて、卵を開こうとするが……。


「あっ!」


 グチャっと、手の中で卵が砕かれた。


「まー……最初はしかたないわね」


 マロンは卵の殻を箸で取り出して、俺の手を取ってフライパンを傾かせた。


「ここは素早くかき混ぜないとね」

「な、なるほど……」


 近づいてきたマロンのうなじに思わず視線が移ってしまう。


 料理に集中しなければ……。


 そのあともマロンの手を借りてオムレツを作ったが、火が入りすぎて表面がデコボコになり、マロンの作った絹のようなオムレツとは比べ物にならない。


「む、難しい……」

「ふふっ、まあ私も一月ぐらいかけて、やっとメニューに出せるようになったし。すぐにはできないから、気を落とさないでねっ!」


 うーん、たった一月でできるようになるのかな。

 まだ火も点けれないというのに。


「おっ! さっそくオムレツ作りを教えているんだな」


 カウンターの清掃をしていたトロが厨房をのぞいた。

 キッチン台に置かれたふたつのオムレツを見て、うんうんと頷く。


「最初にしては上出来じゃないか」

「いえ、最初の卵割りから失敗して、マロンさんにだいぶんサポートしてもらいました……」

「あっ……そうなんだね! まあまあ! 全然、これからだから大丈夫だよ!」


 トロ店長は励ますと、厨房の裏口にある扉を開けた。


「料理も少しずつだけど……この世界に来たばかりのタクトくんに、まだ魔法の説明をしていなかったことを思い出したんだ」


 たしかに、魔法の詠唱を真似していただけで、基礎になるようなことは教えてもらっていなかった。


 裏口から出ると、そこはレンガの建物にコの字に囲まれた裏庭だった。

 空き地のような場所で、一時的に馬を繋いだり、搬入物を置いたりするのに使われているらしい。


「ここだったら多少荒っぽい魔法でも問題ないわね。隣はうちの倉庫だし」


 マロンもついて来てくると、レンガの壁を指さした。

 トロは木の枝を拾い、地面に文字を書いて説明する。


「魔法は普段使われる生活魔法として火水風の三種類がある。それぞれの精霊は『ヴルカ』、『ウンディ』、『ジノ』。つまり詠唱の最初の言葉は、精霊を呼び出しているんだ」

「へぇ、じゃあ水の精霊は、ウンディレクトですか?」

「おっ、そのとおり! そのあとの魔力と引き換えにマナテレスは決まり文句で、次の単語で魔法が決まる。ざっくり言うと、火は『ホラクト』『フラクト』『ハラクト』の順で強くなり、風は『セラクト』『スラクト』『サラクト』、水は『ムラクト』『メラクト』『マラクト』」

「ここはね、ちょっとした接頭辞の違いなんだけど、絶対に間違っちゃだめよ」


 マロンは地面に書かれた魔法の頭一文字に丸をつける。


「フムフム、ということは、水の精霊よウンディレクト魔力と引き換えにマナテレス小さな水のモラクト……」

「そして、もう一度精霊の名前を反復して、決まり文句の発現させたまえエクラーシ

魔法ウンディ発現させたまえエクラーシ


 下げていた指の先端から、消防のホースのような放水が始まった。


 ドドド……。


 マロンは「きゃっ!」と声をあげて、水しぶきから逃げる。


「水がでました!」

「み、水はでたけど、多すぎるなー!」


 大量の水が地面を穿ち、魔法が解ける頃にはバケツ大の泥穴が出来上がる。

 その穴をしげしげと見下ろして、トロは感嘆した。


「はあー、相変わらず、すごい勢いの魔法だね……」

「どうしたら、魔法って制御できるんですか?」

「僕は何度もイメージして、次第に小さな風セラクトを操れるようになったけど、魔力量を調整するのはあくまでも詠唱だから、ちょっと違うんじゃないかな。ごめん、僕にも詳しくは分からないな……」


 トロの視線を受け取ったマロンも腕を組んで首を傾ける。


 精霊を呼び出し、魔力の量を決めて、交換することで魔法は発現する。

 いわば、詠唱は精霊との契約なのだそうだ。詠唱が間違っていなければ、魔力量も同じはずだが……。


「もしかすると、小さな水モラクトの逆、つまり巨大な水マラクトが俺の場合だけ弱くなったりしないですかね……?」


 俺の言葉にトロは慌てた。


「それはやめたほうがいい! 僕は昔、森で狼に襲われたとき、中位の大きな火の魔法フラクトを使ったことがあるんだが、気を失ってね」

「店長はあんまり魔力量がないのよね。だから私が厨房をやっているんだけど、私も無法者相手に最大魔法の巨大な火の魔法ハラクトを使ったら、三日三晩寝込んじゃって……」

「無法者を追い返せたはいいが、あの後が大変だったな」


 どうやら魔力切れを起こすと立ち上がれなくなったり、発熱したりするようだ。

 無理に体を酷使したら、筋肉痛や最悪、肺炎になったりするのと同じだ。


「そういえば、寝込んでいたときに店長が作ってくれたオムレツ……美味しかったな……私、あれを食べて、本気で作ろうって思ったんだった」

「ああ、たしかにマロンちゃんが元気になるように卵料理をいっぱい作ってたなぁ」

「あの美味しいオムレツ。私……まだあの味を超えてない気がする……」

「料理の秘訣はね、食べてくれる相手を思い描きながら作ることだよ。そうすれば、きっとタクトくんも美味しいオムレツを作れるはずさ」

「……はい! お店の看板メニューを作れるように頑張ります……!」


 トロやマロンから受け継がれてきた看板メニューを、本気で作りたいと思った。

 それからは毎日、厨房で練習させてもらうことにした。

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