第3話 イガンデ様

 ──翌朝、兵舎裏

 

 髪が縮れた兵士が二人、震えながら何かを待っていた。


「お前も呼び出されたのか」

「ここに呼び出されたってことは……」


 二人が顔を見合わせていると、ズシン、と微かに地鳴りがした。

 ズシン、ズシンと音が近づくにつれて、二人の顔色はどんどん青白くなっていく。


 高さ三メートルほどはある兵舎の庇から、ぬっと大きな男が顔をのぞかせた。


「ひっ! 第二分隊隊長……!」

「国で唯一の『闘士』ジョブ、イガンデ様だ……!」


 イガンデと恐れられた男は、地面を震わせながら二人の兵士の一歩手前まで近づく。

 男たちはいまにも失神してしまいそうな面持ちだ。


「貴様らは俺の第二分隊にいながら、なぜ頭が爆発して、火傷だらけなのだ?」


 眉間にシワを寄せ、獅子のごとく髪が四方八方に広がった男は、充血した眼で見下ろした。


「き、昨日の訓練でこのようになったのであります!」

「嘘をつくな。俺はいつも訓練を監視している。お前たちのような兵士は昨日の訓練でいなかった。俺に嘘をつくということは、重罪だぞ」


 イガンデは嘘をついた兵士の頭を大きな手でつかむ。


「ひいいっ……!」


 頭を持ち上げられた兵士は、耐えかねてイガンデの指をはがそうとするが、びくともしない。


「申し訳ありません! に、二度と嘘はつきません!」

「では、なぜそんなにボロボロなのか?」

「町の食堂の魔法使いにやられました!」

「なに? 魔法使いだと!?」


 イガンデは兵士の頭をはなすと、あまりの意外な答えに固まる。


「俺の分隊の兵士が、ただの魔法使いの町人ごときにボコボコにされた……?」

「ち、違います! 町人の若造だと思って少し油断をしただけで……」


 イガンデの分隊に所属するということは、他のどの分隊にも負けてはならない。ただ一つ、負けが許されるのは騎士団相手のときだけ。

 常日頃、イガンデからそう教えられてきた兵士は、必死に弁解した。


「油断。まさに俺が嫌いな言葉だ。最強の軍隊は、油断しない」


 ギロリとイガンデが睨むと、身を強張らせた兵士は息を呑む。

 ふっとイガンデの姿が消えた瞬間、強烈なパンチが兵士の甲冑を砕き、体を空中に吹き飛ばした。


「ガハッ!!」


 地面に落ちた兵士を見てイガンデはつぶやいた。


「弱者め。お前は第二分隊から除名する」


 横で見ていたもう一人の兵士は、ポタポタと汗を流しながら、一歩前に進み出た。


「も、もう一度だけチャンスをください! 必ず第二分隊の名に恥じないよう、ボコボコにしてやります!」

「いくらお前たちが弱いとはいえ、このまま顔に泥を塗られたままにするわけにもいかぬ。……いいだろう。もう一度だけチャンスをやろう」


 イガンデは兵士にぐっと顔を近づけた。


「だが、もし失敗したときは分かっているな?」

「は……はい!」

「第一分隊隊長のリアクより先に、俺は騎士団に入らねばならん。その俺の手下が町人にボコられたなどという噂が広まってみろ、リアクの奴がなんとふれ回るか……!」


 メキメキと額に血管を浮かび上がらせるイガンデに、兵士は生きた心地もしなかった。


 イガンデが兵舎裏を後にする頃、兵舎の影で盗み聞きをしている男がいた。


「兵士ジョブを倒す町人ね。面白い……」


 その男の胸には、第一分隊隊長を示す略綬があった。



「起きなさいタクト! もう朝だよ! 早く起きなさい」

「うーん。まだ早いよ……」


 目を開けてみて、自分の部屋じゃないことに気づいた。

 そうか、俺は異世界に連れてこられたのか。


「可愛いレディが起こしているのに、なんで目が覚めないのよ。宿屋の仕事は、日が昇る前から始まるんだよ!」


 寝たままの俺の布団をマロンが剥ぎ取ろうとする。


 異世界と言えど、朝はマジで苦手だ。

 現実世界でも起立性なんちゃらという病気じゃないかと疑われるぐらい、ギリギリまで寝ているというのに、今何時だ? 寝た気がしない。


「ほら起きて!」

「うう、もう少しだけ……あと5分」


 ぐぐっと布団を引っ張られて、俺もそれに抵抗した。

 諦めたのか、力がスッと抜けると俺は体にくるんで、奪われないようにする。


 すぐにウトウトし始めて、生ぬるい湯船につかったかのような幸せな空気感に包まれる。ふわふわした雲の上を歩き、夢の入り口にたどり着く。


 ウェルカム・トゥ・ドリームワールド……。


 すると、突然土砂降りの雨が降ってきた。


「ううっ……」


 ザアアーーッ。

 いつも二度寝の夢は優しさに包まれた感じになるのに。

 どうして線状降水帯みたいな雨に打たれる夢なんだ。


 目を開けると、マロンが指先から水を出して俺にかけていた。


「ぶふあっ! ゆ、指水!」

「ほらー起きなさい」


 チョロチョロと俺の鼻や口へ魔法で水を出し続けている。手でガードしても枕がびちょびちょで寝れない。


「分かった、分かったから!」


 マロンに連れられて1階に降りると、食堂は様変わりしていた。街道との間に仕切りができていて、食堂内はしんと静まり返っている。

 そこにカウンターからトロが料理を運んできた。


「やあ、おはよう。朝ごはん食べたら開店の準備を始めようか」


 サラダにパン、シチューに焼き魚など、たくさんの料理がならんでいる。


「うあー美味しそう」


 現実世界より充実した料理が目の前に並んだ。


「昨日のあまり物だけどね。さあ、食べよう!」


 お腹が空いていたのもあって、いつもより食事が美味しそうに見える。

 パンを食べると、小麦の濃い風味が口いっぱいに広がった。


「パンって、こんなに美味しかったかな」

「おいおい、それはパンに失礼だよ」


 トロはそう言いながら笑う。


「でも、すぐに起きれないのは宿屋の従業員としてどうかしら」


 マロンは機嫌がよろしくない。

 枕がビチャビチャになったしな……。でももう少し起こし方を工夫してもらったら……。多少はマロンにも責任があるのでは。


「まあまあ、そのうち慣れるよ」


 トロはすかさずフォローをしてくれる。


「というか、看板娘の私がわざわざ起こしに行ったのに、全然起きないんだから……」


 なるほど、俺は彼女のプライドを間接的に傷つけていたのか……。

 たしかにマロンは可愛い活発な少女で、もし学校にいれば人気者になれそうだ。

 しかし、俺の寝起きの悪さは群を抜いているのだ。


「マロンさん、俺は朝が死ぬほど苦手だから、たとえ女神級の美しい女性が来ても、起きないですよ」

「えっ、そうなの?」

「ええ、病気みたいなものです。マロンさんみたいな可愛い女性が起こしてくれたら、普通は飛び上がって起きますよ」

「うふふ、そうかしら」


 お、上機嫌だ。よかったよかった。

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