オキュリシマ Oculissima 眼に宿る超常の力

鬱金みね

プロローグ

第000話 記念講演

 人間の想像とは、心の中に新たな世界を創造することだ。


◆ ◆ 少女の視点 ◆ ◆


 2103年12月。

 その日の大学記念講堂はトスタ大学の学生だけでなく、国内の著名な教授陣や政治家が聴衆として参加していた。多くのマスメディアの映像記録機器が壇上へと向けられていたと記憶している。

 普段はがらんとした講堂にこれほどの熱気が集ったのは、この時以降に見たことがない。


「みなさん、本日はお集まりいただきましてありがとうございます。本日の演者は、このトスタ大学の原子位相学研究室の教授、コルネウス=ホイール先生でございます」


 司会が講演の頭出しを始めた。


「ホイール教授は、3年前に発表された『重位相化』の報告で現代科学の常識を転覆させたことは皆様のご記憶に新しいことと存じます。今や10年前の科学の知識が古典と称されるほどの革新的発見が讃えられ、ホイール教授は異例の若さで本年のノーベル物理学賞を単独で受賞されました。本日は、その発見の経緯と最新の応用例について講演して頂きます。講演のテーマは『人間の想像は、心の中に新たな世界を創造することだ』です。それでは、コルネウス=ホイール教授のご登壇です。皆様、盛大な拍手でお迎えください」


 司会の仰々しい挨拶の後に、張り裂けんばかりの拍手の破裂音が講堂中を埋め尽くした。私の父は優しい笑顔を浮かべ、右手を高く挙げ聴衆に向けて大きく振りながら壇上へ登った。

 親族の私が案内された席は最前列で、父さんの凛々しい顔をしっかりと捉えることができた。その笑顔が私に向けられることがなかったのは、子供ながらに寂しかった。


 その時の父さんは33歳だっただろうか。白髪がわずかに混じりはじめた髪を前髪から持ち上げて後ろに流している。私にも受け継がれている天然の髪クセのせいで、整髪料で固めきれなった髪束が何本かピンと立っている。細い眉と鋭い目が印象的で、いつも厳めしい顔を浮かべているのだけれど、今日のように朗らかな表情のときは人当たりが良さそうに見える。

 父さんにとって、講演会場であるトスタ大学は自身の職場だ。そのため、父さんは外向けのスーツではなく日頃から研究室で着ている薄いグレーの作業着をハレの衣装として選んできたようだ。その姿からは、世間がイメージするエリート研究者の雰囲気が醸し出されていた。


 まだ5歳の幼い私は、父さんが若くして獲ったノーベル賞というものがどれほど栄誉ある賞であるか、父さんがどれほど尊敬の眼差しで世間から見られているのか、その当時うまく理解できていなかった。ただ、なんとなく誇らしいことだと認識していたと思う。


 父さんは壇上の隅にある机の前に立ち、机上に置いてあるメモ書きをチラと見ながら簡単な挨拶と自己紹介を済ませた。その直後に、壇上の真ん中の空間いっぱいにブウンっと音を立てて巨大な長方形の空間投影ディスプレイが浮かび上がった。今回の講演で使用するスライド資料だ。スライド作成ソフトに標準搭載されたテンプレートをそのまま使った白基調の簡素なデザインで、真ん中に大きく講演のテーマが記されていた。

 一般向けの講演といえども、所々に専門用語が散りばめられていた。当時の私にはほとんどの単語を読むことができなかったし、耳で聞いても内容をまったく理解できなかった。


 父さんは何度も講演し慣れているからか、予定されていた30分の発表時間をちょうど使い切って話を終えた。終始、朗らかな笑顔であった。内容を理解できる年齢になってから映像を見返すと、初学者への配慮を交えながらリズムよく進行しており、まさに名講演であったと思う。


 続いて、トスタ大学の学生限定で30分間の質疑応答の時間が設けられる旨の案内があった。父さんが勤める大学開催の講演ということもあり物怖じする学生は少なく、幾十もの手が競うように挙がった。

 各座席に備え付けられたマイクに声で吹き込むことで、場内に質問内容が拡声されて場内全体に届く設備がその講堂には備えられていた。

 実験や論文執筆活動で苦労したところ、発想の源は何だったのか、学生時代の過ごし方、研究室の教育方針など、そういったよくある質問が繰り返される中で、私はある若い1人の学生の質問が印象に残っている。


「現在、ホイール教授の発見は効率的なエネルギー輸送や暗号化の領域をはじめとして、多くの業界に変革をもたらしています。ホイール教授自身、これからどんな変革が生まれてくると考えていますか?」


 その学生の質問に対して、彼は天井方面をさっと見上げて数秒考えてから口を開いた。


「鋭いご質問ですね。あなたの言うとおり、私の発見は現在進行形で迅速に応用され、基礎研究に留まらず世間の皆様に届く形で生活に貢献できています。しかしながら、具体的な私の考えを表明することは避けておこうと思います。特に、これほどの政治家の先生方やメディアの方々がお集まり頂いている前ではね」


 父さんは肩をすくめながら困ったような顔で言った。

 数ヶ月前、父さんは別の場所で講演したときにシンワダチ社という企業の製品を引き合いに出して似た質問に応えたそうだ。それがニュースに取り上げられ、シンワダチ社は全世界の注目を浴びて株価が急騰したとのことだ。

 父さんがシンワダチ社とは一切の利益相反関係にないことが確認され、法的な問題とはならなかった。けれど、世間の株式トレーダーからは良い意味でも悪い意味でも注目される存在となった。父さんの言葉で幾千億もの金が容易に動くのだ。

 その出来事を当然に知っている聴衆は、ハハハと大きく声を出して笑った。その笑いが止むと同時に、父さんは再び口を開いた。


「……ただ、起こりうる悪いことには言及する必要があると思います」


 今までの爽やかな笑顔はなりをひそめ、低い声でそう言った。その姿勢の切り替えに呼応して聴衆の中に緊張の波がさっと広がり、会場は静まり返る。


「私の発見は、まさに今までの科学の常識を覆す発見でした。科学史を紐解くと、今までの過去の科学は人の争いの過程で発展してきており、これからの未来もそうなる運命にあると私は考えています。現在、この世界に、破壊的な用途のために研究を進めている者がどこかに居ると確信しています。講演の中でお話したように、実験中に機器の不良で反応が暴走し、図らずも大学の実験棟がひとつ壊滅してしまったことがありました。この技術は非常に便利な半面、危険も同様に持ち合わせています。世の中には、その危険さを求め、悪意をもって研究する者がいるのです」


 なめらかに話していた口調が、単語ごとに刻みながら圧を感じさせる口調に変わっている。聴衆も真剣に聴き入る。


「おそらく、その者の行動をあらかじめ止めることはできないでしょう。どこかでテロ行為のような形で悲劇が生まれる可能性は、非常に高いと言わざるを得ません」


 ざわりと会場がどよめく。


「……私は人類の繁栄と幸福に確実に貢献しうる発見をしました。その発見の源となったのは、まさに天啓や叡智と呼ぶべき、体系的な説明が付かないことによるものでした。ある時は、まるで私自身が世界を創り変える神になったのではないのか、と頭の悪い妄想に耽るときもありました。しかし、同時に、私は、世界を容易に壊しうる要素をも生み出したのです。破壊……、そう、破壊です」


 怒りなのか悲しみなのか判別のつかない口調で、彼は大きく開いた眼に少しの涙を浮かべていた。マイクを通してスピーカーから聞こえる声量は大きく感じられないのに、聞く者の心臓がはねた音と共鳴して、誰の耳にもその声はうるさく聞こえた。喉と胸にググっと圧迫感が押し寄せ、数秒間息を吸うことを忘れていたことを私は自覚した。

 途端に、彼はパンと音を立てて胸の前で手を合わせ、講演中に見せていたような笑顔に戻って発言を続けた。話を切り替える時や他人の興味を惹く時に胸の前で手を叩くのは、彼のクセだったように思う。


「……しかし、そのリスクを最大限に抑える努力を惜しまないつもりです。破壊ではなく、誰もが安全安心に新技術を扱うことができる、私はそんな世界を創造したいと考えています。それが今、私が想像している未来像です」


 彼は手のひらを心臓の前に重ねて当て、軽く眼を閉じた。


「どういった形でリスクを抑え込むのかは、これから国や世界の偉い方々との相談で決めていきます。実際に、これから数週間は国や国際機関の有識者会議とやらに出ずっぱりなのです。そこで、より安心で安全な社会を形成するにあたって、どのような規制を設けつつ産業を盛り上げていけばよいのかが議論されることでしょう。これから生じる変革と生じさせるべき変革というのは、具体的なものではないですが、そういう方向性だと私は考えています。ええと、若干長くなりましたが、質問者の方、これで回答になっていますでしょうか?」


 質問した学生は慌てて「ありがとうございます」と応えた。パチリ、パチリ、と拍手が鳴り始め、それが会場全体に伝播していった。父さんが登壇するときの数倍の喧騒さの拍手が鳴り響いた。その拍手に、父さんは軽く笑顔を浮かべてペコリと小さく何度も頭を下げ、軽く手を挙げて応えた。そして、最後に深々と礼をした。

 演者の表情がよく見える最前列に座っていて、父さんの顔だけを注視していた私だからわかったと思うのだけれど、最後に大きく礼をして下を向いた父さんの顔から笑顔は消えていた。唇を少しだけ噛んで、何か強い覚悟した者の顔がそこにはあった。

 今でも父さんの名を聞いて想起されるのは、この時の顔だ。


 どうやらその質問で質疑応答の時間を終えたようで、司会が締めの挨拶へと進めていった。演者の退場ということで、父さんはまたも拍手に包まれながら舞台袖の方へと去っていった。忙しい身であるから、またどこか別の場所で講演や会議でもあるのだろう。その足取りは少し早く感じられた。


 このときの私は重い病から快復した後で、母の介助を受けていた。けれど、母は仕事で多忙のため不在だったそうだ。そういうわけで、この日は父の弟、つまり叔父が代わってくれていた。叔父に連れられて私は自宅へと戻っていった。


 翌朝、自宅でニュースを見ていると父さんの講演が切り取られて紹介されていた。「破壊、そう、破壊です」と言い放つシーンが切り抜かれてリピートされていた。若くしてノーベル賞を受賞した新進気鋭の研究者としてメディアに注目されていた父さんは、センセーショナルなキャラクターとしてメディアで消費されていた。今回はとうとう「破壊神」などというあだ名を付けられてしまったようだ。再会することができれば、ぜひ本人に「そんな呼ばれ方して恥ずかしくないの?」と尋ねてみたいものだ。


 父さんは素晴らしい発想から革新的な技術を成熟させた優秀な研究の才だけでなく、力強い言葉で人の心を動かす才も兼ね備えていた。私の父、コルネウス=ホイールは誰もが認める天才だ。


 破壊神は、その講演の日から消息を絶った。

 父さんに憧れ、トスタ大学理学部物理学科に入学して22歳にまで育った私、レティナ=ホイールは未だに父に再会できていない。

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