第22話「嘘」
「あの、アーロンが私と結婚した理由ですけど……詳しく、話を知りたくて」
ヒルデガードから聞かされたあの話こそが、すべての原因だった。
「……ああ。あれを誰に聞いたのかは知らないが、確かにブランシュが思っている通りだ。だが、それには理由があるんだ」
そこで、アーロンは私の顔をうかがい、言いにくそうに言葉を止めた。
……そうよ。縁談があると聞いた私だって、何か理由があるだろうと思っていた。
彼がこの前の戦争から帰るまで私はアーロンと会った事もなかったはずだし、そんな状態で彼から結婚を申し込まれるなんて、何か政治的な意味がないと絶対におかしいのだと……。
そう頭では理解を出来ていたのに、私はどうしてもここで我慢出来なくなってしまった。
「どうして、私を助けたの……あのまま、放って置いてくれたら良かったのに」
海の中で足をつってそのまま放っておいてくれれば、新しい妻を迎えることが出来ただろうに。
私ではなくて……アーロンの望むような、美しい妻を。
「ブランシュ。何を……」
「どうせ……どうせ、私なんて……家を継ぐために結婚した妻で、本当は嫌だけど、結婚したんでしょう?」
そう言い切って涙目になった私を見て、アーロンはとても驚いていたし、慌てて首を横に振っていた。
「いや、そんな訳がないだろう! 君との結婚を嫌だなんて、これまでに思ったことは無い。ブランシュ。何を言っているんだ」
「どうして……だって、私」
「待ってくれ。何もかも、全部誤解だ。俺はお前と結婚するために、幼い頃から努力し将軍になり、キーブルグ家を継いだというのに!」
私の言葉を急に遮ったアーロンの必死の声を聞いた時、思考停止してしまった。
「……え? アーロン。それは」
予想もしてなかった展開に絶句してしまった私の顔を覗き込み、アーロンは息をついた。
「どうせ、それを君に伝えたのは、この前に部屋に居たヒルデガードだろう。わざわざ、ブランシュの誤解を招くような言い方をしたんだ。あいつはそういう事を罪悪感なく仕出かす悪い奴で、だから、父は勘当したんだ。矯正なども無駄だと諦めたんだ」
「その通りです……ヒルデガードから、聞きました」
「本来ならば、牢にでも一生入れておくべきなのだろうが、肉親の情で勘当するに留めたんだ」
「わざわざ……誤解を、招くように?」
「君は信じていたんだろう?」
「……はい」
私がこの前にヒルデガードから聞いた話によると『アーロンは爵位を継ぐために、私と結婚した』だった。けれど、先ほど聞いた事情によると『アーロンは私と結婚するために、爵位を継いだ』となるのだ。
それには、あまりにも……大きく違い過ぎる。だって、結婚したという意味が反対になってしまうわ。
「君は過去を知らないからな。だからこそ、弟のヒルデガードは生かしておくべきではないと、兄の俺も思っては居るんだ。あれから王都中を探させているが、行方知れずのままだ。ブランシュが庇い情けをかけてやれば妻を惑わせるようなことを吹き込むとは、絶対に許さない」
強い怒りの表情を見せたけれど、私の前だと思い直したのか、アーロンは息をついて真面目な顔を見せた。
「……それに、ブランシュと結婚出来たとて、シュレイド王国が滅べば、何の意味もないだろう? だから、死ぬ気で守った。俺の全力を以て。この国ごと……お前を守ったんだ。誰が愛していない女に、そこまでするんだ」
「アーロン……」
「ああ。いや……俺が何も言わずに、不安にさせてしまった。ブランシュが落ち着くまでと考えていたが……邸に帰ったら、少しだけ俺の昔話をしよう。それを聞けば、君も納得してくれるはずだ」
アーロンはそう言って、私を連れて馬車へと向かった。馬車の前にはクウェンティンが待って居て、海水に濡れた私たちを見ると血相を変えて駆け寄って来た。
「旦那様! これは、何があったのですか?」
彼にそう聞かれて、アーロンはそこで何故、私が海に落ちてしまっていたのか、聞いていないことに気がついたようだ。
「……そういえば、何故ブランシュが海に落ちたかを聞いていなかったが」
間抜けなことに私自身もその事を、すっかり忘れていた。海に落とされた後に、犯人の顔だって見ていたというのに。
そんなことよりも、私にとって重要な事に気を取られてしまっていたからだった。
「そうでした……アーロン。私を海に突き落としたのは、あの人なのです。貴方の愛人を装ってキーブルグ侯爵邸に居た……サマンサさんだったのです」
「……なんだと?」
今までのアーロンであれば、怒りのあまりここで怒鳴ってしまっていたかもしれない。けれど、彼は激しい怒りの表情を一瞬見せただけで、何度か大きく息を吐いて自分を落ち着かせているようだった。
「旦那様……今は奥様を抱きかかえたままですので」
クウェインティンのたしなめるような言葉を聞いて、アーロンは頷いた。
「わかっている。俺だって何度かやらかしてしまったことの、自覚はあるんだ。あの女……確か、子どもを置いて逃げ去ったと聞いたが」
「ええ。そのように聞いております。子どもを預けた慈善院には旦那様の言いつけ通り、定期的に物資を届けておりますが、シスターたちに育てられて、すくすくと育っていると……」
「つまり、あの女は迎えに行ってはいないんだな……自分の子どもなのにか」
アーロンはここで考え込むような様子を見せたけれど、立ったまま話すのもと思ったのか、近くにある馬車へと乗り込んだ。
「……奥様。スカートを外したんですね」
「ええ。貴方の講義を聴いていたから、命拾いしたわ。ありがとう。クウェンティン」
「何の話だ?」
私たちの会話の内容を掴み切れなかったのか、アーロンはそう言ったので、クウェンティンは苦笑して答えた。
「いいえ。旦那様。水中に誤って落ちた場合は、奥様のようなドレスを着た女性はなかなか泳ぐことが難しいです。ですから、スカート部だけを外せば、身軽になり泳ぐことが出来るとお教えしていたのです」
「クウェンティン……ブランシュが助かったから、それは良いが。他に余計な事は教えていないだろうな?」
眉を寄せたアーロンが尋ねると、クウェンティンは涼しい表情で軽く頷いた。
「余計な事ではないんですが……奥様たってのご希望で、領地経営と財務管理についてはお教えしております」
「……ブランシュに、何を教えているんだ。優雅に暮らす貴族夫人だぞ」
「私の希望なのです。アーロンが不在の時に、何もしないという訳にはいかず……」
アーロンは自分が居ない間は、私に邸に居るだけで良いとクウェンティンに命令していたはずなのだ。けれど、それを押し切って仕事をしたいと申し出たのは私だ。
「奥様は現在、他の領地の代官として仕事が出来るまでに成長されました。僕も教師として、とても鼻が高いです」
「ええ。クウェインティンは本当に教え方が上手で、良い教師でした」
「お前……いや、もう良い。ブランシュ。海に落とされた時の状況と、そして、あの女の様子を出来るだけ詳細に教えてくれ」
私はクウェンティンと仲良く微笑み合い、そんな二人を見てアーロンは頭が痛いとばかりに額に手を置いて、話を変えることにしたようだった。
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