第18話「シャンデリア」
「……ブランシュ。グラスが空いている。何か代わりの物を?」
アーロンに指摘されて、私は慌てて彼の方を見た。
いけない。今日はアーロンと一緒に夜会に出席して話を聞こうと考えていたはずなのに、義妹ハンナのことがあってすっかり上の空になってしまった。
「あっ……ごめんなさい。これで、十分です」
アーロンは微笑んで頷き、私の持っていたグラスを取り、近くに居たウェイターの持つトレイの上へと戻した。
今夜の夜会の始め、勝利した軍の司令官として彼は王に紹介され、こうして集まった多くの貴族たちへ向け挨拶をした。
ハンナに話しかけられて、見逃してしまったけれど、夫は本当にすごい人なのだと、感心するしかない。
私はこんな多くの人前で話すことなど、とても出来ないもの。
「ブランシュ。君はその青いドレスが良く似合う。それは、俺の好みになってしまったが、気に入る物を、何着でも作らせると良い」
「ありがとうございます……」
今私が着ている青いドレスは、首元まできっちりと布で覆い、肌が見える部分がとても少ない。あの色っぽい赤いドレスと比べれば、作りの違いは一目瞭然だった。
妻の私の肌を、誰にも見られたくないという彼の無言の気持ちが見えるようで、何も言われていないのに照れてしまう。
「アーロン。私……実は貴方に、聞きたいことがあって……」
私が質問しようとして、アーロンが面白そうに眉を上げた……その時だった。
会場に吊されたシャンデリアが落ち、周囲は一気に薄暗くなって、方々から高い悲鳴が聞こえた。
「ブランシュ! 壁へ!」
私はアーロンの腕の中に抱かれ、会場の隅へと移動した。
辺りは騒然としていて、不幸中の幸いというべきか、落ちてきた大きなシャンデリアの下敷きになった者は居ないようだった。
壇上に居た王族の姿は、避難していて既にない。誰かが賊に襲われたということもなく、ただ単にシャンデリアが落ちただけのようだった。
「……キーブルグ閣下。いかがなさいますか」
アーロンの部下らしき男性が近くまで来て跪き、壁際に避難したアーロンに指示を仰いでいた。
「城での警備は近衛騎士団の範疇だ。後で揉めたくはない。何かあれば、彼らの指示に従え。狙いがわからぬ状態で、今すぐに動くのは危険だ。俺は事態が落ち着くまでここに居るから、王族や怪我人、不審者の情報が入り次第伝えろ」
素早く部下に指示を下したアーロンは、私が怯えて泣いていることに気がついて、困った表情をして言った。
「ブランシュ。今ここで、泣いてはいけない。戦場で敵に慈悲を乞うな。ここは、今戦場になった。弱さを見せれば、すぐに喰われるぞ」
「……はいっ。申し訳ありません」
勝手に流れてくる涙を止めようと懸命な私を見て、アーロンは戦ったこともない私に言い過ぎたと思ったのかもしれない。
私の身体を力強い腕でぎゅっと胸に抱きしめて、安心させるように何度も背中を撫でた。
「悪かった……君は貴族令嬢で、こういう事態に全く慣れていない。だと言うのに、良くないきつい言葉を使った。ごめん」
アーロンは慰めようとしてしてくれたはずなのに、私は逆により泣いてしまうことになった。
◇◆◇
結局は不審者なども見つからず、おそらくシャンデリアを吊す金具の老朽化のためだろうと早々に推測された。
けれど、アーロンは要職にある立場上、避難したついでに帰宅する貴族たちのようなことも出来ず、この事態が収拾するまで、私たち夫婦は城の中で留まることになった。
とは言え、城の警備を担当する騎士団を差し置いて、軍の指揮官である彼が独自に動けない。だから、用意された一室に私たちはただ待機していた。
真夜中だというのに、城中には無数の明かりが灯り、騎士団らしき人たちが行き交い物々しい雰囲気に包まれていた。
アーロンはそんな様子を窓から見ながら、物憂げな表情だ。自分が労われる祝勝会だったと言うのに、こんなことになってしまって気の毒だとは思う。
そんな時に、場違いなのかもしれないけれど、彼の鋭角なラインを描く横顔に見惚れてしまった。
長い時間そんな彼をじっと見つめていたんだけど、机の上に用意されていたお酒とグラスを見つけて、妻ならば気を利かせて勧めなければいけないのではない? と、ようやく気がついた。
「アーロン。お酒でも飲まれますか?」
「いや、止めておこう」
すげなく彼に断られて、私は少し落ち込んでしまった。よく考えれば、アーロンが寛いでお酒を飲もうと言う状況ではないかもしれない。
私って本当に、駄目なのだわ……。
「ブランシュ。落ち込むことはない……気を利かせてくれたと言うのに、悪かった」
「アーロン……」
私が顔を俯かせていたことに気がついたアーロンは、苦笑して私に近付き、肩に手を置いた。
「だが、ここで初めての夜を過ごすことには、俺は抵抗がある。酒を断った理由はそれだ。気にしないでくれ」
「えっ……」
私が顔を上げたその時に、扉が叩かれて、アーロンはそちらに顔を向けた。
「何だ」
「旦那様。近衛騎士団長が、単なる事故で、これ以上の危険はないと結論付けられたようです。すぐに帰宅なさいますか」
「わかった。すぐに帰る。馬車の準備を」
「御意」
執事クウェンティンは、アーロンの指示を聞き胸に手を当てて頭を下げると、扉を閉めて去って行った。
「ブランシュ。帰ろう。君も疲れただろう」
「はい……あのっ……あの、アーロン」
私は夜会の間にお酒も飲んでいたし、非日常の中で気持ちが大きくなっていたのかもしれない。
「どうした?」
「……私。私っ……旦那様しか、頼れないんです」
家族にも嫌われて、執事クウェンティンだって、アーロンありきの関係だ。
私が今頼れるのは、この人しか居なかった。
アーロンはいきなりの告白に驚いたようだけど、私を軽く抱きしめて背中を叩いた。
「そうか……大丈夫だ。ブランシュ。俺はずっと、君の傍に居る。今ここで、そう誓うよ」
「はい……」
アーロンの胸は大きくて、安心出来た……良かった。私の夫は私を必要としてくれて、ずっと傍に居てくれる。
だから、私が心配することなんて、もうないんだわ。
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