第16話「居場所」

「奥様。旦那様より、奥様にお花を届けるようにと……」


 庭師サムが私の部屋に来て、小さな花束を差し出して微笑んでいた。


「まあ……綺麗。ありがとう。アーロンは優しいわね」


 私が花束を持ち上げて顔に寄せると、とても良い匂いがした。


 アーロンは優しい。まだ数日しか過ごしていないけれど、初対面でだいぶ怖がらせてしまったと自覚はあるのか、私に対してやけに気を遣ってくれる。


「奥様。旦那様は怖い部分もありますが、奥様には優しいと思います。素直に気持ちを伝えれば、きっとわかってくださいますよ」


「……そう。そうよね。それは、私も理解してはいるんだけど……」


 アーロンが傍に居ると、なんだか身体中がむずむずとして落ち着かない。逃げ出したくなるのだ。


「それでは、儂は仕事場へと戻りますので」


 サムは小さくお辞儀をして、去ってしまった。彼はあの時の約束を守り、誰にも義母の話はしていないようだ。


 アーロンは、義母の所業を怒るだろうか……大金を出して嫁いで来た私が、家族の誰からも愛されていない女であることを知り、ガッカリするだろうか。


「そういえば……アーロンは何故、私を妻にしようと思ったのかしら?」


 私は本当に今更ながら、そのことに気がついた。


 私は義母の意向から社交界デビューもまだで、アーロンの顔も知らなかった。だとするならば、彼だって私のことを見ていないはずなのに。


 キーブルグ侯爵家からの縁談に、持参金なく金銭を要求する条件を付けたと言うのに、アーロンは特に抗議することなくそれをすんなり受け入れたそうだ。


 私が今キーブルグ侯爵家に居て、何不自由なく生活できているのは、すべてアーロンがそうしてくれたおかげだった。


 扉を叩く音がして返事をすれば、クウェンティンが入って来た。


「奥様。早めに帰って来た旦那様が、テラスで一緒にお茶をどうかと仰っておりますが」


「すぐに行くわ」


 キーブルグ侯爵家のテラスは、日当たりも良く、お茶を飲むには最適な場所だ。


 私が慌ててテラスへ出て行けば、既に椅子に座っていたアーロンが立ち上がった。


「ブランシュ。サムから、花は届いたか」


 背の高いアーロンは私が座ることを手伝い、自分も丸テーブルの正面へ座った。


「ありがとうございます。とても綺麗でした」


「帰って来てから……どうしても気になっていることがあって、それを先に聞きたい。もし、言いたくなかったら良い。その傷は、誰にやられた?」


「……」


 アーロンが私の手の怪我を気になってしまうのも、無理はない。


 私の手は誰がどう見ても鞭に叩かれた傷跡に見えるだろうし、キーブルグ侯爵家で、アーロンの妻である私に対しそんなことをする人は居ない。


「そうか……言いたくないのなら、良い。だが、言ってくれるなら、俺が全て対処する」


「……ありがとうございます。アーロン」


 問い詰められずに安心した私を見て、彼は苦笑して言った。


「悪い。もうひとつだけ、確認だけさせてくれ。それをしでかしたのは、先日追い出した、あの二人ではないよな?」


 アーロンは、大きな勘違いをしていたようだ。私は苦笑して首を横に振った。


「ええ。これは、ヒルデガードとサマンサがしたことではありません」


 浪費癖のある放蕩者ヒルデガードが、妻にしようとしていた私に手を挙げるなんてこれまでに一切なかったし、サマンサは自分が贅沢な生活さえ出来ていれば、何の文句もないようだった。


「そうか……それでは、お茶を飲もう」


 アーロンはそれ以来、私の怪我には触れず、陛下より勝利を祝し多くの褒賞を賜った話などを話してくれた。


 自らを死んだことにして危機感を抱いた他の貴族たちからも援軍を集め、三倍もの軍勢に打ち勝ったのだから、王家直轄地であった広い領地を褒美として与えられたり、莫大な報奨金なども受け取ったらしい。


 国を守ったアーロンが今回の戦いで成し遂げたことを考えれば、それでも安いものなのかもしれない。


 私の方だって彼に、どうしても聞きたいことがあった。けれど、お茶を飲んでいる間、ずっと勇気は出なかった。


 ……どうして、私を妻に望んでくれたの? と。


 母が亡くなって義母が来たら、私はほぼ外出せずに、使用人のような暮らしをしていた。


 アーロンから見初められる可能性なんて、ほぼないと言って良い。


 何を期待しているのだろう……一目惚れ? 私のことが好きだから?


 そんなことが、あるはずもない。だって、私たちは会ったこともないのに。


 こんなにも優しく見えるアーロンだって、私を利用したいと考えていると知るのが怖いから?


 ……わからない。心の中を渦巻くモヤモヤを解決するには、彼に直接聞くしかない。


 私は夫とのお茶を終えて部屋に戻ろうとしたけれど、やっぱり彼に聞こうと思い直し、部屋へ戻る廊下を引き返した。


「……奥様に全て、お話しするべきでは?」


「ブランシュからの希望でなければ、俺は動けない」


 テラスにはアーロンとクウェンティンの二人が残り、何か話しているようだ。クウェンティン以外人払いをしているのか、その他の使用人たちの姿は見えない。


「我が邸の来客リスト、ブランシュの先ほどの不自然な沈黙、俺には知られてはいけないと強く思うならば、十中八九あんな大怪我になるほどに手を鞭で打ったのはエタンセル伯爵夫人だろう」


「何故ですか。キーブルグ侯爵家として、厳重に抗議すべき事案です。我が家の奥様が他の貴族に鞭で打たれるなど、あってはならないことではないですか」


「お前はそういう……心の機微がわかっていない。ブランシュと俺との縁談に対し、金銭を条件としたのもエタンセル伯爵夫人だろう。血の繋がらないブランシュを気に入らないとしても、そこまでするなどと思ってもみなかった」


「奥様はエタンセル伯爵邸で、エタンセル伯爵夫人より、虐待を受けていたと……?」


 私は二人の会話をそこまで聞いて、部屋へと戻った。


 アーロンは優秀な軍人だ。戦況を見て最善の策を練り、それを部下に指示し自軍を勝利へと導く。生涯不敗を誇る、血煙の軍神。


 そんな彼にしてみれば、私が実家でどんな目に遭っていたかを推理することなんて、簡単なことだった。


 けれど、私は家族に虐待されていたということを、彼に知られたことに大きな衝撃を感じていた。


 自分が思っていた女と違っていたと、離婚されてしまうかもしれない。


 アーロンに……離婚されてしまえば、どうしたら良いの。


 私はもう何処にも行く場所なんて、ないのに。


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