第6話「訃報」
私は訃報の手紙をクウェンティンより手渡され『一人になりたい』と伝えると呆然としたまま部屋へと戻り、ベッドの上で我が身の不幸を嘆き泣いていた。
「ぐずっ……そんなの……っ……なんの意味もなかった……! 優秀な将軍で、素敵な人だとしても……! すぐに亡くなったら、もう……私のことを幸せになんてっ……してくれないのようっ! お父様の嘘つきー!!!!」
父に縁談があると伝えられた時を思い出して、私はふわふわの枕にかきついて涙を流してしまった。
多忙過ぎて、一度も会わないままで結婚式が行われる教会から直接戦地へ向かい、書類のみで結婚を済ませ、その一週間後に妻の私は夫の訃報を受け取った。
これでは……あまりにも、展開が早過ぎる。
まだ会ってもいない夫アーロンに先立たれてしまった私が、目が溶けるのではないかと心配するくらいに泣いてしまっても、きっと誰も驚かないだろう。
だって、これから私はどうなるの? 不安で不安で堪らないわよ。
「……奥様。戦場に出る軍人には、これは仕方のないことです。どうか……気持ちを強くお持ちください」
「っクウェンティン。待って……貴方、いつの間に私の部屋に入って来たの?」
ベッドでうずくまり泣いていた私は執事クエンティンの姿を見て、とても驚いた。
ベッド脇のすぐ傍に居たのは、夫アーロンが気に入って重用していたという執事クウェンティン・パロット。
キーブルグ侯爵邸に務める使用人たちも彼の指示を聞くようにと、当主アーロンより常々聞かされていたそうで、今は優秀な彼を中心にしてこの邸は回っていると言っても過言ではない。
私という部屋の主からの返事がないままに、クウェンティンは入室していたらしい。
すっきりとした清涼感のある整った顔立ちを持つ、ふわりとした銀髪と印象的な赤い目を持つ執事は、まだまだ年齢的に若い。
彼は社交界デビューが遅れた十七歳の私と、同じ年齢くらいのようだ。
「不躾な真似をしてしまい、本当に申し訳ありません。奥様。何度お呼びしても、お返事がなかったもので……もしかしたら奥様に何かあったのではないかと、心配が過ぎて部屋に入ってしまいました」
こうして、主人の許しも得ずに入室するなど、通常の状況ならばあり得ない事だろう。
けれど、こういう緊急事態で何かあったのかもしれないと思うことは仕方ないだろうと、クウェンティンは全く悪びれた様子なく、落ち着いた口調で言い訳をした。
キーブルク侯爵邸に嫁いだ私の部屋は、貴族夫婦のお決まりの配置で、旦那様の部屋から続き部屋が用意されていた。
どうやら、旦那様から並外れた信頼を勝ち取っている執事クウェンティンは、夫の部屋から続く扉の鍵を使い、私の部屋へと入って来たようだ。
夫の訃報を聞いた妻が部屋に篭もりきりで返事もしないというと、もしかしたら……という、心配をしても仕方ないかもしれない。
けれど、あまりにもショックが大き過ぎる私にとっては、それもこれもどうでも良いことだった。
「ぐずっ……クウェンティン!! これがっ……泣かないでっ……どうするっていうのっ! 夫が私と一度も会わないままで、亡くなってしまったのよっ!!」
夫アーロンが幼い頃に拾い教育しとても可愛がっているという執事クウェンティンは、少し変わっていて無表情で感情を見せることがない。
だから、アーロンが死んだと聞いても、いつも通りの様子だった。
……何と言って例えれば良いのか、まるで人形のように人間らしい気持ちを出すことが全くない。
今だって嘆き悲しむ私を見ても、表情を変えることはなかった。
「ああ……ですが、奥様。こうなってしまっては、旦那様とお会いしなくて、幸いだったかもしれないです。こうして、亡くなったものは仕方ありませんし、奥様の悲しみの深さとて会ってからよりも浅くなるでしょう」
主人を喪ったばかりだというのに、全く悲しむ様子のないクウェンティンは、これからの未来を悲観して、ベッドに潜り込んで泣いていた私に淡々と諭すように言った。
それは、確かに……クエンティンの言う通りに、亡き夫アーロンと一度も会わなかったのは、幸いだったかもしれない。
私がアーロンと既に会い、気持ちを通い合わせていた後で彼が亡くなった時、ここで泣き崩れているどころではなくなると思う。
今はただ……独りになってしまい、頼りなく悲しくて。けど、それだけだ。
親しく愛しい人を亡くしてしまったという、悲しみではなかった。
「クウェンティン……アーロン様が居ない今、侯爵位は誰が継ぐの? ……私は実家のエタンセル伯爵家に、戻らなければ駄目よね……?」
実のところ、アーロンが亡くなったと聞いた私は、エタンセル伯爵家に用無しだと返されてしまうことを、とても恐れていた。
また、あの意地悪な義母と義妹に散々な態度で使用人のように振り回されるくらいならば、新しい当主を迎えることになるキーブルグ侯爵家で雇ってもらえないかとお願いしようとまで考えていた。
「いいえ。奥様はアーロン様の正式な妻なのですから、キーブルグ侯爵家に、このまま居て頂きます」
「え……どうしてなの? 当主が不在ならば、親戚筋から後継ぎを探すのが、通常の手順でしょう?」
未亡人が仕方なく爵位を継ぐ時もあるけれど、それはあくまで緊急時のみだ。私のように初夜も済ませていない妻など、用無しだと思われても仕方ないのに。
「……ええ。ですが、旦那様からのご命令で、貴族院には正式な書類は既に提出されています。軍人たる旦那様が何かあった場合は、奥様に全ての財産や権利などが問題なく遺されるようにと……事前に全て整った遺言状もございます。このままキーブルグ侯爵の未亡人として、この邸に留まりください」
「えっ……待って。嘘でしょう。クウェンティン」
思ってもいなかったことに、私は驚いた。
私の実家エタンセル伯爵家は持参金は一切払わず、なんならキーブルグ侯爵家に、かなりの金額を要求したと聞いている。
私はお金で買われた妻で、そんなにも手厚くしてもらえるような根拠が見つからない。
「いいえ。嘘ではございません。書類をその目でご確認なさいますか?」
彼が差し出した書類の写しには、確かにさっきクウェンティンが言った通りの文言が書かれていた。
……そして、私は未亡人としてキーブルグ侯爵夫人になり、会った事もない夫アーロンの遺産、全てを受け継ぐことになった。
だから、これからキーブルグ侯爵家の運命は、もう私の手に掛かっていると言っても過言ではなかった。
実家のエタンセル伯爵家の領地など、本当に猫の額で、お父様が頼りにならない領主だとしても、代わりにその地を治めてくれる代官さえしっかりしていれば目が行き届く。
そんな貧乏伯爵家で生まれ育った私には、キーブルグ侯爵領は信じられないほどの広さなのだ。
それを……何の経験もない私が問題もないように、苦心して管理しなければならない。
執事クウェンティンが言うには領地には何代も仕える代官が居て、王都に住む私は報告を聞く程度で何もしなくて良いし、夫の喪が明ける一年ほどはゆっくりと傷心を慰めていてくださいと言った。
けれど、私はクウェンティンが悲しく辛い中で掛けてくれた優しい言葉を、そのままの意味では信じることが出来なかった。
執事クウェンティンは両親が早くに亡くなり、そんな彼を拾って育ててくれたという亡き夫への忠誠心が非常に高く、無表情で感情が見えづらいのもただの個性で悪い人ではないだろうと私も思っている。
けれど、領地や侯爵邸の管理を既にお世話になった主人が居なくなってしまったにも関わらず、忠実に仕えてくれる執事クウェンティンに丸投げすることは出来ない。
何故かというと、私は母が亡くなり父が義母と再婚したことで、人は利己的な生き物であると良く良く学んでいた。
母が生きていた頃には優しかった人たちも、私に優しくすれば身分の高い義母から睨まれるとなれば、逆に機嫌を取るために邪険に扱うようになり、すぐに手のひらを返した。
そんな彼らを非難することなんて、無力な私には無意味だった。
義母が公爵家の出だから強い権力を持っていることは事実で……強い風には逆らわないのが、一番で……私は何の力もない、ただの貴族令嬢でしかなかった。
自分が代行するからとクウェンティンが再三止めるのも聞かずに、領地のこと……侯爵邸の管理まで、私は懸命に勉強し自分のすべき仕事を覚えていった。
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