第4話「寝耳に水の縁談」
——私、ブランシュ・エタンセルがアーロン・キーブルグと結婚することになった経緯のはじまりは、約一年三ヶ月ほど前に遡る。
「……え……私宛に、縁談……ですか? ハンナ宛にではなく?」
エタンセル伯爵である父レナードに使用人の仕事を手伝い中に、いきなり呼び出され突然の縁談を聞かされて私は驚いていた。
「……そうだ。名高い将軍のキーブルク侯爵が、ブランシュを是非、自分の妻に迎えたいと希望されている……私もとても良い話だと思う……ブランシュには、カーラが亡くなってから、ここ数年は肩身の狭い思いをさせてしまったからな」
「はあ……」
決まり悪く頭をかいた父に、生返事をした私は、複雑な思いだった。
格上の侯爵家から、会ったこともない私へと名指しで、縁談が来たですって……?
こんなことを言ってしまうと切ない話だけど、私本人が一番に信じられない。けれど、条件を見れば、誰もが飛びつくほどにそれは良い縁談だと思う。
というか、お父様……前妻の娘の立場について、一応は傍観している自分が悪いことをしたという自覚はあったんだ。ひどい人だわ。
前妻であるカーラお母様が三年前に亡くなり、喪が明けてすぐにお父様が再婚した後妻グレイスは、当然のように前妻の娘である私を虐げた。
自身の連れ子義妹ハンナを偏重して可愛がり、身体は大柄な彼女より小さいからと、年上のはずの私は、いつもハンナのお下がりのドレスを着ていた。
今だって、そうだ。使用人の仕事を手伝い薄汚れてしまったドレスを着ている私を見て、この家の正統な血を受け継ぐ、れっきとした貴族令嬢だとは誰も思うまい。
貴族間としての大人の事情で、自分よりも身分の高い公爵家の出である義母には父は逆らえず、私が虐められていても、見ても見ない振り知らない振りだった。
……それなのに、今までのことを私には悪かったと思ってる……ですって?
血の繋がった娘の私が、どんなに虐められようが何をされようが、これまで我関せずで傍観して黙っていたと言うのに。
本来ならば、一年前に社交界デビューするはずだった私は、これまでに社交らしい社交をしたことがない。義母の目を考えれば、出来なかったのだ。
だから、何故ハンナではなく姉の私の元へと、そんなにも条件の良い縁談が回って来たのかと信じられない思いだった。
……私のことをとても嫌っている義母の連れ子、義妹ハンナではなくて、キーブルグ侯爵が望む縁談の相手は本当に私なの?
父は私に片手をあげて、何もかもわかっていると言わんばかりに頷いた。
「お前が言いたいことは、私とて理解している。ブランシュにはこれまでにエタンセル家のために、随分と苦労をさせてしまった。だから、私はお前はエタンセル伯爵家を出て、幸せになるべきだと思うんだよ」
「……はあ」
娘の私がどれだけ辛そうでも、何も言わなかった癖に……そんな情のない父に幸せになるべきなどと、とても白々しく聞こえる。
……もしかしたら、有り得ないほど良い縁談は、私のことを気に入らないお義母様の差し金なのかもしれない。
そう疑ってしまうほどに、私の神経はこれまでに擦り切れていた。
まだ社交界デビューすら済ませておらず、人脈もないので、若くして将軍位にあるというアーロン・キーブルク侯爵が、どんな男性なのかなんて知らない。
だから……もしかしたら、お相手はあまり評判の良くない男性なのかもしれない。こうして、警戒心を持って私が考えてしまう事情があった。
私の父親と義母は、お互いに再婚同士とは言え……伯爵家に高い地位にある公爵家の女性を迎えるなんて、通常ならばあり得ないと言って良い。
王家の血も受け継ぐ公爵家の義母にとっては、エタンセル伯爵である父は、あまりにも妥協した再婚相手になってしまった。
再婚によって我がエタンセル伯爵家は、義母の実家ローエングリン公爵家のご縁で、各種特権に与ることが出来るのも事実。
だからこそ、お父様はお母様の亡き後に一年間の喪明けと同時に申し込まれた格上の公爵家の次女だった義母との再婚話を、エタンセル伯爵家の利益を最優先して受けた。
お互いに連れ子のある再婚とはいえ、政略結婚だったのだ。
商売下手で貧乏な伯爵家には願ってもいない好条件の縁談で、断る理由なんて何もなかった。
だから、前妻の娘である私は、高貴な家の出で高慢な性格の義母から、その代償を、代わりに存分に払わされている。
ハンナは日々社交でお茶会にと飛び回っていて、姉の私だって貴族令嬢であるというのに、社交は最低限しか許されなかった。
本来ならば一昨年する予定だったのに、何かと理由を付けられて未だデビューしていない。
化粧品は贅沢だとすべて取り上げられ、使用人に混じり水仕事をして、冷たい水に耐えらない手には、あかぎれが目立っていて、薬を使うことだって許されなかった。
これでは、エタンセル伯爵家の娘などではなく、扱いは使用人だった。
だから、これまでとても不安だった……いつか義母の都合の良い家の、とんでもない男性と結婚させられてしまうのではと。
「ブランシュ……私はこれが君にとって、最善の身の振り方になるだろうと考えている。グレイスがあの調子では、お前をハンナよりも良い家には嫁がせたくないと思うだろう」
「……ええ。お父様。私もそう思います」
苦い顔をした父はそれを解りつつも、その時が来ても庇うつもりはないということよね。
仕方ないわ……この人には、娘よりも家が大事だもの。貴族の当主として正しいのは、父の方なのだから。
「今ならば、ハンナも社交デビュー前で、相手を比較しようにもまだ相手が居ない……だから、どうしてもお前をと縁談を持ち込んだキーブルク侯爵家に持参金を支払う訳でもなく、こちらがそれなりの金銭を要求し受け取りさえすれば、彼女だって納得するだろう」
……それって、私のこの縁談は身売り同然だということ?
決まり悪く言葉を詰まらせたお父様が、今の状況を冷静に見て、義妹が社交界デビューしてしまえば、ハンナの縁談相手よりも家格の高い男性からの縁談が来たとしても義母が勝手に断るだろうと。
だから、義母にうとまれている娘の私には、これ以上の相手とは結婚出来る見込みは無いのだと、暗にそう言いたいという訳ね。
本当に……悲しいくらいに、血の繋がる父含め、家族に大事にされていない。母が亡くなり三年間も続いていて仕方ないと割り切っていたことだけど、私は深くため息をついた。
母が生きていた頃から、父とは心が離れてしまっていた。けれど、貴族であるからには家の利益も大事だと、いつも自分に言い聞かせて来たというのに。
父にとっては、縁談をくれたキーブルク侯爵家に娘を体よく売りつけられるし、厄介払いみたいなものよね。
「あの、お父様……キーブルク侯爵は、どのような男性なのですか?」
これを今、父に聞いたところで、私はキーブルク侯爵との縁談に頷くしか出来ないのに……どうしても気になってしまい聞く事にした。
「キーブルク侯爵は、切れ者で若くして将軍まで上り詰めたお方だ。性格は軍人らしく荒いと聞いているが、容姿は良いらしい。きっと、お前を幸せにしてくれるだろう……」
我がエタンセル伯爵家の繁栄のために、義母の腹いせの犠牲になった私は、これまでに幸せだったとは言い難いものね。
それを実の父親から暗に示唆されて、情けなくなった私は、もう苦笑いするしかなかった。
……その時、私の名前を遠くから呼ぶ声が聞こえた。続いて、ガチャンと陶器が割れる音……また、始まったんだと思った。
いつものことなのだけど、背筋が冷えて、胃が誰かにぎゅっと握られたかのように痛い。
「私……行ってきます」
義母が不機嫌になり暴れることは、エタンセル伯爵家では良くあることだった。義理の娘の私一人が怒鳴られるだけで済めば、それは良い方だ。ただの使用人では公爵家の血を持つ義母に、殺されてしまっても何の文句は言えないのだから。
「ブランシュ……」
その時、父は娘の私に、初めて謝ろうとしたのかもしれない。けれど、ここで彼が出て行って娘の私を庇ってしまえば、また義母の態度が悪化してしまう。
それはもう既に何度か繰り返されて、私たち親子二人は疲れ果ててしまっていた。
私は父に向けて静かに首を横に振り、何かで機嫌を損ねたらしい義母の元へと急いで向かった。
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