第2話 狼騎士
先代の王が身罷られてすぐ、第五王子だったエルシャーディルが上の兄達四人を差し置いて王に即位したのは約二年前だ。その時、エルシャーディルは若干十七歳だった。
柔らかい金髪に夏の湖を思わせるブルーグリーンの瞳は誰が見ても爽やかで、柔和な顔つきに細長い手足とくれば、威厳よりも貴族然とした煌びやかな優男といった印象を見た者に与える。
しかし、その実、即位後からすぐにこの戦争ばかりの国で周辺国との外交から自国の治世までの才と手腕を発揮し、後に「賢王」とまで呼ばれるようになった「人族のエルシャーディル王」の誕生だった。
人族の住むこの国は、人族の間ではサライという名で呼ばれる。もともとは王の住む辺り一体をそう呼んでいたらしいが、今では国の名になった。
年中通して高温の日が多いが、乾燥していて、国の面積の四分の一は砂漠だ。
王都の住民はそれぞれの居住する建物に花や植物をたくさん飾る文化を有しており、建物にはパティオと呼ばれる中庭が造られていてそこでたくさんの花を育てている。
王都は戦争をしていた国とは思えないほど華やかだ。
サライの北方領である万年雪を頂く山脈を挟んだ隣国は銀狼国と呼ばれ、獣人の国であり、王は白銀の被毛を持つ狼獣人だ。
南方領から先はずっと穏やかな気候になり小人たちの領土である小さな白い花の国、海にまで出れば海域は人魚や魚人の領土である珊瑚国になる。
西は広大な森が広がり、そこは妖精とエルフのエルク国の領地になるし、東へ行けば竜族の住む神龍国となる。
近年、サライとして脅威なのは専ら、北の銀狼国と東の神龍国だった。
人族は歴史的にほかの種族を差別する傾向にあり、文明を発達させ兵器や武器の開発に余念がなく、隙あらば他の種族や国を隷属させようとしてきた。
その結果、他の種族から敬遠されることが多かった。言葉を選ばずに言えば、いわゆる嫌われ者の種族であった。
先代王の頃には、北方山脈の鉱山を自国のものとするべく、銀狼国との間に戦争をしかけ、その鉱山から採れた鉄鋼で造った武器をちらつかせることで他国を圧制しようとし、神龍国の文字通り逆鱗に触れたというわけである。
エルシャーディルが即位してすぐに手を着けたのが、銀狼国との休戦協定を結ぶことだった。
「これで、銀狼国とサライ国との休戦協定を締結と致します」
双方の代表がサインをして、間に立ってくれた西のエルク国の代表が決議書を読み上げ、議会は幕を閉じた。
銀狼国の国王がわざわざサライに出向いてくれて、協定決議はサライの宮殿内部の政務室で行われた。協定書の名前は銀狼国の名前が先に書かれていて、決議内容もある程度銀狼国が有利となるような内容だ。
しかし、そうまでしても、エルシャーディルには戦争を終わらせる方が重要だったし、戦争を仕掛けたのは自国だという負い目もあった。
自国民たちからの反応は賛否両論あるだろうが、エルシャーディルとしては、内容もそう銀狼国に偏ったものではないと思っている。
「白狼王の寛大なお心とご英断、そしてエルフ王のご助力に感謝いたします。
本日は我が城にてお休み頂けますよう部屋を用意しております」
「せっかくですが、人の王。あなたのことは信用しておりますが、ここは人の国の中枢。
我らが魔力で覆ったこの姿が人に傷つけられることは万が一にも在り得ませんが、心安らかに休むことができるとは思えない。
我らはこれで失礼させてもらいます」
光り輝く金糸の髪に紫水晶のような瞳のエルフの王には、サライの城でのもてなしを断られてしまった。
残念には思うが、今までの自国の蛮行を顧みれば仕方ない。
精一杯、感情を顔に現さず冷静さを保つ。
「わかりました、エルフ王はお見送りを致します。
白狼王はぜひお身体を休めて頂きたく思いますが、いかがでしょうか」
エルシャーディルや、長身のエルフ王よりもさらに一回り大きな体躯の白狼王を見上げる。
白狼王こそ、つい最近まで戦争をしていた相手国の城に泊まることなどできるのだろうかと思うが、銀狼国は万年雪の高い山脈を越えて何日もかけて来てもらっている。このままとんぼ帰りなどさせる方が失礼だ。
「そうだな、私は構わん。
我が一族の騎士たち精鋭部隊を引き連れて来ている。
万一のことなどあった場合には、それこそ我が軍がこの国を制圧してしまうだろう」
こちらはこちらで牽制が強く、一瞬たりとも気を抜けない。
確かに戦争を終わらせるために多少相手に有利な協定を結んだが、隷属国になるつもりはない。あくまで対等な休戦と和平の協定だ。
「それでは、部隊の方々にもサライ自慢の酒と料理などを振る舞わせて頂きましょう。
皆さま酔い潰れてしまわなければよいのですが」
「ふはは、面白い冗談だ、人の王。
獣人族が人族の酒で酔い潰れるなど、何年飲み続ければよいのだ」
「確かに、獣人族の方々は皆さま酒がお強い。
それでは、サライでは度数の強さではなく、質の高さで酔わせてみせましょう」
「……ふむ。
よかろう。人の王のもてなし、楽しみにしよう」
「感謝いたします」
相手と張り合うためにわざわざ自国まで来てもらったわけではない。しかし、相手に舐められてもいけない。今までの反省を持って感謝と友好と誠実さを示し、対等な信頼を得なければならない。
白狼王と共にエルフ王を見送り、白狼王と部隊の騎士たちを部屋に案内するよう従者に命じ、ようやくエルシャーディルは自室に戻った。
「…………。
はあぁぁぁぁ……」
公式行事に着る正礼服のまま、ふかふかのベッドへ倒れ込む。
「つっ……かれたあっ!」
枕に顔を押し付けて叫ぶ。
「あ、……やばい、寝そう。だめだ、このままじゃ寝てしまう……。
ああ、せめて上着を脱がないとシワができてしまう……。
あっ、だめだ……、意識が……」
いや、いかんいかん、起きろ俺、服を着替えて、今度は白狼王との会食だ。
その前に、休戦協定の内容を国民に説明するための原稿を考えて。
さっきの白狼王との会話、大丈夫だったかなぁ。
気を悪くされたりしてないかなぁ。
エルフの王ってなんであんな冷たいの。
飯くらい一緒に食ってくれてもいいのに。
普通、ついこの間まで戦争してた国同士の王を二人にする!?
飯くらい付き合ってくれてもいいじゃん。
仲介役したんなら最後まできっちり見守れよなぁ。
どこで誰が聞いているかわからないし、城の中の誰がどんな思惑を抱えているかわからない。自分の城であろうと、自室であろうと、どんなに疲れていようと、どんなに愚痴やぼやきが溜まっていようと、弱音を吐いてはいけない。付け入る隙を与えてはいけない。
だらけて正礼服のままベッドでうたた寝などあってはならないのだ。
連日の公務に加え、ここ数日は休戦協定の内容を詰めることと、白狼王とエルフ王を招くための準備にと、ほとんど寝る暇もなかった。そのお陰で、休戦協定はとりあえず今のところ、上手く事が運んでいる。
重怠い身体をむりやりベッドから起こし、着替えのための従者を呼ぶ。
従者の前ではすぐにいつもの王になっていなければならない。
賢く、堂々としていて、まだ年若いと舐められないように威厳を持ち、お飾りだと思われないように外交にも政治にも歴史にも存在を示し、これからの世界の未来を牽引する者として自国他国の文化にも精通している王。
エルシャーディルはそういう王でなければならない。
夕食は白狼王を招いての会食が予定されていた。
エルシャーディルの礼服は、白地に金の刺繍が一つ一つ細かく手縫いで施してあり、瞳の色と同じアレキサンドライトが要所要所に縫い付けてある。
耳朶にも同じアレキサンドライトの宝石を身に着けた。
テーブルに着いてしばらく待っていると、白狼王の到着が知らされた。すっぽかされる可能性もゼロではないと考えていたために、少しほっとする。
白狼王の側には三人の狼獣人の従者がぴたりと付いてその身を守っていたが、その一人は大きな体躯の獣人たちの中でもさらに頭一つ分大きく、思わず目を惹いた。
狼獣人とはいえ、その被毛の毛色は様々で、よく見れば顔つきにも種の違いがあるように見える。
白狼王よりも大きな狼獣人は、白銀の被毛はふさふさと波打ち、尻尾などゆったりと揺らす度にシャンデリアの灯りを反射して北方山脈の新雪を思い出させた。
その瞳は右は薄い空色で、左の方が少しだけ深い青だった。
群青の騎士服が白銀の被毛によく映えて、立派な体躯と整った顔を一層凛々しく見せた。
(ふわぁ、きれいな狼だな……)
あまりにエルシャーディルが見つめてしまっていたので、その狼もエルシャーディルを見た。空色と深い青の瞳で鋭く見眇められると、心の奥底まで知られてしまうようでどきりとした。
「ほう、これはまた美しいですな」
白狼王の言葉で我に返る。
「あ、ありがとうございます」
だめだ、一瞬気を抜いてきれいな狼に意識を持っていかれていたから、白狼王がなにに対して美しいと言ってくれたのかわからない。
とりあえずお礼を述べたものの、せっかく白狼王が出してくれた会話の糸口を広げられない。しかも、それが嫌味だったのか、本当に褒めてくれたのかどうかもわからなかった。
エルシャーディルが必死にその明晰な頭を巡らせても、焦れば焦るほど沈黙の時間が長く感じる。
「確かに、人の王は美しいですね。
本日のご衣裳も良く似合ってらっしゃる」
後ろに控えていた大きくてきれいな狼が喋った。
その声すらも、低くて甘い。
「そうだろう、お前もそう思うか。
そちらの宝石はなんという宝石ですかな?」
白狼王は我が意を得たりと後ろの狼を振り返り、そして再びエルシャーディルに水を向けてくれた。
宝石か!
そうか、衣装のことだったのか。
「やはり、お目が高いですね。
この宝石はアレキサンドライトといいまして、この国で採れるのですが、産出量も少なく希少で、サライでは王族しか身に着けることが許されません。
よろしければ、質の良いものを一粒、友好の証に贈らせてもらえませんか」
ほっとして、ようやくエルシャーディルも自分のペースを取り戻すことができた。
宝石自体は、本当に一粒贈るつもりのものを用意していたので、話の流れとしても願ったり叶ったりだ。
「ほう、王族しか許されないものを頂くとなると、こちらもそれ相応のものをお返しせねばなりませんな」
白狼王も上機嫌だ。
あのきれいな狼のおかげで助かった。
しかし、後ろに控えている従者が王の会話に口を挟むなど、サライではまずあり得ない。白狼王は気にする様子もなく対話していたので、獣人国の文化では普通のことなのかもしれない。
会食が進み、食事も終わりに近付きワインも追加で開けた頃、白狼王が切りだした。
「先ほどの友好の証の話だが」
さすがに獣人は酒も強く、ワインを数本開けたところで酔ったようでもない。しかし、それに付き合うエルシャーディルは、酔ってしまわないように制限しながら、飲んでいるふりをしているので大変だった。
「我が一族に年頃の娘でもおれば、人の王に嫁にやっても良かったのだが、あいにく儂には娘がおらんでな」
「いえいえ、滅相もない。
貴国の王女殿下を迎えるなど私にはもったいないお話です」
国同士の協定に娘を差し出すというのはよくある話ではあったが、さすがに戦争を終わらせたばかりで国の内情も落ち着かないうちにかつての敵国の獣人を嫁にもらうとなると、そのお相手がどのような目に合うかわからない。
人族は差別意識もまだまだ根強く、獣人の姫君を歓迎できるような心の余裕はないだろう。城の内部だけではなく、国民からも当たりが強くなるに違いない。
改めて、白狼王に娘がいないことに安堵した。
「そこでな、我が国最強と呼び声の高い騎士を、人の王に預けようと思う」
「……え、騎士を、ですか」
安堵したのも束の間、これはどういった意図があるのだろうとあらゆる場合を想定して考えを巡らせた。
いずれ軍隊をサライに置くつもりで、足がかりの騎士を、と言っているのだろうか。それとも、サライの内情を知るための密偵だろうか。それとも、真実友好の証として純粋に宝石のお礼のようなつもりか。
「ありがたいお申し出ですが、お気持ちだけで充分です。
我が国は戦争を終えたばかりで城の内部は未だ派閥争いが耐えませんし、民たちは戦争に疲れて気が立っております。
そのような国に獣人の方がいらっしゃっても苦労を強いることになりましょう」
「そのような情勢だから言うとるのだ、人の王。
そなたのような人族が王になることは我が国の為でもある。そなたが暗殺やクーデターによってあっさり失脚してもらっては困る。
国の内情が落ち着くまで我が国の騎士に守らせようという腹積もりだ。
獣人は雌でも人族よりははるかに強いが、こうなると話は別でな。
我が国は雌を大事にする文化ゆえ貴国に譲るわけにはいかんが、騎士なら貴国の内情に翻弄されようと多少の蔑視にさらされようと、そなた一人くらい守るなど容易い。
我が国の戦士は強い」
思わず言葉を失う。白狼王はなんとエルシャーディルを守る為に獣人の騎士をこの国に派遣しようと言っているのだ。
その獣人に背後から寝首をかかれるという可能性もないではないが、こうして公に「友好の証として王を守る為に派遣された」という事実があれば、たとえばエルシャーディルが本当に暗殺されたとしても、「そのようにすぐに疑いが向くようなことをするはずがない」と弁明できる。それこそ再び戦争の火種となることは明白だ。そんな馬鹿なことを白狼王がするはずがない。
しかし……。
「疑い深いのも良き王の素質として重要だが、あいにくこの事は決定事項だ。
休戦協定にもあっただろう、お互いの国を侵犯しない形でお互いを監視し、国交を図る」
「そ、それは、そうですが……」
侵犯しないように監視する。なるほど、それには護衛という形で王に張り付かせるのは良策だ。
エルシャーディルには頷くよりなかった。
それを待っていたかのように、白狼王の後ろに控えていた美しい白い狼がエルシャーディルの傍へ歩み寄ってきた。
「ジュリアーノです。ジュノとお呼びください、陛下」
唖然としているエルシャーディルの横で、腕を前で曲げわずかに頭を垂れる白い狼は、間近で見るとさらに美しかった。
「エルシャーディル=ファウスト。
よろしく頼む」
精一杯の威厳を込めて、鷹揚に頷いて見せた。
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