生首の読み姫と吸血鬼の侍女
黒本聖南
おそろい
隙間風に、蝋燭の灯りが揺れる。
物がほとんどない殺風景な部屋、そこに少女が一人、脚の長い丸椅子に腰掛けている。
少女は艶やかな長い黒髪を一本の三つ編みにまとめ、肩の左側から垂らしていた。手にはレースの手袋を、華奢な身体はタイトなドレスを纏い、どちらも髪に合わせてか光沢のある黒色が選ばれている。
全体的に黒く、肌は雪のように白かったが、目を惹くのはその瞳。
柘榴石のごとく深い赤色の瞳は憂いを帯び、今その瞳は、一心に自分の手元を見つめていた。
少女の手には何かがあった。人間の頭部くらいの大きさの何か。──いや、違う。人間の頭部そのものを、少女はその手に持っている。
生首の顔は、少女と瓜二つだ。
少女とおそろいの髪型、こちらは髪を顔の右側から編み込んでいた。生首はどこか諦めたような笑みを浮かべて、少女を見つめ返している。
「大丈夫だよ、リコリス」
生首が口を開いた。どうやら身体もないのに喋れるらしい。凛とした声は聴く者を安心させるような耳心地の良さがあったが、リコリスと呼ばれた少女の憂いは晴れない。それでも生首は話し掛け続ける。
「この館にどれだけの人間がいると思う? あたしらが簡単に逃げられないくらいにたくさんいるんだから、大丈夫だよ。昨日も何事もなく終わったんだし、今日もきっと無事に済むはず」
「でもイベリス、舞台の上ではわたし達は二人ぼっちよ。こないだみたいに勝手に上がり込んでくる人が来たら、どうなるか」
「こないだって、三年前に一回あっただけじゃん。その時の犯人はあたしらに触れる間もなく、舞台袖に控えていた人がすっ飛んできてボッコボコにしたでしょ? 大丈夫大丈夫」
「三年前なんてこないだよ。今回は間に合わなかったらどうするのよ。どうしてそんな楽観的でいられるの?」
「リコリスが不安がってると、逆に落ち着く」
「酷いわ」
少女の名はリコリス・グレンヴィル。
生首の名はイベリス・グレンヴィル。
二人は姉妹、双子の姉妹。
リコリスが姉でイベリスが妹。仲良し姉妹は囚われの身。今日も身を寄せ合って、いや顔を寄せ合って、時間の許す限り言い合いを続ける。
「リコリス泣かないで、化粧が落ちちゃう」
「泣いてないわ、まだ」
「もう誰か呼びに来る頃だよ。泣いたら怒られちゃう」
「……怒られるのは、嫌よ。殴られるのも嫌」
「リコリスは殴る所いっぱいあるもんね」
「……泣かない。泣かないわ。……泣かない」
「そう、泣かない」
そのタイミングで、部屋の扉が開いた。
血色の悪い顔をした男が入ってくる。男は二人を忌々しそうに見つめながら、時間だから来いと告げてきた。
リコリスの瞳に憂いが増す。
イベリスの顔に諦めが増す。
男に急かされ、リコリスは椅子から立ち上がり、ヒールの踵を鳴らしながら男の元へ。そして男に先導されるまま部屋を出る。
薄暗い照明の廊下を進んでいく。たまにすれ違う人間から嫌悪の視線を向けられ、リコリスは俯きがちに足を動かした。
そして階段を上り、重そうな扉を開けた先にあるのは、臙脂色の幕に囲まれた狭い空間。何人か人がいるが、リコリスはそちらに目もくれず、先導していた男を放って歩きだす。
幕の途切れた先にあるのは──舞台だ。
そこには燕尾服にシルクハットを被った、ブロンドヘアの女が立っており、正面に向かって声を張り上げる。
「お集まりの皆々様、お待たせしました! ──生首の読み姫と吸血鬼の侍女の特別な朗読会、間もなく開演です!」
割れんばかりの歓声が響く。客が何人何十人と来ているらしい。リコリスはその声を聴いて、イベリスを抱く手に力を込める。
「大丈夫だよ、リコリス」
囁き掛けてくるイベリスに、リコリスはぎこちない笑みを浮かべ、頷きでもって返した。
イベリスが囁いた際に、そしてリコリスが笑みを浮かべた際に、二人の唇の隙間からそれぞれ、鋭く尖った牙がうっすら覗いていた。
その牙は、二人が人間でないことの──吸血鬼であることの、何よりの証だった。
「それでは、登場していただきましょう! 読み姫さん、侍女さん、いらっしゃーい!」
女に呼ばれ、リコリスは舞台の上へ。
歓声が更に大きくなる。
リコリスの憂いは誰にも届かない。女が舞台袖に引っ込んでいき、舞台にはリコリスとイベリスだけになった。
イベリスの顔を観客によく見えるように抱え直すと、リコリスは口を開く。
告げるのはたった一言。
「──本を」
その瞬間、最前列にいた観客達が舞台に向けて物を投げつけてきた。それは全て──本だった。
リコリスは自分やイベリスに当たらないよう後退し、本が投げられなくなると、舞台の上に転がる本を順に見ていった。その間に、先ほどの女が背もたれのある椅子を持ってきて、舞台中央に置くと素早く消える。リコリスはそちらに一度も視線を向けなかった。
イベリスを小脇に抱え、リコリスは空いた手で一冊の本を手に取る。真新しい、青い装丁の本。
そのまま、女が用意した椅子に腰掛け、イベリスを膝の上に落ちないよう気を付けながら置き、本を開く。イベリスの顔が若干隠れるが、そのことに対して不満の声は上がらない。早く喋ろと誰も彼もが急かしだす。
「頼んだわ、イベリス」
「任せてよ、リコリス」
そしてイベリスが口を開く。
「──ルーディス・ダリ、『少女幻想
彼女の凛とした声が辺りに響き、ヤジを飛ばしていた観客達は静かになって耳を傾けた。
「少女はその曰く付きのミシンが気になって仕方なかった。手を大事にしろ。子供の頃から耳が痛くなるほどに言われてきた言葉。少女の手は特別だ。金になるものを生み出す。親兄弟の生活は、彼女の手に掛かっていた」
イベリスが朗読をしている間、リコリスは無言で文字を目で追い、タイミングを見てページをめくっていく。
この舞台にいる間、リコリスはイベリスの──読み姫の侍女なのだ。侍女は読み姫の助けとなれるよう動くことを求められている。
明くる日も、明くる日も──永遠に。
「触れてはいけない。そのミシンは使用者の手を壊す。そうと分かっていても、少女はミシンに手を伸ばさずにはいられなかった」
おそろいは仲良しの証。
黒髪三つ編み、見えない鎖に共に縛られて、仲良し姉妹は卑しき人間に囚われる。
明くる日も、明くる日も、明くる日も──永遠に、ずっと、変わらずに。
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