レイワスター L-7
マルタヤルタ
第1話 冷戦の子
黄色に照らされた室内でひとり、少女は天上を見上げていた。
TIKA TIKA
と、ずうっと天上を見ていると目が痛くなった。寿命のつきかけている蛍光灯は時折、暗闇を吐き出す。その瞬間、いつも高い湿度がさらにじっとりするように感じられた。
TIKA――BOOM――TIKA
電灯の一瞬の小休止、暗闇の訪れに、もう亡くなってしまったお母さんの顔が、くちもとが見えた気がした。
『ここは開けてはいけません!絶対に!』
厳しい口調で大きな声だった。しかし同時に柔らかい。それは母の愛情からくるものだと聡明な彼女は気付いていた。
天上の丸い扉は唯一、家から
――
厚さ3m超の鉄筋コンクリートに囲われた“核シェルター”が彼女の故郷だった。生まれた病院であり、育った保育園であり、全てを教えてくれた学校であった。
『外デハ戦争ガ起キテイル。大人タチハ、トテモ強イ毒ヲ地球ニ撒イタ。核爆弾ヲ使ッタンダ。ダカラ安全ナノ所ハココダケダ。』
先生代わりの父の声は小さく、弱かった。いつも張りつめていた。ぴあの線(見たことはないけれど)みたいだった。だから父はお母さんより先に亡くなってしまったのかもしれない。
やがて母も逝き、少女はひとりぼっちで何年も過ごした。外に出るつもりなんてない。両親の言いつけに逆らうつもりはまったくなかったのだ。しかし出ていかずとも、向こうから来られたらどうしようもない。
TIKA――TIKA――GON
ある日、なにか音が聞こえた気がしたのだ。最初は地震か、剥がれたコンクリート片が落ちたのだと思った。しかし。
TIKA――TIKA――GON、GON
音は明らかに自然のものではなかった。
声が聞こえてくる。
「開かないぞ。カギが掛かってる」
「シェルターにカギなんてあるけないだろう」
「じゃあどうやって開けるんだよ」
「ガスバーナーあるだろう。そう、それ。マスクをしよう。一酸化中毒になるぞ。」
蛍光灯の明滅の中、火花が散った。それはまるで生き物かのように床に跳ねて、ちから尽きて消える。
彼女は慌てた。髪の毛をなでて、伸びに伸びた白い髪をどうにかしなければ、みっともないと思った。今から切って間に合うかしら、と場違いなことを考えていたものだから、
「キャっ」
フタがパカリと開かれたことについ、大きな悲鳴をあげてしまった。しかし、驚いたのは床に降り立った相手も同じだった。
「お、女の子? し、信じられない。こんなところにひとりで!?」
男は原子炉に入るかのような恰好だった。顔はマスクをしていて顔はわからないが、その声から男だということはわかった。野太い声だった。その振動は彼女の鼓膜を今までになく強くゆすった。
「いつからここにいたんだい? ここに来てどれぐらい経ったかわかるかい?」
「あわわわわわわ」
すっかり驚いてしまって、少女は首をふることしかできなかった。
しかし、相手は構わずに質問を重ねてくる。
「言葉は通じている?」「いくつ?」「お父さんやお母さんは?」「今日が何月何日かわかるかい?」「性別は? 失礼。女の子だね」「名前は?」
混乱した少女だったが、質問されればされるほどに落ち着きを取り戻していった。そしてだんだんと腹が立ってきた。
(ひとの家へズカズカと勝手に入ってきたあげく、挨拶しない。名乗りもしないし、質問ばっかしてくる。それに言うに事欠いて、女の子ですかって?)
「ああ、ごめんよ。怖がらないで。話はわかる?
ここがどこで、今年は何年かわかるかい?」
「バカにしないで! それぐらいわかるわ。子供じゃないんだから」
とうとうこらえ切れなくなって彼女は言った。他人へ発信した初めての言葉としては残念としか言いようがない。しかし、このブシツケなやからには言ってやらねば気が済まなかった。
彼女はちいさなふくらみを前に張って答えてみせた。
「今は平成46年よ!」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
――令和17年4月3日
東京大深度地下ニテ│
其ノ両親、西畑通・温子共ニ死亡。遺体ハ同シェルター内ニテ発見。冷凍保存ノ為ニ死因・時期等不明。
「ふむ」と彼は頷いた。
執務机の上へ、PONと分厚い紙束が放られた。今時、珍しい紙媒体であるが、その人物は見た目よりも高齢のため、そういったものを好んだ。
身長が高く、しっかりついた筋肉は、そこらへんの中年男性よりも胸板は分厚いぐらいだった。
髪もヒゲも白い部分ばかりで短く刈り揃えられている。着ている服は対照的に真っ黒な詰め襟のスーツだった。肩に勲章でも掛ければ、そのまま教科書から出てきそうな軍人のようだった。実際、この組織の責任者である彼をメンバーたちは
「あいわかった。
(自分からプリントアウトしろといったくせに)
と青年――サンライトは内心で毒づいた。
内心に秘めるのなら沈黙していれば良いものだが、そこは選挙権はあるのに飲酒はできない、という19歳の微妙なプライドだった。
「全部目を通してください」
「聞いたほうが早いであろう」
「彼女にもうコンタクトするのですか? いや、見つけた僕に答えろってことですかね。はいはい」
「そもそも彼女はどうやって生き延びて来たのだ」
「シェルター内は完全循環システムになっていました。リサイクルもあまり進んでいない、20世紀に作られたシェルターなのに。彼女1人なら備蓄も1世紀は保つぐらいには余裕でありましたね。ちゃんと計算されていた」
「キ〇ガイだな」
「令和の今に、昭和のその表現はアウトですよ、カーネル」
サンライトは鉄の指を1本立ててみせた。フンと鼻で笑ったが、無視することにした。
「しかし、クールですね。量から察するに、自分たちの死も計算に入れている。父親が医者だったようです。自分で分娩した、ということになります」
「言い直そう。頭のいい、キ〇ガイだ。バカは気が狂えないけぇ。ガハハハハ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ごめん」
事故ってるボスに、サンライトはだまって鉄の指を2本立ててみせた。ツーアウト。昭和ってのはほんとデリカシーに欠けんだよなぁ、と呆れた。
「設備の製造番号からシェルターの建築年は1999年。つまり彼女の両親は世紀末に地下核シェルターに潜り、外界との接触を断った」
「2000年問題にノストラダムスの大予言。さもありなん。狂気と焦燥とで皆が自暴自棄になっておった。そういう時代であった」
「それが“平成の怪物たち”を生んだと?」
「あの子は冷戦の落とし子じゃなあ。昭和の遺産といってもいい」
カーネルは無視して言った。サンライトは腹が立って、
「負の、でしょう。僕ら令和からすればいい迷惑だ。貴方たちがどれだけのものを撒いたのか、今も撒き散らしているのか、わかっているのですか」
「大震災は昭和のせいでもなければ平成のせいでもない。彼女が
と、カーネルは2011年のことを持ち出した。全ての悪夢はその年の3月11日から始まったからだ。
宮城県沖を震源地とするMマグニチュード9.0の未曽有の地震が発生した。死者・行方不明者数2万2325人の大震災である。
震災時、サンライトは生まれていなかった。動画を見て知っている限りだ。しかし、カメラ越しでも伝わるその凄まじさは常に戦慄せずにはいられなかった。怖ろしくて、同時に心臓の底が熱くなる。正直、見たくない動画だった。しかしそれが、サンライトを戦いへ向かわせる理由でもある。
「もうあんな悲劇は起こしてはいけないんだ」
「地震は自然が起こしたものだ。人間の関与でき得るものではない」
「フクシマはちがうっ!」
とサンライトは憤慨した。重厚な机を右手で叩き割ってやりたいぐらいだった。
現在にも至る重大な被害は揺れではなく、津波によって起こった原子力発電所の
コントロールアウトした原子炉は放射線をまき散らした。いや、撒き散らし続けている。
INESでの事故評価レベル7。
福島第一原子力発電所事故である。
『微量であれば放射線に人体に影響はない』
と当時の政府は
平成の
令和の突然変異
放射能汚染の影響が顕在化したのはもっと後世だった。その時間の差はまさに悪魔の所業である。当人ではなく子々孫々に死屍累々の道を歩ませた。
全身癌化した人間たちが自我を失くし暴れ、都市という都市を壊してまわった。その細胞は無限に増殖する不死化能を持っている。警察も自衛隊も、誰にも止められなかったのだ。
そして、東京都を東京府へ貶めた原因は、未だ放射能を撒き散らしている。廃炉に住み着いた悪魔によって。
「
「ええ。ええ。そうです、そうですとも。ふぅ。すいません。もう大丈夫です」
「水はいるかね?」
差し出されたカットグラスをサンライトは首を振って断った。
「兄となる者がそんなに激昂してはいかんな」
「はい?」
とサンライトは聞き返した。
捨てられた彼に妹はいない。そんなこと当然カーネルは知っているはずだった。
カーネルは愉快そうに顔にしわを寄せ、カットグラスの水をグっと喉に流し込んだ。薬を無理やりのんでるようにも見えるが、グラスを煽る様子はいかにも昭和風といった感じでサテライトは好きだった。
「お前があの少女の面倒を見てやれ。L-7のリーダーとして」
「しかし、一般の家庭に預けたほうが良いのではないでしょうか。バイタルに異常はなく、至って健康な少女ですよ」
「不死化能はいずれ顕れる」
老人は預言者のように言った。時々、老人は未来が見えているかのような物言いをする。
「彼女には少女には足りないものなぞ片手では数え切れんほどある。部屋と、必要なものは全て用意してあげなさい。愛情もな」
「年下は対象外なんですけどネ」
「チームとして、同じ境遇を歩む家族としてだ」
それを言うのなら少女に一番必要なのは父親ではないだろうか、と思ったが口には出さなかった。年齢的には父よりは祖父だが。
「おじい、いや、カーネルは会わないので?」
「わしゃ子供は好かんけぇ。お前に任せるよ、サン」
ヒロシマ弁で言ってカーネルは手の平を振って話を打ち切った。
ドアノブに手をかけたとき、サンライトは子供が嫌いならばなぜ自分たちを引き取ったのか、とは訊けなかった。
『お前たちの能力が必要だからだ』と言われるのをサンライトは恐れたからだった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
西畑凍子は病院に収容されていた。もちろん監視がついている。
105号室
と、書かれた病室の扉をサンライトはノックした。
「どうぞ」と返事はすぐにあった。レスポンスの速さから相当退屈していたらしい。
LEDライトの光で満たされた室内に入ると、青い病院着だけが宙に浮いて見えた。身体が白い。髪も肌もLEDライトに溶け込むほどに純白であった。一瞬、サンライトは言葉を失ってしまった。
白とは相対的により黒く、大きく見える目が彼をとらえる。
「や、やあ」彼は慌てて口を開いた。「こんにちは」
「こここ、こんにちは。はは、初めまして」
少女は緊張していた。
「会うのは二度目だよ」
と告げると彼女は首を傾げた。
確かに、彼女の家――核シェルターに最初に侵入したのはサンライトであったのだが、防塵マスクとゴーグルを着けていた。彼女に顔は見せていない。
改めてサンライトは名乗ることにした。
「僕はエイジ。ここではサンライトと呼ばれている」
「わたわたわたし、は、にしにしにし」
「西畑凍子――さん。おおよそのことは、わかってるよ。落ち着いて」
サンライトはベッドに座るように促し、自身も脇の椅子に腰を下ろした。
(さて何から話したものか)
と彼は考えた。年号が変わっていること、大震災のこと、
「まず君のご両親のことを話したい。いや、決めてもらいたいんだ。亡くなっているのはわかっている、よね?」
「・・・・・・はい」
「冷凍カプセルに入っている」
「ひとりで?」
「そうするように言われてたの。お父さんはお母さんが運んだけれどお母さんは――」
彼女の返答にサンライトは居たたまれなくなった。考えればわかるはずだった。彼女はひとりで母親を看取り、遺体を運び、凍らせたのだ。
「よくがんばったね。ひとりで」
サンライトは少女の白い手をとり、両手で包み込むように握った。
ビクっと少女が震えた。
驚かせてしまったのかもしれない。サンライトの右手は鉄で出来ている。
「ああ、ごめんよ。義手なんだ。冷たかっただろ」
「ううん。あったかいよ。太陽みたいに」
少女はもう片方の手を上に重ねた。白い手を冷たく感じた。しかし、それは彼の温度を渡しているということもである。ぬくもりの譲渡はサンライトにとっても喜ばしいことだった。
「問題はご遺体を埋葬するか、そのまま冷凍カプセルに入れておくか、ということなんだ」
「ほかの人はどうしてるの?」
「火葬だね。今は特に」
「もう顔を見れなくなるのはさびしいけど、そとの人がそうしているのなら同じようにしたい」
「わかった。そう手配するよ。君は賢い子だね」
「エイジは失礼な人よ。思い出したわ。家に入ってくるなり私を子供扱いして」
TONTONと彼女はエイジの手を叩いた。
「でもやさしいわ」
臆面もなく言われると、サンライトのほうが赤面してしまいそうだった。少女はKIRAKIRAした好奇心の目を輝かせた。
「ここはどこなの?」
「僕らの基地さ。エース・オブ・ベース。Aベースと僕らは呼んでいる。地図でいうと山梨県の青木ヶ原になる」
「東京じゃないのね」
「・・・・・・東京は今、君みたいな子が――女性がひとりで住めるようなところじゃないんだ。穴だらけで湖ばかりさ。首都機能を喪い東京都から東京府へ、日本の首都機能は京都――新京都にある」
「どうして湖だらけなの? 穴はどうやって空いたの」
「大きな地震があってね」
と、サンライトは震災――とりわけ、原発事故のことを説明する必要があった。
「放射線量は微量で政府は最初、人体に影響はないと公表していたんだ。よくよく考えればすぐわかる嘘なんだけどね。近年になってそれが大間違いだということに人々は気づかされた。癌細胞はわかる?」
「ええ。もちろん」少女は得意げに言った。
「ドラマERで見たわ」
「うん? イーアール? 海外ドラマの?」
「ええ。日本語タイトルだと緊急救命室。他にもフルハウスでしょう。フレンズ、プリズンブレイクにぃ、ブレイキングバッド。テープが切れるまで見たの」
「・・・・・・・・・・・・吹き替え版?」
「わからない単語は辞書で調べたんだぜサンライト」
「・・・・・・話を戻そう」
道理で大人びているというか、会話がスムーズに進むことに得心したサンライトであった。
「放射能汚染よって細胞が壊されると癌化する。癌細胞は無制限に細胞分裂し、正常な臓器に悪さをして人をころしてしまう。けれど、どういうわけか福島原発の被ばく者は死ななかったんだ。それどころか癌の細胞不死化能を得た」
「でもむかしに、ソ連の、今のロシア連邦でも原発事故はあったよね。ロシアの人たちは、その細胞不死化能はないのでしょう? それは何で?」
「それがわからないんだ。権威ある原子物理学者でも、ノーベル賞を受賞した病理学者もヨーロッパの高名な名医も全力で調べてるが、、原因も治療もお手上げ状態なのさ」
言葉とは裏腹にサンライトは右手だけを上げてみせた。
「さらには子供たち――僕たち令和生まれの人間にも影響が出た。遺伝子が傷つき、突然変異で不死化能が付いて生まれた子が相次いだ」
「その・・・・・・エイジの右手も?」
「そうだよ。僕の右手は太陽と一緒。放っておいたら爆発してしまうからこうやって鉄で覆っているんだ。だから
「そのちからを使って悪いことをする人が出てきた? それが東京が穴だらけになった理由なの?」
「そうだよ。彼らはトゥマーと呼ばれている。君は本当に頭が良い」
サンライトが左手で頭を撫でようとすると、彼女はそれを嫌がった。右手をとり「私はこっちのほうがいいわ」と鉄の手のほうを欲しがった。彼はされるがままに頭を撫でさせられた。
「原発事故の後、放射能の除染に作業員が募集された。保険も利かず、リスキィだが高額。その中にヤツもいたんだ。今もそのまま福島原発に居座り、トゥマーたちを束ねている」
「とても憎んでいるのね」
「日本で最も被ばくした男は放射能そのものになったみたいだった。核爆発を自在に操り、原潜を支配し、原子炉の王のように振舞ってこの国を壊している」
「なんで警察や軍隊はソイツを倒さないの?」
「もう放射能で東北に人は近づけないのさ」
海外ドラマが好きな彼女にサンライトは少しサービスしてタメてから言った。
「僕らL-7以外はね」
少女はCRAPCRAPと拍手した。親指と人差し指を直角にしてL字をつくってみせた。
「Lは何のL? ラッキー? あ、わかった。ライトでしょ」
「何の意味もないよ。ほら僕らは令和生まれだからレーワ。
「なぁるほど! 頭がいいわ。その名付けた人は」
「僕らのボスさ。そして僕は君の面倒を見るようにボスから言われているんだ。レーセン」
それが西畑凍子――レーセンに与えられた二つ目の人生の名前だった。
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