第3話
数日後、黒澤さんの荷物が戻ってきた。
先方の受取拒否だった。
「また戻ってきちゃったわ」
黒澤さんが寂しそうに笑った。
「節目の年に、母の実家にお線香を送るんだけど、受け取ってさえもらえないのよ。養子に出された子だから仕方ないんだけど……」
「それにしたって、何も送り返さなくても」
仕方ないの言葉に引っかかって、思わず口を挟んでしまった。
そんな私に、黒澤さんは優しく微笑んだ。
「母はね、昭和の激動の時代に、一人で子供を産んだ強い人なの」
「今でさえシングルマザーは大変なのに……」
「ねぇ」
荷物を床に置いた黒澤さんが、荷物を見つめたまま言った。
「会ったことはないんだけど、たった二通だけ手紙が残ってるの。仙台は七夕の街だから、毎年その頃に手紙を書くわって」
「二通だけ?」
私が聞くと、黒澤さんが潤んだ瞳で答えた。
「亡くなったの、東京大空襲で」
私は、何も言えなくなった。
東京大空襲を生き抜いた父がいて、今私は生きている。片や黒澤さんのお母様は、東京大空襲で亡くなった。
同じ空の下、残酷なその命の選別は、突然やって来ることを知っている。
数年前、私たちは震災でそれを体験した。あの時も思った。生き残った私たちは、どう生きるべきなのか、と。
母の部屋の片付けは、淡々と進んでいた。
大抵の書類はもう不必要なもので、私はどんどんシュレッダーにかけていった。
宝探しのように、家計簿の間から、古い財布の中から、懐かしい小さな写真が出てくるので、箱を用意してまとめて仕舞う。
家計簿の備考欄に、日記のようにその日の出来事がメモしてあるが、母特有の小さな文字で書きなぐっていて、大抵が読み取れない。
家計簿は捨てよう。残しておいても意味がない。 写真やその他の物が挟まっていないか確認したら、私は家計簿を次々にゴミ袋へと入れていった。
その日は、学校が休みだった娘も、面白がって片付けを手伝っていた。
古い鏡台の引き出しを開けた娘が、一冊のノートを取り出してページをめくった。
ふと、その手が止まる。
「ねえ、これってママじゃないよね?」
娘が写真を差し出した。
産まれて間もない赤ちゃんの写真。私の写真がこんなに古いわけがない。親戚の子供だろうか。
私は、娘から写真を受取り、裏を確認した。日付も、名前も書いてはいない。
「待って。手紙もある」
茶色く変色した便箋は、端が朽ちて零れ落ちそうになっている。
娘は私の顔を見て、目だけで読んでいいか、と問うた。私は無言で頷く。
「この手紙をお義姉さんに託しました。
あなたに届いていることを祈ります。
子供は無事に産まれました。
あなたが言った通り女の子でした。
だから、あなたが決めていた名前を付けました。
あなたに目元がよく似た可愛い子です。
この子は間もなく、桐島の遠縁に引き取られることになるといいます。
出来ることなら、手元に置いて育てたいけれど、私は父に逆らえません。
この子の幸せを、ただ祈るだけです。
そして、あなたも夢を叶えて、幸せに暮らしてくれることを願っています。
遠く離れても、いつもどんな時も、あなたと、この子を想っています。
志津子」
娘と私は無言で見つめ合った。
桐島という名字にも、志津子という名前にも、心当たりは無い。母が持っていたのに、手紙のあなたはどう考えても男性。
「お祖父ちゃんへの手紙?」
娘が私に聞くが、私にも答えは分からない。
「これもし、お祖父ちゃんへの手紙なら……」
娘は言葉を濁した。
全て言わなくても分かってる。もしこれが父宛ての手紙なら、私にはかなり歳の離れた腹違いの姉がいることになる。私は、もう一度写真の赤ちゃんに視線を落とした。
何故、この二人は結婚出来ず、子供は遠縁に引き取られたのか?
何故、この手紙を母が持っていたのか?
分からないことだらけだ。
「ママ……」
娘が不安そうに問いかけたが、答える言葉が見つからない。
亡くしてから気がつく。私は、当たり前に何でも知っている気でいながら、本当は両親の何も知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます