第十二幕 「生還」
幽子が言う指示の内容は、「また暴れるようなら絞め落とせ」という、少々過激なものであった。
これは、境界線を作っている時に耳打ちされた内容で、流石にちょっと躊躇してしまうようなものだった。
自分は、状況が悪化するのを避けるためには、やむを得ない選択だと言い聞かせた。
自分は木村さんの後ろに回り込み、彼の首に腕を回して、真綿で首を絞めるようにゆっくりと力を加えていく。
最初は優しく、しかし確実に、絞めていく。
絞め技は自分の十八番であり、特に自信を持っている技術の一つだ。
自分が通っている合気道の道場では、他の道場とは異なり、絞め技を教えている。
基本的に合気道は絞め技を用いないとされているが、うちの道場では、先生がもともと柔術か柔道をやっていた影響で、生徒にも絞め技をしっかりと教えているとのことだ。
自分は関節技や絞め技が得意で、先生からもその腕前をお墨付きをもらうほどの実力を持っている。
しかし、合気道では試合というものが存在せず、乱取り稽古の際も、一瞬絞めて「ちゃんとかかってますよ」と合図を送られたら、すぐに外さなければならないというルールがあるため、なかなか絞め落とすまでの行為はできないのが現実だ。
「まさかこんな場所で実戦を経験できるなんて……」と感慨深い気持ちに浸りながら、ゆっくりと木村さんの首を絞めていると、「おい!しんいち、しんいち」と呼ぶ声に我に返った。
幽子が心配そうに自分を見つめている。
「しんいち……、わ、私はそこまでやれとは言ってないぞ。彼、苦しんでるじゃないか…、もしかして君、危ないヤツなんじゃないのか?」と、彼女の視線は次第に危険人物を見るようなものに変わっていく。
「あっ、ヤバい……。」
その瞬間、境界線の外にいる部員たちの疑惑の視線を感じた。
「しんいちってヤバいヤツなのか?」、「うぁ!コワッ」、「最低よねぇ」といった心の声が、まるで耳元で囁かれているかのように聞こえてくる。
「あっ、本当にヤバい……。」
「いや!違う、違う。ほら、実戦で絞め落とすなんて経験が全くないからさぁ、ちゃんと絞めようと思って探ってたんだけど、うまく良いところに入らなくて。アハハハハ……」と、周囲に聞こえるように何とか誤魔化そうとした。
幽子は不審な目を向けてきたが、「まぁ、良いかぁ…、早く彼を楽にしてやれ」と言ってくれた。その言葉に少しホッとしたものの、心の中ではまだ不安が渦巻いていた。
「あっ!ゴメン、すぐにやるよ」と、これもわざと周りに聞こえるように言い放つ。
う、上手く誤魔化せただろうか……?
自分は不安を抱えながらも、手早く木村さんを絞め落とした。
周囲の視線が気になりつつも、何とか平常心を保ち怪しまれてないか不安だ。
心臓がドキドキと高鳴り、冷や汗が背中を流れる感覚を覚えながら、上手く周囲を欺けた事を願っていた。
そして、木村さんが気を失っているのを見て、自分は彼をソッと仰向けに寝かせた。
幽子はすぐに彼の手を握りしめ、何かを考えながら、彼の上に御札を数枚重ねていった。
その様子はまるで、何か特別な儀式を行っているかのようだ。
しばらくすると、彼女は「これで良いか!」と呟いた後、自分の方を振り向いて「取りあえず終わったよ、一旦外に出よう」と言ってきた。
「えっ!これで終わり?」と驚きながらも、幽子と一緒に自分も境界線の外に出る。
周囲には部員たちは、何が起こったのか理解できずに不安そうな表情を浮かべていた。
彼らの困惑した様子を見て、自分は思わず「あの御札はいったい何なの?」と幽子に尋ねてみる。
幽子は少し考えた後、「あの御札は彼の周りについている邪気を吸い取る掃除機みたいなものだよ。邪気が強い部分を調べて置いてあるんだ。あれなら3分ほど放っておけば、すべて吸ってくれるだろう」と説明してくれた。
「3分って…、カップラーメンか?」
と心の中で思いつつ、さらに幽子に木村さんの状態について尋ねてみる。
幽子は続けて、「彼は取り憑かれたわけじゃなくて、あの場所の邪気に当てられただけなんだ」と教えてくれた。
「えっ、取り憑かれたんじゃないの?あんなに酷かったのに?」と自分が驚いて尋ねると、幽子は少し困ったように言ってきた。。
「私も最初は取り憑かれたものだと思い込んでいたんだけど、おばあちゃんに説明していたら、『幽子、ちゃんと見な!多分憑かれたんじゃなくて邪気に当てられただけだよ』って言われたんだ。私も信じられなくてね。でも、とりあえずおばあちゃんの指示を信じて彼をあの旧校舎から遠ざけたんだ。それで、彼に触れて浸食されていないか確認した時に、おばあちゃんの言う通り、彼の中には何も入っていなかったんだよ。」
幽子は少し考え込みながら、「今さらだけど、あれは何なんだろう?普通、邪気に当てられたくらいでは、あんな風にはならないと思うんだけどなぁ」と不思議そうに呟いた。
そんな話をしていると幽子は。「そろそろ3分経ったんじゃないか?」その言葉に、周囲のみんなは時計を確認し始めた。自分は思わず幽子の目を見つめ、「じゃあ、木村さんを起こしても大丈夫なの?」と確認をとっみた。
幽子は少し考え込むように目を細め、「そうだなぁ…、じゃあ最後の仕上げをしようじゃないか」と言った。
彼女の口元には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。「バケツに水を汲んできてくれ。4つぐらい用意すれば良いだろう。」
その言葉に、周囲にいたみんなの空気が一瞬重くなった。「えっ!バケツに水……?何に使うんだ?」と自分は心の中で叫んだ。周りの部員たちも同様に困惑した表情を浮かべていた。
彼らの目には疑問と不安が交錯し、まるで幽子の意図を探るように視線を交わしている。
自分の頭の中をよぎったのは、まさか木村さんを起こすために水を使うつもりなのか、という疑念だった。思わず幽子に確認してみると、彼女は明るい声で「そうだよ!」と返してきた。その反応に、ますます不安が募る。
「悪いモノと言うのは水溶性なんだよ。ほら、身体を清める時に滝行や水浴びをするじゃないか!ことわざにも『水に流す』と言うだろ。まあ、最後の仕上げだ。早く持って来たまえ」と、幽子はいたずらっ子のような表情を浮かべながら言った。
「え~ぇ?本当かぁ?」
と疑問を抱きつつも、幽子の言葉にはどこか説得力もあった。
自分達は幽子の指示に従って、近くの水道に向かい、バケツを手に取る。
水が流れ出す音が、バケツの中に響いた。
バケツに水を満たしながら、少し不安な気持ちになっていく。
水を入れたバケツを持ち、木村さんのいるところに戻ると、周囲の部員たちも緊張した面持ちでこちらを見つめていた。
そして…、幽子の号令が響く。「さあ、準備は整ったな、ではこれで解決だ!彼に景気良く水をかけてやりたまえ」。
その言葉に、私たちは一瞬の躊躇もなくバケツを持ち寄り、心を一つにした。
「じゃあ、いくぞ!せーの……」
掛け声と共に、私たちは木村さんに向かって水を浴びせた。
「バッシャーーン!」
水が木村さんに降り注ぎ、その瞬間、彼の口から驚きの声が漏れた。
「うぁーーーぁ」。
まるで夢から覚めたかのように、木村さんは目を覚ました。彼は混乱した様子で周囲を見回し、「何これ、冷たっ!、えっ!このロープ何?痛っ!身体中痛いんだけど」と叫んだ。
その声はいつも聞いてる彼の声に戻っていた。
その様子を見ていた部員たちから歓声が上がる。喜びのあまり抱き合う者、握手を交わして「お疲れ」とねぎらう者、一年生の椿ちゃんは涙を流していた。私も思わず大きく息を吐き、「ふーーぅ」と緊張から解放された気分になっていた。
歓声の中、幽子は静かに木村さんの元へ近づき、彼の腕と足に巻かれていたロープを外して上げていた。
そして、彼に向かって「きみ!手の平を上に向けて出したまえ」と言っているのが聞こえた。
木村さんはキョトンとした表情で、幽子の指示に従い手を差し出した。
幽子はその手をギュッと握り、目を閉じた。
恐らく霊視をしているのだろう。
幽子の表情は真剣そのもので、まるで何かを感じ取ろうとしているかのように思えた。
自分はその様子を静かに見守った。
時間が経つにつれ、周囲の歓声は次第に静まり、幽子の様子をジっと見守っていた。
やがて、幽子は30秒ほど経って目を開け、「もう大丈夫だな」と呟いた。その言葉に、自分達は安堵の息を漏らした。
まだ困惑している様子の木村さんは、幽子に向かって、「あ、ありがとう……?」と不思議な表情でお礼をしていた。
そんな中、最木先生は、静かにその様子を見守っていた。
そして彼の視線が自分に向けられ、少し緊張しながらも、彼が近づいてくるのを待った。
先生は優しい笑みを浮かべながら、声をかけてきたのだ。
「彼女、佐々木さんだよね?ユウコくんって言うの?」
その言葉に、自分は少し驚きながらも、すぐに答えた。
「いぇ!幽子って言うのはあだ名なんですよぉ」と説明する。
すると、最木先生は幽子の方をじっと見つめ、まるで彼女の内に秘めた力を感じ取るかのように、目を細めた。
「彼女、凄いねぇ……!実際のお祓いなんて初めて見たよ」と、感嘆の声を上げる。その言葉には、驚きと敬意が混ざり合っているようだった。
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