第4話 二人暮らしの開始
それから僕は、貰った地図を端末に表示し現在地を把握しながら、ひび割れたマジックコンクリートで出来た道路を歩き、指定されたマンションに向かっていた。
歩く僕の前を、少女はぷかぷかと空に浮きながら障害物をスキップして進んでいる。はためくぼろぼろのワンピースの裾から覗く綺麗な形をした太ももが眩しい。が、少女に心を読まれている事を考慮し、なるべく平常心を保つ。
「……とりあえず今日は仕事と住居を斡旋所で貰ってきたんだ。明日から工場で働く事になるらしい」
「知ってる」
僕の話に、少女、
考えてみれば、この少女は心が読めるのだから、僕が考えているような事、知っているような事は概ね把握できていると言ってもいいのだろう。
そうなると、僕の話をするのは悪手かもしれない。
紡詩の事について聞いてみようかな?
「キミは……いったい何者なの? トウキョウダンジョンの結構上の方の人?」
「秘密」
秘密ときたか。
まったく骨が折れるコミュニケーションになりそうだ、とため息をつく。
「別に、知ってる事を聞かれるのは嫌いじゃない」
と、そこで少女から助け船が入る。どうやら僕の心が読めるというのは、やはり本当のようだ。
「ふふ、ありがと。意外と優しいね」
いったん感謝を示しておく。
「優しい、か。初めて言われたかも。ふふん」
紡詩はそんな事を言って、僕の方を振り返り、空中で腕を組んでふんぞり返ってみせる。どうやらちょっと嬉しいらしい。
紡詩のようなとんでもない美少女がそんな仕草を見せてくれると、どうしても可愛いと感じてしまう。僕はそんな心理が少女に知られている事に恥ずかしさを感じながらも、紡詩を見つめる事をやめられなかった。
紡詩も、そんな僕をじっと見つめる。
「……わたしは、暗黒龍だよ」
僕は紡詩の突然の言葉にびっくりした。
「あ、暗黒龍? ……それは何かの比喩?」
そんな返答しか出来なかった僕を、もう一度紡詩がじいっと見つめる。
「だから、わたしを好きにならない方がいい」
紡詩はそう言って、きょとんとした無表情とも言える真顔で僕を見つめ続ける。
だが、好きにならない方がいい、なんて言われると、逆に僕がもう好きになってしまってるみたいで――僕は、心臓の鼓動が熱く早鐘を打つのを感じる。
「別に僕はキミが好きになってるわけじゃないよ」
言葉に詰まりそうになるのを抑えて、僕はなんとかそう言い切る事が出来た。
「ふぅん」
紡詩は興味があるのか無いのかよく分からない口ぶりで、空中を浮きながら短い返事を返しただけだった。
紡詩は僕が何を考えてるかなんてお見通しだが、僕は紡詩が何を考えているのかまるで分からない。その不公平にもどかしさを感じながら、僕はマンションへの道を黙って歩き続けた。
辿り着いたマンションの入口では、「グレイアーバン3号棟」と書かれた看板が、斜めにずり下がってくっついていた。見るからにボロボロのマンションであり、外壁の塗装は剥がれ落ち、場所によってはコンクリートも剥がれている。
玄関のガラスのドアは割れていたが、取っ手を掴むとギギギっと音を立てて開く。
ゴミや瓦礫が散乱した玄関ホールの悪臭に顔をしかめながら通り抜け、ところどころ柵が壊れている廊下を進む。うっかり踏み抜いてしまわないか心配になる錆びた金属製の階段を昇っていくと、僕の住処があるらしい3階の廊下に辿り着いた。
後ろを見ると紡詩はいなかったが、よくよく周りを見ると浮遊する魔法で階段をショートカットして、ダイレクトに3階の廊下に浮き上がってきていた。便利な魔法だ、と思う。
僕は柵の上をふわふわ通過して廊下に入ってきた紡詩に、一つ質問をしなければいけないと気付いた。
「紡詩は、どこに泊まるつもりなの?」
「綴の家」
半ば予想していた事ではあったが、この少女は僕の家に泊まるつもりでここまでついてきていたらしい。
あまりの自由さに呆れはてるが、同時にこんな可愛い女の子と二人で生活をする事になるという事実が心を大きく揺り動かす。
「寝るスペースとかあるかも分からないけど」
「適当になんとかする」
少女の言葉はなんとも不安になるものだが、まあこの少女は僕なんかでは想像もつかないくらい色々な魔法が使える可能性が高そうだし、どうにでもなるのかもしれない。
とりあえず部屋の前まで来て、玄関の扉を開こうとする。
が、開かない。
扉をがたがた言わせながらなんとか開けようとしていると――
「こっち、入れる」
と言って、玄関の横に面した割れた窓を紡詩が魔法か何かで動かして開く。
紡詩は地面と水平に浮遊しながら窓枠を通過し、先に家の中に入ってしまった。
僕も仕方がないので扉を動かす事を諦め、窓枠から部屋の中へと入る。
説明によると、この家は1DKと言われる家になっていて、玄関の扉の先にキッチン、そこから僕たちが侵入した部屋が横についていて、キッチンの奥にはダイニングと言う事でもう1部屋が存在していた。
ちなみに、これで家賃は驚くべき事に60万円である。
最下層にも関わらずのこの異常な物価の高さについて、この後の僕の予定に絡めて説明しておこうと思う。
明日から、僕はこの5階建てのマンションの3階にある部屋に居を構え、デルフィギルドというギルドのミスリルを製錬する魔法工場で働く事になっていた。
ミスリルというのは、魔法科学が生まれてからトウキョウダンジョンで発見された魔力伝導性の高い特殊な銀色の金属で、各種魔道具や魔法機械に用いられる非常に需要の高い高価な物質らしい。
ちなみに、魔法工場で働くだけならギルドに所属する必要はないが、本格的に契約ギルド員になった方が、給料や福利厚生の面では待遇は良くなるという。契約ギルド員の上には、正ギルド員という階級が存在しているらしいが、こちらは最低でも魔法学院に所属するエリートでないとなることが出来ない、僕のような
僕はひとまず行動の柔軟性を確保するためギルドの所属は待つことにし、日雇いのアルバイトとして魔法工場で働く事にしていた。
給料は日当10万円。奴隷のような身分にしてはあり得ない高給だと外の感覚を持つ僕は感じる。が、ここトウキョウダンジョンは世界で一番経済的に発展した都市群であり、最下層である養豚場ですら、物価はあり得ないほどに高い。僕の暮らす事になったボロマンションの家賃が月60万円もするところから見て、日当10万円というのは、普通の日本の感覚でいえば日当1万円程度に過ぎないようだ。さらに稼いだ金の半額が黒峰に徴収されるシステムになっているのだから、僕が貧しい生活を強いられる事に間違いはなさそうである。
「紡詩、僕は結構貧しい生活をする予定だから、寝るのはいいけど、キミのご飯や生活用品なんかまで面倒を見られるかは分からないよ」
埃が降り積もったフローリングに腰を下ろすことも出来ないまま、土足で立ったままの僕は、あらかじめ紡詩にそう言っておく。
「だいじょぶ。なんとかなるよ」
紡詩はどこまで今の状況を理解してくれているのやら、と不安になってしまうような口ぶりだ。
「わたしは奥の部屋をもらう。この部屋が綴の部屋」
そういって、紡詩はふわふわと浮いて埃による汚れを回避しながら、キッチンを通って奥のダイニングへと浮遊していく。ダイニングの扉が閉じられると、何やら物が移動する音がガタゴトと響き始める。魔法で模様替えでもしているのだろう。
そんな紡詩の様子を横目に感じながら、僕はとりあえず、これからの現実について考える。
今日のところは、労働の前祝い金として渡された5万円で生活しないといけない。
とはいえ炊飯器や冷蔵庫などの基本的な家具も壊れている様子のこの家では、当面は外食頼みの生活になるだろう。
紡詩を頼るのも情けなさ過ぎるし、そもそも助けてくれるのかも未知数だ。
そんな事を考えてから、僕はひとまず、この部屋の掃除という最初の現実と向き合う事にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます