第2話 異郷、トウキョウダンジョンへ

 ――ここが、トウキョウか。


 船上の甲板から見える、幻影のように揺れる東京湾の水面は、トウキョウダンジョン第一層にあるという魔法工場群から排出される様々な物質、魔法薬などに汚染された怪しげなカラフルさで、見る物を幻惑するようにキラキラと輝きを放っていた。


 故郷の海と比べると見る影もないその無惨な自然は、それを見つめる僕の目にもどこか不気味な禍々しさを感じさせた。


 だが圧巻なのは、視界一杯を埋め尽くすようにそそり立つ、圧倒的スケールの巨塔だろう。


 東京都東部を丸々埋め尽くし、東京湾の一部まで食いつぶすように存在しているその巨塔こそ、日本が世界に誇る巨大ダンジョンにして巨大都市群〈トウキョウダンジョン〉である。


 その外観は紫色の不思議な金属のような物質で囲まれており、色と大きさを除けば楕円形のビルのようにも見える外観だが、ビルとは違い窓がない。


 代わりに虚空のような穴から突き出した巨大な突起物が点々と存在し、そこから飛行機械や配達ドローン、あるいはなどが世界中に飛び去って行く光景は、おそらく世界広しと言えども極めて珍しいものだろう。


 本当に来たんだ。トウキョウダンジョンに――


 僕は、トウキョウから遠く離れた田舎で育った、魔法もダンジョンもろくに知らない田舎者の少年に過ぎない。そんな僕からすると、この光景は、あまりにも――


「ははっ……はははっ」


 ――あまりに自分の常識を超えた光景を見ると、もはや笑う事しか出来なくなってしまうものなんだな。

 僕は一人、そんな事を思いながら、ただ笑った。


「何を笑っているのですか」


 僕を小馬鹿にしたような様子で声をかけたその男は、学校の検査で見た時のままの恰好をしている。整っているが陰気な顔に、黒髪を長髪にして腰まで伸ばし、真っ黒なローブに青色の鷲のバッジ。このバッジは、男が〈第三等級〉の魔導師である事を示していると先ほど言っていた。


 この男、黒峰くろみね雪雅ゆきまさこそ、僕の魔法の才能を見出し、その〈第三等級〉という身分が示す圧倒的権力の名の下に拉致、彼の発見した〈魔導師候補生〉として僕をトウキョウダンジョンに無理矢理上京させた張本人である。


「では、今後のあなたの生活について説明します」


 現在僕は、この男に船上でこれからの生活について説明を受けるところだった。


「あなたは〈無等級〉、つまりトウキョウダンジョンにおける〈最下層民〉となって生きていく事になります」


 黒峰は無感情な喋り方でそう僕に通告する。


「あなたは魔法語を一切覚えていないので、いくら希少属性とはいえ、間違いなく今は魔法は使えないでしょう。当面あなたはその範囲でできる仕事を探して働く事になります。まあ魔法工場で働くとか、魔法実験場で魔法薬なんかの実験台になるとかです。個人的には、魔法工場をおススメします」


「……僕は、学校に通えたりはしないのですか?」


「はっ、何を言うかと思えば……甘いですね。甘すぎます」


 黒峰はそう言って、僕をはっきりと馬鹿にした。


「魔導師学院は第二階層〈水中都市〉に存在しますが、ここに出入りするには冒険者として第一階層の攻略を行い、第二階層に自力で辿り着かないといけません。そのうえで、学院に入学するには魔法語を基礎レベルで修め、筆記試験に合格した上で、実技試験で魔法を披露する必要があります。つまり、あなたのような底辺からすると、高く険しい壁を超えないと辿り着けない場所なのです。成り上がりを夢見てトウキョウダンジョンにやってきた者のうち半数以上は、第一階層〈灼熱工場〉で一生を過ごし、短い生涯を終えます。あなたがそちら側でない保証など、どこにもないのですよ」


 聞いていた話と違う、と僕は思った。


 トウキョウダンジョンに入れれば、バラ色の未来が待っていると、勝手に持っている情報で推測していた。


 だって、トウキョウダンジョンの情報は、ダンジョン外の一般市民には制限されているのだ。僕が知っている事と言えば、トウキョウダンジョンには魔導師を育てる学校があるとか、トウキョウダンジョンは世界の経済、軍事、技術の中心であるとか、トウキョウダンジョンの上位に辿り着くと、超常的な能力や不老不死などに目覚める人がいるというネットの噂話とか、その程度である。


 だが今聞かされているのは、どうしようもなく苛酷な「現実」だった。


 魔法工場で働く?


 いきなりそんな事を言われて、田舎暮らしの十五歳の子供が適応できると?


 あまりにも、これからが不安でならなかった。


 下手すると僕は、ここでは生きていけず飢え死にするかもしれない……


「あなたは希少属性を持っているので、研究観察対象として2週間に一度わたしと面談、研究協力をします。端末にわたしの情報を送付しておいたので、連絡を忘れずに確認してください」


 黒峰がそう告げたところで、船がいよいよトウキョウダンジョンの東京湾側に大きく空いた大穴に、船体が呑み込まれていく。


 戻れないところまで来てしまったな、と思いながら、僕はひとまず今日ご飯にありつける事を祈るのだった――





 *****





 船を降りた僕は、入口にあったゲートで簡単な審査を受ける事になったが、〈第三等級〉のバッジを黒峰がそれとなくアピールしただけでほぼ無審査で通される事になった。それくらい〈第三等級〉の魔導師というのは権力を持った存在らしい。


 トウキョウダンジョン第一層の中は、ダンジョンという言葉から想像されるそれとは違い、広大で高さのある空間が広がっていた。


 空には魔法で出来た人工太陽が点々と間隔を空けて浮かび、マジックコンクリートという魔法科学が出来てから発明された利便性の高い白い物質でできた道路を眩しく照らしている。


 そんな青い空を埋め尽くすように、灰色の煙がそこかしこにある魔法工場から立ち昇っている。空気は塵にまみれて汚く、吸っているだけで身体の何かがダメになっていくような嫌な匂いを感じてしまい、咳き込む。


 そして、空気がとにかく熱い。


 灼熱工場とは文字通りであり、季節は春だというのに気温は30度を軽く超えている。


 普通に長袖の制服を着たままだった僕は、慌てて上着を脱ぎリュックサックに入れて、長袖のシャツ1枚になった。それでもすごく熱い。これは厳しいかもしれない。


 そんな僕の様子を意に介さないまま前を歩き続ける黒峰は、やがて魔法工場群を抜けた先に広がるスラム街のような荒れた街並みの住居群を指さしてこう言った。


「今日からあそこがあなたの住処です」


「……あれが?」


 僕は唖然とせざるを得なかった。


「仕事を見つけ、日中は仕事で日銭を稼ぎ、仕事が終わったら魔法語の勉強をしなさい。魔法語を覚えたら、わたしの研究に協力してもらう過程で、あなたの魔法を使えるようにしていきます。どのような種類の魔法に適正がある属性なのか、調べさせていただきます。しかし、まずは魔法語です」


「魔法語……」


「魔法が使えるようになったら、第十階、つまり〈第一階層〉の終着点まで迷宮を攻略し、そこから先の〈第二階層〉に広がる魔法学院の入学試験に合格しなさい。あなたの稼いだ金は半額が主人である私の下に振り込まれる事になっていますが、私は忙しいので、最低限研究材料になるところまでは自力で這い上がってもらいます」


 その説明は、十五歳になったばかりの少年がいきなり言われる内容としては、なかなかにハードなものだった。僕は僕なりに黒峰が言ったことを咀嚼し、なんとかする糸口を見つけようとする。


「……いくつか質問事項があります。どこで聞けばいいですか?」


「忙しいと言ったわたしにすべて質問しないだけ、最低限の頭はあるようですね。なんらかのギルドに所属し、ギルド内で質問するのが基本です」


「……ギルド?」


「ギルドというのは、田舎者のあなたは知らないかもしれませんが、まあ外でいう会社に、都市の一部という拠点、政治的能力が付随した組織、小さな国のようなものです。その大きさはギルドによってまちまちですが、最大手のギルドだと数十万人もの人員を内部に抱えている場合もあります」


 僕は、心のメモに「ギルドに所属する」というタスクを追加する。


「それでは、精々頑張って出世し、わたしに貢献してくださいね」


 気になる話は多かったが、どうやら黒峰は本当に行ってしまうみたいだったので、僕はただそれを見送る。


「……はい。さようなら」


 そんな会話を交わした直後、黒峰の足元に魔法陣が現れたかと思うと、彼の身体を乗せて翼竜が突如現れ、そのまま空へと羽ばたいていく。


 それだけ見ても、魔法という技能の異常さ、常識外れさを感じる僕だった。一体どれほど研鑽を積めば、あのような魔法が使えるようになるのだろう?


「……さて」


 僕はひとまず、自らの住処を確保する事にした。


 廃墟のような建物が建ち並んでいるスラム街に足を向け、その中へと入っていく。


 アパートやマンションなどがボロボロの手入れされていない状態で左右に並んだ大通りを歩いていると、その中に何やら人混みが出来ている場所がある事に気づいた。


 そこは何かの窓口が存在している建物のようで、20人か30人ほどの人間が、建物の外まで列を作って並んでいる。


「すみません、この列はなんですか?」


 僕は列の最後尾に並ぶ一人の男に質問した。


「ああん? てめぇ来たばっかか?」


 返事をした男は荒っぽい口調で僕に怪訝な顔を向ける。


「はい、今来たばかりです」


 男の様子に怯みつつもそう返事をした。


「……ここは、この〈養豚場〉の職業斡旋所の一つだ。住居と仕事をセットで斡旋してくれるから、人気がある。お前も来たばかりなら並ぶといい。ホームレスで仕事もないまま飢え死にしたくないだろ?」


 僕はひとまず情報を集めるため、男の後ろに並ぶことにする。


「どんな仕事があるんですか?」


「魔法が多少使えりゃ、もうちょいまともな仕事があるんだけどな。俺みたいな魔法神経も移植できてない、魔法語もろくに覚えてないは、魔法工場で危険な単純労働をするのが関の山だ」


「豚……?」


「ここトウキョウじゃ、魔法も使えない奴は豚とか奴隷なんて名誉な名前で呼ばれる事になってるのさ。だが、魔法が使えるようになるには、難しい魔法語を仕事の合間に覚えなきゃなんねぇ。そんな難しい事、俺らみたいな頭の悪い男どもが出来るか、ってんだ。ったくよぉ」


「なるほど……」


 男の言葉は僕にとって衝撃だった。


 そうか。


 魔法の使えない僕は、ここでは人間ですらなく、なんだ。


「……ははっ」


 面白いじゃないか。


「おじさん」


「ああ、なんだぁ?」


「色々教えてくれて、ありがとう」


「お、おう。いいってことよ……」


 にこっと笑みを作って男に微笑むと、男は少し照れたように視線を逸らす。単純だが悪い男ではなさそうだ、と僕はこの男をもう少し頼る事を決める。


「ついでに聞きたいんだけど……魔法語を勉強するための本は、どこで買うの? あと、おじさんはギルドとか入ってる?」


 僕は静かに行動を開始した。


 まずはこの異郷、トウキョウダンジョンに適応してみせるところから。


 そこから、すべては始まる――

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