第2話 ねえ

「ねえ」


 たったの二文字で愛しいあの子が振り向いてくれたらどれほど幸せだろう。


 ねえは誰か特定の人に向けた言葉じゃない。だから学校でわたしが「ねえ」と口に出そうものなら、関係ないあいつやそいつがアホ面をこっちに向けてくる。


 特に田村。男子バスケ部のこいつは特に何かとわたしに絡んで来る。「呼んだ?」じゃないんだよ、バーカ。


 わたしはいつだって、あの子のことを思い浮かべてその二文字を口にする。


「ねえ」


 でも、あの子はそれだけじゃ振り返ってくれない。


 あの子はおしとやかで控えめで、みんなが道で並んで歩いていると、すれ違う人の邪魔になったらいけないと一歩後ろに下がって道を譲っちゃうくらいの超がつくほどの良い子だ。ううん、超なんて言葉だけじゃ物足りない。ウルトラ超ハイパーデラックス良い子だ。


 だから「ねえ」なんて誰に向けられたのか分からない言葉に、自意識過剰で振り返ることなんてしない。


 二度の「ねえ」を経て、わたしが諦めて「ねえ、瑞季みずき」と口にすると、彼女は長い睫毛をしぱしぱと目の前で不思議そうに瞬かせてから、「ん、なあに。茉歩まほちゃん」とようやく顔を向けてくれる。


 ちょっとふっくらとした頬に、眠そうに瞼が落ちた目。最初に出会った頃から瑞季の印象は変わらない。白くて柔らかくてふわふわのマシュマロみたい。


 彼女が向けてくれる笑顔にいつも心はドキドキさせられっぱなしになる。


 わたしがどれほどドキドキしているのかなんて、どんなに「ねえ」にあなたのことを想って口にしているのかなんて、知ってほしいけれど知られたくないほどもどかしい気持ちを抱えているかなんて、あなたは知らないだろうけど。


 胸に抱えたもやもやを晴らすには、この恋を成就させるしかない。だからおまじないは絶対に必要なんだ。


 ベッド上で小さい頃から大事にしてるぬいぐるみを抱き抱えてローリングしてると、ふとその考えが浮かんだ。


 それは天啓だなんて言葉を使うにはおこがましいくらいの、安易な発想だ。冬の学校帰りに寒いから肉まんを買って食べようと思うくらいの安直さだ。でもそれがいい。難しいことを考えるのが苦手なわたしにはぴったりだ。


 「ねえ」だけで瑞季が振り返ってくれるようになったら、きっとわたしの恋愛は成就する――。

 

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