天ヶ瀬皐月は付き合わない
かなめ
第1話「天ヶ瀬皐月は築かない」
「天ヶ瀬皐月は築かない」-①
人間関係というものは苦しい。それが私、天ヶ瀬皐月が中学時代で経験したことだった。
中学三年生の夏、私は失敗した。人間関係を一歩進めたことで、私の未来は暗雲が立ち込め、先に進む足を鈍らせた。
だから私は、もう人間関係を築くということを辞めた。
……そのはずなのに。
「天ヶ瀬さん。わたしと、お友達になってください!」
この人は、満面の笑みで私にそう言ってきた。
◇◇◇
高校1年生、冬。1月末。3年生は大学の受験シーズンで、この学校に登校している生徒のほとんどは1年生と2年生になった。
私立麗鳳(れいほう)女学院。東京から快速電車で約40分、そこから乗り換えて20分の場所にある、山中にある中高一貫校。世間からの評判は「絵に描いたかのようなお嬢様学校」だった。実際、白を基調とした校舎は手入れが行き届いており、まるで一般人がイメージするお嬢様のように清らかだ。
実際、麗鳳女学院…通称麗女(れいじょ)はお嬢様が多く通う高校だ。政界の娘、財閥の娘、社長令嬢…クラスの多くがそういった家系の生まれで裕福。そうでないのは高校からの外部入学生が大半だ。その外部入学生だって皆優秀だ。才女とでも言うのだろうか。不良という概念が存在しないんじゃないかとさえ思える学校。私を除いて。
もちろん、私だって授業にはちゃんと出席しているし、それなりに勉強はしているつもりだ。何せ娯楽が全然ないから、勉強くらいしかやることがない。周囲を木々に覆われたこの学園は、お嬢様を外界の穢れから保護する箱庭のようだった。
一応、中学時代だって学校内では上位5人の常連だったから、私は馬鹿ではないはずだった。でも、この学校は次元が違う。ただの狭い区域で上位5人に入っていただけ。井の中の蛙というやつだろう。中学時代から麗女の生徒は、公立中学とは文字通り次元の違う教育を受けていた。そもそも土台から違うのだ。義務教育という枠組みの中で、国の定めた通りの教育を受けてきた私と、最初からエリートであることを定められ、そうなるためのハイレベルな教育を受けてきた内部進学生。基礎レベルからして差が生じるのは当然とも言える。
そんな状況で、普通に勉強を頑張った程度では追いつけるものではなかった。結果、私は学年でも下位から数えた方が早い成績だった。
だからといって、私は死に物狂いで勉強をするという事はしなかった。私はここで成り上がるために入学した訳ではないから。お嬢様に囲まれ、私もお嬢様になるためにこの学校に来たわけではない。
単純に、男性と会いたくないから。
言ってしまえば、私は男性恐怖症だ。中学時代にトラブルがあり、私はそれ以来男性恐怖症だ。お父さんとお兄ちゃんはギリギリセーフ。でもやっぱり目を見て話すのは怖い。二人とも私の事を大事にしてくれてはいる。それは私にも伝わってくる。それでも、私が心に打ち込まれた恐怖というトラウマは、家族すら蝕んでしまった。
だからこそ、私は女子校に入った。もちろん、先生は男性も多い。それは仕方ない。けれど、この各界の著名人の子女が集う麗女で下手な事をできる男性教師は存在しない。それもここに入学した理由の一つだ。
もう一つの理由は、寮があること。電車は男性が多い。女性専用車両も朝のピークくらいしかない場所も多い。そもそもない所だってある。満員電車で男性に密着されたら、私はおそらく過呼吸などの発作が出て倒れたり、吐いてしまうだろう。たとえその男性に悪意がなくとも。そのため、私が通える高校というものは徒歩圏内で通える女子校か、寮がある女子校しか無かった。更に言えば、寮のある女子校であっても、しっかりした場所でなければならない。
そんな私の事情を、私の家族は受け入れてくれた。お父さんは私の学費のために、より稼げる海外出張という道を選んだ。専業主婦だったお母さんはパートを始めた。お兄ちゃんは私立大学の推薦があったのに、それを蹴って死ぬ気で勉強して国立大学に入学した。麗女に通うということは、それだけのお金がかかる。うちはお父さんの収入もよく、比較的恵まれた家だったけど、そんな立ち位置ですら麗女にとっては足切り一歩手前というレベルだ。
私は、家族全員の足を引っ張ってここにいる。
だというのに、私はこのザマだ。正直、実家に帰るたびに申し訳ない気持ちになる。にも関わらず、私は家族に恩を返そうと死ぬ気で勉強をしている訳でもない。ハッキリ言って屑だと思う。
成績が伸びない理由はもう一つある。
それは、他者に教えを乞う事を一切していないからだ。
私には友達がいない。クラスメイトはあくまで同じクラスの人間でしかない。けれど、それはクラスメイトが悪いわけではない。全責任は私にある。
私は、人間関係を築くという行為を放棄している。
人間関係というものは複雑で、辛い。それが、中学三年生の夏に思い知った事だった。
正直、思い出したくない。思い出すたびに嗚咽感が昇ってくるような感じがするから。思い出すだけでも吐き気がして、辛くなる。
だから私は、友達を作らない。彼氏なんて論外。クラスメイトから話しかけられても最低限の応答をするのみ。最近は話しかけられることすらされなくなったけど。
これが、私の高校生活一年目の冬という現状だ。自分でそういう選択をしてきたので、特に後悔があるわけではない。ただ、生きるのって大変だな、とは思う。
◇◇◇
放課後、私は図書室で参考書を借りて寮への道を歩いている。高等部の校舎からは約300メートルの道のりだ。春には色とりどりの花が咲き誇るこの寮への道も、今は真冬の寒さに木々も冬眠しているかのように寂しい。
道中。おおよそ寮まであと半分という所、私は左側を向く。わずかに人が通れるくらいの隙間がある。周囲に人がいないことを確認すると、私は足早にそこに入る。
12月頭あたりに知ったのだが、どうやら花が咲かない時期、つまりこの冬場だけはここを通れるようだ。花が咲いていない間だけはここに隙間ができる。いや、夏は流石にここを通りたくはないけど。
隙間を通り、林の中を進んでいく。乾燥で水分を失った枯葉を踏み鳴らす音だけが残響していく。
数分ほど歩いた先で、林が終わる。そこの先は開けた場所。周囲を一望できる場所だ。
麗女は高山ではないが山中にあり、少なくとも普通の町と比べると高い場所にある。つまり、私がいる場所からは市街地を一望できた。
もちろん、ここは立ち入り禁止だろう。禁止とは書いていないけど。一応、太い杭のようなものが等間隔で立てられており、ロープが張ってある。でもその先は崖だ。落ちたら命の保証はない。
私は近くの岩に腰掛ける。二人で座る事はできるけど少し狭そうなくらいの大きさで、私一人で座る分には余裕がある。そして、何も考えることなくただただ周囲を眺めている。
別に、景色を眺めることが好きというわけでもない。景色を写真に収めるという趣味もない。
ただ、ここにいると人と関わらなくていい。私だけの世界になる。
少しの間だけ何もかもを忘れることができる。そんな場所。
あと一か月もしたら立ち入るのが難しくなる。そんな期間限定スポット。いやまぁ、来れなくはないだろうけど、虫が出てきそうだし、何より気温が上がると暑そうだから、きっとここに来るのはあと一か月。そうしたらこの場所とはおさらば。覚えていたらまた来冬来るかも程度。そんな場所。今となっては。
「…さむ。そろそろ帰ろ…」
日が沈むのが早い。おかげでもう少しのんびりしたいなと思っているのに冬の寒さがそれを許さない。
こうして、私の一日は過ぎ去っていく。なんの変哲もない…というにはあれだけど、私にとって当たり障りのない、刺激も何もない日々はこうして積み重なっていく
◇◇◇
翌日。今日もまた、放課後にいつもの場所に向かう。他に行くところもなく、かと言って足早に寮に戻って勉強するかと言われるとそういうモチベーションでもない。
本来ならば、閉館ギリギリまで図書室で勉強するなり、一秒でも早く寮に戻って勉強するなりした方がいいのは分かっている。分かっているけど体が、心が動かないのが人間の性というものだ。いや、嘘。単純に私の性格が悪いだけ。
授業もついていくので精一杯だ。というか正直一部の教科は現状だと基準点ギリギリアウトだ。このままでは期末試験も既定路線の下位になるのは目に見えていた。
それでも私はこの林を歩いている。多分、逃げたいだけだ。周りには育ちの良いお嬢様ばかりだし、才女ばかり。外部入学生は私以外でグループを作って、協力し合いながらなんとか授業を乗り越えている。
クラスメイトは、率直に言っていい人ばかりだ。もちろん、エスカレーター式に上がってきた一部の生徒は問題児とも言われている人もいる。何なら麗女四天王とかいう問題児四人がいるらしい。このお嬢様学校にもそんな四天王とかゲームみたいなワードが出てくるとは思わなかった。まぁ、うちのクラスにはいないみたいだけど。いても困る。めんどくさいし。
外部入学生のクラスメイトは多分、こちらから歩み寄れば受け入れてはくれるだろう。各クラス数名ずつしかいない外部入学生は、私を除いてグループを形成しているし、みんな人当たりも良さそう。裏ではどんな会話が繰り広げられているかなんて知る由はないけれど、少なくとも表向きは友好的だとは思う。
けれど、もうすぐ入学して一年経つ私は今でもそうしようとは思わない。彼女らに歩み寄るのはつまり、人間関係を形成するという事。人間関係に疲れ果てた私にはどうすることもできはしない。
この花園は、私の居場所たりえない。いや、きっとこの世界のどこを探しても私に居場所はないのだろう。それでも私は、他よりはマシだからとうそぶいてこの場所に踏みとどまっている。
いつもの場所に向かう途中で、ほんの少しだけ違和感に気づく。それがどんな違和感かははっきりとは分からないけど、いつも歩いている道がほんの少しだけ変化したような、そんな感じ。一日でそんなに変わるものだろうか。昨日は別に雨も降っていないし、風が強かった訳でもない。
とはいっても確実な根拠があるわけでもない。熊がいたりしたら嫌だなぁとは思うけど。そうしたら私は死ぬんだろうな。痛いんだろうな。でも、死んだらこの苦しさからは解放されるんだろうか。
死ぬならいっそ、痛みも感じずに死にたい。ある意味、私のそんな臆病なところが、今でも私を生かしているんだろう。
違和感は、現実だった。
人がいる。生徒だ。いつも私が座っている、椅子代わりにはちょうどいい大きさの岩に、生徒が腰掛けうつむいていた。
私以外にこんな場所に来る不良がいるとは思わなかった。
正直、嫌だった。私が見つけた、誰にも邪魔されない私だけの世界。今、目の前にいる生徒にそれが壊されてしまった。
帰ろう。厄介ごとになる前に。
そう思って私は踵を返そうとする。だが、その直前に、枯葉を踏む音に気付いたのか、生徒が顔を上げてこっちに振り向いた。
――綺麗。
去年と同じ感想を、全く異なる場所で抱く。
栗色のさらさらした美しい髪が、風に流されていく。その姿に、私は視界を飲み込まれた。まるで絵画の世界に入ったような、幻想的な光景だった。
「……天ヶ瀬、さん…?」
私はこの人を知っている。同じ1年1組の愛染美乃梨(あいぜん・みのり)さん。超巨大企業、愛染ホールディングス社長の子女だ。日本どころか世界規模でみても超巨大企業で、総資産額は私の常識を遥かに超えるスーパーお金持ち。にも関わらず傲慢な所はなく常に謙虚で、誰にでも優しい。笑顔じゃない愛染さんを見たことなんてないんじゃないかというほどの人格者。そして顔がいい。
いや、ふざけているわけではない。同性の私でさえ、うっかり魅入ってしまったほどに愛染さんの容姿は整っている。胸元あたりまで伸ばした栗色の髪は一本一本がきらめいているんじゃないかと思うほどの艶がある。パッチリとした目は見る者を吸い込んでしまうんじゃないかというほどの輝き。スラっとしている割に出ているところは出ている。アイドル…とは違うけど、99%の人は愛染さんをかわいい、綺麗という評価をするのは間違いない。
そんな愛染さんが、泣いていた。
理由なんて分からない。けれども、今まで見たことのないその表情は酷く悲しんでいた。
だというのに、私はその姿さえ綺麗だと思ってしまった。正直、嫌になる。
今すぐ走って逃げだした方がいい。このままここにいたら絶対に面倒だ。頭ではそう理解しているのに、私は愛染さんの姿に釘付けになっているかのように動けなかった。多分、夕焼けをバックにしているのが悪い。きっとそうだ。
「…どうも」
私は冷静を取り繕って、不愛想な返事をする。愛染さんは少し私を見た後に今の状況を理解したのか、ハッとして右手人差し指を曲げ、第二関節の部分で自分の涙をぬぐった。
「ご、ごめんね。変な所見せちゃった」
赤面しながら、愛染さんは慌てたように頭を下げる。別に謝る必要はないのに。ここは私が勝手に私の場所だと決めつけた所であって、学校が決めた場所でもない。他の誰かがここに来たとして、私が嫌な気持ちになるだけで愛染さんに罪はない。
「…別に、どこで泣こうが愛染さんの自由でしょ」
私は意図的に目線を反らす。少しばかりの沈黙が続く。いい気分ではないけど慣れてはいる。居心地の悪さに早めに帰ってほしい。
けれど、愛染さんは動かなかった。チラッと愛染さんに目線を移すと、愛染さんは座ったまま、私を見上げるような形で見続けていた。
なんで帰らないんだこの人は。どう考えても今の空気はよくないでしょ。せっかくここまで来たんだから私も少しくらいはここでゆっくりしたい。愛染さんがここにいるとゆっくりもできない。
「……自由、かぁ」
ふと、愛染さんが独り言のようにそんな事を言う。
「天ヶ瀬さん、自由って何なのかな」
何を言っているんだこの人は。なんで会話しようとするんだ。空気を読んでほしい。私は会話がしたいわけではないんだけど。
「…知らないよ。自分がやりたいことをするんじゃないの」
苛立ち…とまではいかないけど、私は少しだけ急かすように言う。本当に性格が悪いと自分ながらに思う。
「やりたいこと…やりたいことかぁ…」
その言葉と共に、愛染さんは俯く。声が震えていた。教室内で聞く愛染さんの声とはまるで別物のような声。全てに絶望したような、あるいは諦観の混じったような声色だ。
「わたしのやりたいことって、何だろう」
酷く悲しんだ声。髪で隠れて表情は伺えないけれど、きっと愛染さんは泣いているんだろう。何が愛染さんをそうさせているのかは分からない。別に分かりたいとは思わないけど。
こういう時は、当たり障りのない事を言って、さっさと立ち去った方がいい。人間関係を築かない私がほんの1年半ほどで得た教訓だ。
そんな事は分かっている。分かっているはずなのに。
「…何か、あったの?」
その表情が。泣いている顔が。今の自身の置かれているのかもしれない状況が、中学時代の私と重なった気がした。だから私は入学して最大の失敗を今、してしまった。
「…わたしね、絵を描くのが好きなの。美術部に入っていたんだけど」
ぽつり、と愛染さんは絞り出したような声で話し始める。
「先日のコンクールで佳作だったんだ」
「佳作って、一応賞をもらったようなものでしょ。すごいじゃん」
実際のところ、佳作という言葉には色々と意味がある。本来であれば佳作と入選という言葉は似たような意味がある。けれど最近では、入選作品の次に優れた作品という意味合いで使われることが多い。いわば選外佳作というやつだ。
「…お父様がね、辞めろって」
辞めろという言葉を発した時の愛染さんは、嗚咽交じりだった。
「愛染グループの娘が、入選もできずに佳作で終わるなんて面汚しだって」
なんてひどい話だ。私からしてみれば、佳作だってすごい。審査員にその出来栄えを認められたのだから。きっと愛染さんのお父さんは、いわゆる入選佳作というものではなく、ちゃんとした賞を取れという意味合いだったのだろう。
「…美術部、退部させられちゃった」
愛染さんのスカートに、涙が数滴落ちてくる。そして愛染さんは、声を出して泣き始めた。
きっと、愛染さんは本当に絵が好きで、楽しんで描いていたんだろう。そうじゃなきゃ、ここまで泣くとは思えない。それを、愛染さんのお父さんは奪ったらしい。わざわざ退部までさせるあたり、徹底しているなと思う。
「わたしには、自分のしたいことをする自由もないんだなぁって」
「お父様とお母様に言われたの」
「わたしは、わたしのためじゃなくて愛染グループのために存在していることを忘れるなって」
「それがお前の存在価値だって」
最後の愛染さんの言葉に、心臓の鼓動が早くなる。ドクンと波打ち、全身から冷汗が止まらない。かつての記憶が残響し、私を蝕んでいく。
ぎりっと、自分の歯が軋むような音がする。私はハッとして、愛染さんを見る。
「…酷い親だ」
愛染さんの家庭に喧嘩を売るつもりは特になかったけど、うっかり本音を漏らしてしまった。
「あ…ごめん。いきなり人の親を侮辱するのは失礼だった」
「…ううん。いいの……ありがとう」
何故か愛染さんは私に感謝の言葉を告げる。自分の親を侮辱して感謝するなんて。それだけ愛染さんは、思う所があるのだろう。
「むしろ…わたしのほうこそごめんね。ほとんど話したことないはずなのに、こんな話しちゃって」
実際、私は愛染さんとほとんど話したことはない。席が近くなったこともなかった。
「…まぁ、こんな所で会ったらね」
「そういわれてみるとそうだね。天ヶ瀬さんはよくここに来るの?」
これ以上はよくない。このまま話を続けたら本当に面倒くさくなる。そもそも、今の時点ですら明日クラスで話しかけられたら面倒なことになりそうだと思っているのに。
「…いや、先月くらいから。なんか人が通れそうな道があるから気まぐれで歩いてみただけ」
嘘だ。私は最初、明確な意図を持ってこの林に向かっていった。この場所を見つけたのは偶然ではあったけれど、それを愛染さんに伝えるつもりはない。
「そうなんだ。わたしはね、中学2年の時からたまにここに来ていたの」
「そっか、愛染さんは内部進学組だったね」
麗女は中高一貫校だ。だから愛染さんからしてみればここは3年間来ていることになる。
「うん。夏は流石に虫も多いし暑いから来ないけど、この時期は虫がいないから。ここにきて景色を眺めて、風景画を描いていたの」
そう言って街並みを見下ろす愛染さんは、遠い目をしていた。どこか憧れを持っているような、そんな目をしている。
「そっか」
「天ヶ瀬さんは?」
結構聞いてくるなこの人。私と会話してても楽しくないだろうに。弱みを握られたから口止めでもするつもりだろうか。いや、私じゃないんだしそれは無いか。
「特に理由はないよ。ただ見晴らしがよくて静かだから落ち着けるってだけ」
まぁ落ち着けるのは昨日で最後になってしまったけど。まさか私以外にここに来る人がいるとは思わなかったから。
「確かに。ここ、いい景色だよね」
そう言って景色を眺める愛染さんは、どこか寂しそうだ。
「この箱庭から、鳥のように羽ばたいていけたらいいのにな」
その言葉に、私は何も言えなかった。ちょっと前に似たようなことを考えていて、けれど辿る結末が全く違う言葉だったから。
「ねぇ、天ヶ瀬さん」
「……なに?」
「また明日も来るの?」
行くつもりはない。もう二度とここには来ない。私だけの世界を失ったから、明日から私は図書館で勉強だ。
恨みごとの一つでも言ってやろうかと思ったけど踏みとどまった。さすがに今の愛染さんにそこまで言うほど、私は悪人にはなれない。
「さぁ。気分次第かな」
「そっか。わたしは…来るかな。やっぱりこの場所、わたしは好きだから」
そう言って、愛染さんはここから立ち去っていく。
一緒に寮に帰るという事はしない。されても私が断るけど。もしかしたら、愛染さんはそのあたりを予想していたのかもしれない。
先ほどまで愛染さんが座っていた石に腰掛ける。久しぶりに人の温もりを感じる。そんな気がした。
きっと、気のせいだ。これは気の迷いで、明日からは場所を変えて何の面白味もない日常に戻るだけ。
ふうっと息を吐き、空を見上げる。
私の気持ちとは裏腹に、空は美しいまでの茜色が広がっていた。
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