ネコを助けて異世界入り

強井零

第1話 プロローグ

 吾輩は猫好きである。

 名前は藤堂夢路。


 鋼材の設計製造販売を行う会社に勤めており、今日は月に一回の外出許可申請が通る貴重な休日だ。

 会社休日と有給消化(無給)を兼ねた休みなので、普通より二倍の密度で休まないといけない。普段の会社休日では外出許可が通らないし、そもそも申請する気もないので、仕事しているからね。


 思えば、俺が入社してから3年間、色々あったものだ。


 まず、俺が新卒で入社した1ヵ月で係長が自殺した。

 深夜2時、トイレに行くと言って戻ってこなかったので、心配になって俺が様子を見に行ったら、俺の部署の係長は首を吊っていた。


 あれはさすがに驚いたが、すぐに社長が出てきて遺体を火葬し、会社の庭に灰を撒いた。

 この会社、命の価値が安いなぁ……と複雑な心境だったが、その日の朝に咲いたサクラは、いつもより輝いているように見えた。

 サクラの木の下には死体が埋まっているって言うのは、本当なのかもしれない。

 ちなみに係長は失踪扱いになった。


 俺が入社して早々に係長が失踪したので、当時の主任が繰り上がりで係長になり、俺は死体の第一発見者ということでその部署の主任になった。喜んでいいのか微妙だった。


 と言っても、事件が起きたのはウチの部署だけじゃなかった。

 その年に入った新入社員たちも、会社に馴染めず、事故死、自殺、不審死、失踪が続いたのである。

 ちなみに、俺が不審死と失踪くらいにしか聞いていない労災は、基本的に会社の誰かに殺されたとかそんな感じだと思う。9割がた社長だろうけど。


 気付けば、その年の新入社員は俺一人になっていた。


 会社的にはかなり不味いらしく、毎年10人くらい雇って2,3人は1ヵ月くらい耐えるものだが、今年はかなりの不作だと社内で問題になった。


 と、なると。

 鬼籍に入ったとはいえ元同期たちの責任は俺の責任となってくる。

 俺は灰になってサクラの下にいる元同期たちの責任を取るため、社内全ての部署の新入社員兼主任として駆り出されることになってしまった。


 1年くらい外出せず、設計、製造、販売、全ての業務に携わった。その年は1日に30分も寝ていなかった気がする。あんまり覚えていない。


 そんなことが2年くらい続いて、ある程度は業務を標準化することができてきて、タイミーで雇った安い命で代用できるようになってきたから、今ではだいぶ楽になって来た。

 おかげさまで、月に1回なら外出もできるようになった。


 それに、ちょっと前に先輩であり、製造部の係長も馬鹿なことをして殉職……まぁ、不審死したので、今では俺が製造部の係長だ。


「ケル~遊ぼ~」


 そんなレグギャヴァキャヴュギャ株式会社 製造部係長・藤堂夢路は、愛知県岡崎市にある実家の飼い猫であるケルを追いかけていた。


「……!」


 追いかけてくる俺を見て、ケルは心底驚きながら逃げ出す。

 一瞬、目を見開いたと思えばすぐに振り返って逃げ出すくらいなのだから、どれだけ俺は嫌われているのだろうか。涙で実家が水没してしまうかもしれない。

 

「なんだよー。俺がそんなに嫌いか、ケル。貴重な休日をいつもお前と戯れるために使っているのによぉ……。1年前まで生きていた設計部の先輩は人生を賭けた転職活動していたくらい貴重な休日なんだぞ~」


 目の前にいるネコは、シンガプーラのケルちゃんだ。


 シュッとした小ぶりなネコで、短い毛並みが特徴的だ。

 調べてみたところ、普通の子猫より声が小さいみたいなので、ネコに滅茶苦茶嫌われる生涯を送って来た俺でも、なんか吠えられてもそんなにメンタルダメージはない。

 

「ケル~。ほらほら、遊ぼ遊ぼ~」


 俺は棒の先に羽が付いたネコ用のおもちゃをケルの前で振ってみた。


「……」


 ケルは好奇心が旺盛だ。

 いくら俺のことが嫌いでも、目の前にいる獲物を相手にして無視はできない。

 

 じっ……。


 と獲物を捕らえ……。


 ぱんっ!

 

 と飛び掛かる。


「良いぞケル! 素晴らしい野生だ! 誰もお前のことを温室育ちの飼いネコなんて呼べないな!」


 ケルの野生は、まるで飼いネコとは思えない。

 獲物を狙うため、虎視眈々と静かに構え、俺が予想もしないタイミングで飛び掛かるセンス。

 1歳にしてこの能力を持った子が、藤堂家なんていう一軒家の世界に収まって良いのだろうかと、俺は少し勿体なく感じるほどだ。


「お前はもしかしたら、アマゾンとかでも天下をとれる逸材だったのかもしれないな……外の世界を見せれないことが残念で仕方がないよ……」


 地獄の番犬・ケルベロスから名前を取ったシンガプーラのケルの雄姿を、涙を流しながら眺める俺。


 俺はその健闘を称えようと、ケルに向かって手を伸ばす。

 その体を撫でようと思ったことだったが……。


「……」


 ケルは、俺の愛撫すら敵だと思ったのか、俺の右手をネコパンチで跳ね飛ばした。


「そ、そんなぁ……撫でさせてくれよケルぅ~」


 俺が2度、3度と手を伸ばしてみるが、ケルは俺に体を預ける気配すらなく、ネコパンチを続けた。

 酷い……。俺、結構頑張って生きてるし、正社員だし、何なら係長なんだけど……なんで愛する女性にこんな扱いを受けなきゃいけないんだろうか。(ケルは女の子)


「はぁ……」


 仕事中は絶対にしない溜息も、休日になると付いてしまう。

 というか、職場で溜息をついたら職務怠慢の傾向があるとしてパワーハラスメント注入か、拷問室に異動することになるしね。


「俺、そんなに嫌われることしたかなぁ……」


 思えば、最初に俺とケルが会った日は、ここまで嫌われていなかった。

 むしろ、ケルは俺のことを好機の目で見ていて、よく足元をすりすりしてくれたし、俺がソファーで寝ていたら一緒に寝てくれたこともあった。


 彼女が1歳を過ぎたころだろうか。


 ケルはむしろ警戒心ばかり強くなって、俺に全然懐かなくなった。

 というか、俺自身もここ半年は係長になったばかりでほとんど時間が取れなかったこともあり、ほとんど会えなかったからか、顔も忘れてしまったのかもしれない。

 

「ケル……俺はこんなにお前のことを思ってるのに、お前はそういう態度なんだな……」


 俺は何度とネコパンチされ、追いかけては逃げられを経験し、少し悲しい気持ちになりつつも、でもネコパンチされた時の柔らかい肉球の感触に何とも言えない癒しを感じていた。


 そんな時である。


「ただいまー」


 唐突に、玄関のドアが開いた。


「あれ? 兄ちゃん、まだ生きてたんだ。とっくに死んだと思ってたわ」


 馬鹿弟が世迷言をのたまいながら、俺とケルの合瀬を邪魔しに来た。


 いや、待て。


 問題はそこじゃない。


 ケルは、開いた玄関のドアを見るや否や、俊足の勢いで外の世界へ駆けて行った。


「ケル!?」


 不味い、生まれてから今まで飼いネコとして生きていたウチのケルが外の世界へ逃げて行ってしまった。


「何やってんだよ馬鹿兄貴! ケルがどっか行っちゃったじゃん!」


「うっせえ! ヤバいことくらい見りゃわかるわ!」


 俺は弟を跳ね退いて、ケルの後を追う。

 ホワイト企業(笑)に通う貧弱カスの弟は、ホンモノの社会を経験した俺のタックルに耐えきれず、そのまま吹き飛んで岡崎市の星になった。

 彼も生まれ育った土地で輝く星になれたと思えば、鼻が高いことだろう。


 実の弟の生死なぞどうでもいいが、問題はケルだ。

 彼女は天才的な野生のセンスを持っているが、いくらなんでも本当の野生で生きていけるか心配だ。


 そこらの野犬に襲われないか、車に轢かれるんじゃないか、ボスネコとの戦いで傷を負ったりしないか……不安の種は尽きない。


「ケル!」


 外に出た俺が周囲を見渡すと、住宅街の道路の傍らにケルの姿を見つけた。


「今行くぞ!」


 そう言って俺がケルに近づくと、ケルは驚いて俺から逃げ出してしまう。

 ケルはお隣さんの室外機に登り、そこから柵を伝って一軒家の屋根に飛び移る。

 俺も真似して室外機に登り、そこから柵を伝って屋根に飛び移った。


「ケル~~~待ってくれ~~~!」


 ケルは俺の見立て通り、かなり身軽でフットワークが軽い。

 住宅街の屋根から屋根へと軽々と飛び越えるし、公園の木の上や遊具、木の茂った狭い場所なども活用しているから逃げる。

 この迅速さはタイミーさんたちも見習ってほしいくらいである。


 そんな風に感心していたその時……。

 

 ケルは、とうとう大通りの車道に飛び出してしまった。


「マズい、戻れケル!」


 俺が叫んで車道から戻るよう言うが、ネコのケルには通じない。


「!? トラックが!」


 ケルが走る先に、大型の10tトラックがやって来る。このままだと確実にケルはぶつかる……。


「間に合えッ!」


 俺は力強く地面を蹴る。

 自分が出せるトップスピード。


 それは一瞬で、ケルを追い抜き、彼女とトラックの間に割り込んだ。


「フンッ!」


 俺は全身でトラックを受け止めた。

 

「グッ!?」


 流石は10tトラック。

 いくら俺が係長だとしても、そう簡単に正面衝突して止められるものではない。

 

 踏ん張る足がコンクリートを抉り、俺は少しずつ後ろに下がっていくが……。


「舐めんなよ! こちとりゃ社長のベンツに轢かれとるんじゃ! いすゞのトラック如きが出しゃばりやがって!」


 そう言って、俺は腕に力を強めてトラックを押し返す。


 ドンッ! と鈍い音を立て、トラックは後方へ跳ね除けた。


「齢24にしてレグギャヴァキャヴュギャ株式会社 製造部係長が、いすゞのトラックに負けたら会社の名折れだろ」


 新入社員歓迎会の時、俺はビンゴ大会の特賞で『社長の愛車・ベンツで轢いて貰える権利』を獲得し、実際に轢かれたが、それでも図太く生きているのだ。

 あれから成長し、係長にもなった今、いすゞのトラックごときに負けるはずもない。


「ケルちゃーん大丈夫ー?」


 トラックを跳ね返した凄いデカい音で、ビックリしたのかケルが固まっていた。


 可哀想に。


 俺はケルを抱き上げ、ヨシヨシと頭を撫でた。

 少し嫌そうな顔をしていた気がするが、どうでも良いしせっかくなら猫吸いしよう。スーッ! ウェヒヒヒッw。


「さて、帰るか。ケルちゃんもちゃんと捕まえたし」


 と、ホッと一息をついた瞬間である。


 俺が跳ね飛ばしたトラックに、再びエンジンがかかった。


「!?」


 運転席から人が出てくるならわかる。

 普通は人を轢いたら様子を見に来るものだ。


 もしかしたら、轢き逃げをしようとしているのかと思ったら、それも違う。


 10tトラックは、再び俺を轢き殺そうと突進してくるのである。


「も、もしかして……ッ!?」


 俺は咄嗟に10tトラックのナンバープレートを確認した。


『京都ナンバー』


「クッソ! 寄りにもよって京都人の運転手かよ!」


 日本一、煽り運転が多いとされ、マナーの悪さなら天下一品の京都ナンバー。

 

 自分が引き起こした衝突事故で被害者が無傷だった、むしろ京都ナンバーの10tトラックが跳ね返された、という事実は、プライドの高い京都人にとって屈辱に違いない。


「両手が……ッ!」 


 今の俺は、ケルを抱いているのでトラックを受け止めることができない。


 ケルを抱きしめたままでは、ケルのことを守れない……!


「グオオオッ!」


 俺はケルを守るように背中で10tトラックを受け止めたが、抵抗虚しく跳ね飛ばされた。


 昔、京都は中国人観光客に人気だというニュースを見た覚えがあるが、今、納得した。

 人間性で、同調するところが2種族間にあるのだろう。

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