宿命の浄土

栗栖亜雅沙

第1話

 海は凪いでいた。

 時折、音を立てていた波も、今は静かになった。


 その波打ち際で、一人の男が、ぼんやりと海を眺めている。


 男は、名を綿津見わたつみという。

 綿津見は海神の名であり、この浄土ヶ浜には相応しい。


 綿津見は、痩せ気味の肩を揺らし、ブツブツと呟きながら、ため息をついていた。


 黄昏に包まれた浄土ヶ浜は、観光シーズンとはいえ、力なく沈もうとしている夕陽に照らされ、他にひと気が無い。

 彼はまるで、絵画に溶け込んでしまったかのように、見えた。


 どんよりとした雲に、やむを得ず運ばれて来る波は、海へ誘うように、幾度か寄せた。

 綿津見は、その波を見るとも無しに眺めている。


 突然、綿津見の視界から外れた波間が、俄に泡立ち始めた。


 細かい泡が、海から湧き出している。

 その泡は、次第に大きくなっていき、やがて人形ひとがたを取り始める。

 人形ひとがたは、女の形をしている。


 女は、海を渡ると、砂浜へ降り立った。


 女は、二十歳位だろうか。

羨ましい程、艷やかな黒髪は、癖も無く真っ直ぐだ。

 意思の強そうな瞳は、かつて綿津見も持っていたであろう、一途な輝きで満ちている。

 

 女は、砂を踏む音もさせずに、白髪混じりの綿津見の背後にやって来ると、

「ご気分でも悪いのですか?」

と声を掛けた。

 

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