尊厳の獣

Eternal-Heart

第1話 千載一遇

日曜の昼下がりだった。



着信。

「水井先生かい」

高めの若い声。

常識の外の者の響きを帯びている。

妻の携帯から、かかってきたのだ。

察しはつく。


「おたくの奥さんを預かってる。返して欲しければ。後は分かるだろう」

「いらんよ。お前の好きにしろ」

「何だと! そんなはったりが通用すると思ってんのか」


相手にするのも馬鹿らしくなった。




娘がリビングに現れ、ソファにどかっと腰を落とした。

高校生。

スマホに視線を落とし、目も合わせない。


手元で何かわめいている。

スピーカーホンにして、スマホを背後に放る。

テーブルに落ち、派手な音を立てた。

バルコニーへ出る。





綿を裂いたような薄雲の青空。

程良い風が柔らかい。

清々しい秋晴れだ。

汚してやりたくなった。

煙草に火を付け、空に吹き上げる。


娘が俺のスマホに向かって、何か叫んでる。

ガラス越しにくぐもり、内容は分からない。

俺にはどうでも良い事だ。




仮面夫婦というやつだ。

会話も、必要最低限しかない。

言い合いになれば、離婚裁判だの慰謝料などと平気で口にする。

破綻寸前のところを、俺が屈辱を甘んじて、食い止まっているに過ぎない。


そんな母親に吹き込まれて、育った娘だ。

察しは、つくだろう。

世間の、どこにでもある家族だ。




煙草を放る。

バルコニーから階下へ消えた。

消えちまえよ。

他人の声のようだった。



「ねぇ、お父さんっ!」

娘がバルコニーに出てきた。

ぐしゃぐしゃの泣き顔。

「お母さんを助けて!身代金なんか払えばいいじゃない!」

「君のお母さんだろ。知らんよ」

俺には、どうでも良い事だ。



厄介事が、目の前に現れたに過ぎない。

下鼻甲介を覗いてる時と同じだ。

私は耳鼻咽喉科医だ。


どいつもこいつも金か。

他人からむしり取る事ばかり、考えてやがる。

舐めるのも、いい加減にしろ。



俺には、どうでも良い事だ。

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